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4月 25 2011

心の指針

10:29 AM ブログ

高橋信次先生のご著書である「心の指針」のはしがきには、次のように書かれてあります。

<       はしがき

現代の仏教、キリスト教の神理(しんり)は、ながい歴史的な過程のなかに埋没してしまったといってもいいすぎではありません。それは時の権力や、宗教家たちの智と意によって解釈され、学問、哲学と化し、人びとの心から遊離してしまったからです。本来、仏教もキリスト教も、人びとの心から遊離するようなそんなむずかしいものではありません。なぜなら、教えそのものは、人間の心とは、人間とはこうしたものなのだということを、誰にもわかりやすく説いているものにほかならないからです。知情意の情とはどういうものかといいますと、情とは心です。心があってはじめて、知は智慧となり、意は大我となるのです。その情が不在となり、仏教もキリスト教も智と意で勝手に解釈され、自分の都合のいいように書き改められたものですから、いよいよもって、民衆の心から離れていったわけです。

もっとも、それにはそれだけの理由があります。人間は、五官や、六根に左右されるように一面においてできているからです。うまいものを食べたい。いい家に住みたい。偉くなりたい。金を儲けたい、といった自己保存の念が社会生活を営むことによってますます強くなっていったからです。闘争と破壊ーーーその原因をたずねれば、みんなこうした欲望にふりまわされたところにあります。ところが、こうした欲望や本能というものは、人間の生活がこの世だけと自ら限定してしまうところに根本的な理由があったといえましょう。手にふれるもの、眼に見えるもの、耳で聴くものなど感覚の世界にしか人間は、これを認識することができないために、人は現世に執着を持つようになってしまったのです。

しかし、人間は死んでも来世に生きつづけていることを知れば、人びとの人生観はかわるはずです。すなわち、あの世は厳然としてあるのであり、あの世こそ本当の人間の住む世界であり、この世は人間修行の場であり、そうして人間はあの世とこの世の転生輪廻をくりかえすことによって、魂の浄化、仏性である己の本性に目覚めるものなのです。苦しみ悲しみの原因は、神性仏性の己自身の「心」から離れた想念行為の結果であり、その苦しみから解放されるには己の心を直視し、心そのものの実体を認識する必要があります。

本書は、そうした意味で「心」とは何か、「正法」とはどういうものか、「人間」とはいかなる存在かを概念的ではありますが、そのポイントをしぼって書いたものです。本書を手にされた読者は、本書の真意をつかみ、調和のとれた生活と、平和な社会を築くための心の糧とされんことを願ってやみません>

日本が現在のような状況になってしまったのは、高橋先生の「心の指針」のはしがきに書いてあります通り、人々の心が、金を儲けたい、偉くなりたい、いい家に住んでいい物を食べたい、という欲望に振り回され、神の心を忘れてしまったことに原因があるのです。

神の心を忘れてしまえば天は気づきを与えます。(この世はこの世だけではないのですから)それでも気づかないと、気づくまで天は気づきを与え続け、私たちがどれほど困っても力を貸してくれません。すると不幸が続き、何をやってもうまくいかず進まないということが起きてきます。(現在の日本がそうです)

今の苦しみから解放されるには、神の心を知って自分の心のあり方を見直し、その見直した心に沿った生き方(やり方)をしないと、よい方には向かわないのです。

私たちがこの世に生まれた目的は、魂の浄化であり、仏性である己の本性に目覚めることなのです。しかし、現在の人びとは仏性に目覚めるどころか、人を恨み、妬み、怒り、あれもこれも欲しがり、地位名誉に執着し、本当の自分の本性とは逆の思いを持ち、自らの魂を汚し自らを苦しめています。

そのような心を持たなければ、そんな苦しみなど出てこないのに、余計な苦しみを自分で作り勝手に苦しんでいます。自分で自分の首を絞めているのです。

もう気づかなければならないのではないでしょうか、本当の自分の本性というものに。

でないと現在の日本はいつまで経ってもよい方向には向かいません。(それどころか滅亡に向かいつつあります)

もうあまり時間もないと思いますので、科学の矛盾点をいくつか書こうと、それがまだ書いている途中でしたが、高橋先生や園頭先生が本に書かれ、また話さた法(神理)の正しさを先に検証していきたいと思います。

   

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