10月 13 2015
あの世とこの世の違い
今日も朝から窓を閉め切って機嫌が悪そうです。(チョコチョコでかい音たててるし)
恐ろしいことが起き続けているのなら、反省すればいいのに、中途半端なことばかりしています。(でかい音を立てたかと思うと急に静かになったり、静かにしていたかと思うと急にでかい音を立てたりです。本当に情緒不安定そのものですね)
そのような心と行いでは、残念ではありますが恐ろしい現象は止まりません。
でかい音を立てるなら立てる、立てないなら立てずによく反省する、そのどちらかにしたらどうでしょう。
そうすればどちらにしても答えがはっきりするからです。(滅ぼされるか、許されるかです)
元々、この世の修行とはそのようなものです。中途半端なことをしていても結局許されないのです。
この世は心の修行場なのです。その心の修行が一番できる環境に今あるのです。こんな素晴らしい環境にあるのに本当に皆さんもったいないことです。同じことをし続けているからです。(これだけ気づきの現象が現れているのに、それでも気づこうとしないのですから本当にもったいないです)
この環境で奇跡が起きない人は大バカ者であると思うし(それなら私や私のいうことを聞いている人たちは大バカ者ではありません。奇跡が起きているからです)災いが起きている人など超大バカ者であると思います。
これほど分かりやすく心を磨ける環境もないからです。
なんかあの世にいるみたいです。心次第で、よいこと悪いことがすぐに起きたり、祈りが即きかれたりするからです。
あの世はこのような感じです。よい考えを持つ人にはすぐによいことが、悪い考えを持つ人にはすぐに悪いことが起きるのです。ただ、よい考えと悪い考えを持つ人がこの世のようにごっちゃに住んでいるということはありません。
あの世はよい人はよい人(天上界)悪い人は悪い人(地獄界)と別々に生活していて、よい人と悪い人が同じところで生活することは出来ないのです。(その天上界や地獄界も心の段階によって住む人たちは細かく分かれています)
つまりあの世は、同じ心のレベルの人たちばかりが集まって生活しているため、それで心の勉強にならないのです。(みな同じ考えを持ち同じことをするからです。もちろんそれぞれ個性がありますので、多少の違いはあるのでしょうが、だいたい考えることやることは同じです)
だから、この世ほど心の勉強になる場所はないのです。この世は心の高い人から低い人までごっちゃに生活しているからです。
そうなると考えも違えば行いも違います。非常によい心の勉強が出来るのです。おまけにその考えや行いが現象化するのが遅いのです。(あの世は先ほど書きましたようにすぐに思いが現象化します)だからよけい心の勉強になるのです。
自分のしたことがよいのか悪いのか、その答えが出るのがかなり遅いからです。(テストをしてすぐ答えを教えてもらえるのか、それともそのテストの点がよかったか悪かったか、それを自分でよく復習してから答えを教えてもらえるのか、どちらが勉強になるでしょう。よく復習したあとに答えを教えてもらった方が勉強になるはずです。それと同じです)
そのようなこの世にあって、これほど思いが早く現象化し出したこともないでしょう。
だから私は先ほど書いたのです。これほど分かりやすく心を磨ける環境もないとです。そうして、この環境で奇跡が起きない人は大バカ者であるとです。
だって、思いがすぐに現象化しているのです。そうであるなら、自分の考えや行いがよいか悪いかはすぐに分かるはずです。
では、周りに悪いことが起きてきたら、自分の心と行いをすぐに反省すればその悪いことは起きなくなるのだし、奇跡を起こそうと思えば、よいことをドンドン続けるのであれば簡単に奇跡は起きてきます。(私など簡単に奇跡が起きますから)
だから、なんでこんなに簡単に奇跡が起こせる時代になったのに、奇跡が起きずに災いばかり起こしているのか?と思うのです。
それが本当の神の教えを知らない人の(知ろうとしない人の)残念なところなんでしょうが、そういう意味では本当に残念な人が多いです。
こんな時代になれば奇跡など簡単に起こせるからです。
そうして、その奇跡が簡単に常に起きているのなら(ということは、それだけ心が向上しているということですから)その人は死んだ後も、その奇跡が常に起きる世界に往くのであるし(もちろん天上界です。その奇跡の度合いにもよりますが、奇跡がたくさん起きているのならかなり高い世界に往くことになります。釈尊しかり、キリストしかり、高橋先生や園頭先生しかりです。あのような方々もほぼ毎日奇跡が起きていましたから)災いが常に起きているのなら、その人の死後は、その災いが常に起きる世界に往かなければいけないのです。(もちろん地獄界ですが、それだけ頻繁に災いが起きているのであれば、かなり深い地獄に堕ちて行かなければいけません。マァ、大魔王サタンと一緒に生活するのもまたおつかもしれません)
こう考えると、私たちが死後往かなければいけない世界は、この世にいる時にだいたい読めるということになりますが、これだけ災いがたくさん日本に現れているのです。
それはそれなりの心の人が多い(もちろん地獄に往く人が多い)という証拠であり、現在の人たちはよほど心と行いを直さないと死後天上界には往けないということです。
このような悲惨な日本にあって、次々に奇跡が起きるのは(何せほぼ毎日起きていますから)私だけです。
ということは、私のいうことを聞かないと天上界には往けないということになります。(私のいうことを聞いていられるお二方、ラッキーです。〔笑〕そうして私のいうことに逆らっているたくさんの方々、超アンラッキーです。〔苦笑〕)
事実は事実です。こればかりは認めるしかないでしょう。自分の寿命がなくなる前に早くこの事実に気づいてほしいものです。
さて、その奇跡ばかり起きている私の、その奇跡の映像がまだ残っていますので公開して起きます。
この動画も昨日の動画同様、いろいろな動物たちの愛らしい姿が撮れています。
いろいろな動物たちが嬉しそうに寄ってくる(あの無表情な魚でもそれが分かるんですから)心から愛を出すならこのような奇跡がいくらでも起きるのです。
もう少し愛を出されてはどうでしょうか。愛を出すなら人のいうことも素直に聞けるでしょうし、人の悪口も人に対する嫌がらせもすることはなくなるからです。
愛は自分おも救うのです。
その愛の少なさ、これこそが一番の不幸なのです。



人目の訪問者です。

先週末は全国的に秋祭りの時期でありました。私の地元も秋祭りでしたので、何年か振りに生まれ育った故郷に帰り秋祭りを見学しました。自分の故郷ですので会う人がそれぞれ気心知れた懐かしい人ばかりでした。生まれ育ったところなので、悪いことも良いこともしたし、迷惑も掛けたものでした。しかし、こうして会えば涙が出るくらい「おう、久しぶり!」「ゆっくり見ていけよ。」と歓迎してくることが嬉しいものでした。そのようにもてなしてもらうことに対しては、感謝という想いでしか表せないものでした。沢山の愛を頂いた故郷の方々には
暫くの間、自分の心に悦びで溢れていました。
それはよかったです。