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10月 14 2015

災い転じて福となす

11:05 AM ブログ

昨日ちょっと不思議な夢を観ました。それを書いておきます。

その夢の中で私は人がたくさんいるところを歩いていました。

私は両方の手に紙袋を持っています。その紙袋の中には大変甘くておいしいお菓子がたくさん入っています。

私は、そのお菓子を皆に配ろうとしているのですが、誰も私に関心がなく、それよりも自分たちがしている遊びに夢中です。

私は、その人ゴミの中で誰にお菓子を渡そうかと思って歩いていると、知り合いの人に会いました。

しかし、その人にお菓子を渡そうとはなぜか思いませんでした。

私がその人に「お久しぶりです」というと「元気」と返してきました。その人とはそんな話を二言、三言して別れました。

そうして歩いていると、段々周りにいる人が減っていき、人がいなくなった道を私は一人で歩いていました。すると先ほどの知り合いの人が後ろからついて来ていて「いま何をしているの」とかいろいろ聞いてきます。

それで適当に答えながら歩いていると、下の道の前方から(私たちが歩いている道は上の道で、少し下にもう一本道がありました)一人の男の人が歩いて来ました。

私はそれが誰だか分かりませんでしたが、後ろにいる人がその人を見て「森田の社長」と声をかけたのです。

私は「えっ」と思いました。あまりに風貌が変わっていたからです。森田の社長とは私の伯父さんであったからです。

その後ろからついてきた人は、確かに私の伯父さんを知っている人でした。

だからその人は前から歩いて来た人が、私の伯父さんとすぐに分かったんでしょうが、それにしても顔も体もずいぶんスマートです。(私の知っている伯父さんは顔も丸くて太っていました)それに片方の足を引きずりながら歩いています。

何か様子が変なのです。(服装も薄汚れた黒い服を着ていました)

後ろにいる人が近くまで来た下の道にいる伯父さんと「元気」とかいいながら話しています。伯父さんも「元気だよ」とかいっていますが、前と比べて顔色も悪ければ、体もずいぶんやせているし足まで引きずって歩いているのです。

私にはとても元気には思えませんでした。

「伯父さん本当に元気なの?」と私が聞くと「おお由紀夫か、ちょうどよかった。お前に聞きたいことがあったんだ」といいます。

「なに?」と聞くと、いきなりチラシのような物を私に見せました。

そのチラシを見るとGTS心の研究所のチラシです。(そういうチラシをつくったことはありませんが、夢の中にはありました)

「これお前の会社のチラシだろ」と聞きます。「そうだよ」と答えると、チラシの中に書かれてある「神」というところを指さして「これはどういう意味なのか教えてくれ」と聞いてきました。

「伯父さんは神を知らないのだな」と思いながら、その神の説明をしようとしたところで目が覚めたのです。

と、このような夢を観たのですが思い当たる節は多々ありました。

私の伯父さんは木材会社の社長をしていて一代でずいぶん儲けたそうです。家にも行ったことがありますが、豪華な家で別荘まで持っていました。(たいした別荘ではなかったそうですが。〔笑〕)

そうしてお金に細かくてずいぶんケチだったそうです。

何年か前に病気で亡くなりましたが、いい家にも住んでお金に細かくてケチであったのなら、亡くなっても、さぞこの世に執着を残しているんだろうなと思ったからです。

多分、伯父さんはまだ地獄にいるのでしょう。

そうでなければあれだけ(やせて)風貌が変わり、足まで引きずったみすぼらしい姿で私の前に現れるわけがありません。そうして神のことまで聞いてくるのです。

生前伯父さんは神のことをよく知らなかったのでしょう。そのような伯父さんの今の状況を私は夢の中で観せられたのです。

それにしても生きている時とは全然違いますね。顔も違うなら(私は全然分からなかったくらいですから)体もやせてしまい(マァ、普通くらいの体系ではありましたが、元々太っていた方なので)足も痛そうに引きずっていました。

あの世(地獄界)に行くとああも違ってしまうのでしょうか。(天上界に行っていてもやはり姿は違うようです。もちろん天上界に行くなら、もっと垢抜けして肌つやもよく若くて生き生きしているそうです。高橋先生のご本に書かれてあります。この世の人たちが野暮ったく見えるそうです)ずいぶん苦労されているようです。

私の伯父さんは別に悪いことをしたわけではありません。普通に仕事をして会社を興して、その会社を潰すことなく一生を終えられたのです。

誰にも迷惑をかけたわけではないのに、それでも地獄に堕ちているのです。

そうして、その地獄界で顔が変わるほどの苦労をして、なおかつ足まで痛めているのです。体がやせるほどの苦労をして体の痛みもまったくとれない、地獄とはそのようなところなのです。

伯父さんはそんな世界にもう何年もいるのです。(もう伯父さんが亡くなって十年以上過ぎたかもしれません)

死後、そういう世界に往きたいのでしょうか?

「自分は何も悪いことはしていない」そんな考えがいかに甘いか、このようなことからもお分かりいただけると思います。

行いが悪くなくても心が悪ければ地獄に堕ちるのです。(それに神のことをよく知らなくてもです。そういう人、たくさんいますよね)

では、心と行いが両方悪ければその人はどれだけ深い地獄に往くのでしょう。そのような人たちが私の周りにはたくさんいるのです。

もうクドクドいう必要もないでしょう。いった通りのことが起きて今日は完全に腰が引けているどこかの会社の人たちもいます。(腰を引いているのならやめとけばいいものを、それでもチョコチョコじゃましているんですから呆れます。これでは今日もまた起きますね。その恐ろしいことがです)

昨日など、人がたくさんいる交差点でブシュブシュではなくファンファン、クラクションを鳴らして通り過ぎていったトラックまでありました。

まるでパニくってでもいるようでしたがどうしたのでしょう?

そうかと思えば何もしていかないトラックもずいぶん増えました。(少し前まではほとんどのトラックにブシュブシュやられたのにです)やっても小さな音でブシュです。それならやらない方がいいと思うんですが…やっていることがずいぶん極端です。

もしかしたら(どこかの会社ではありませんが)私のいった通りのことが次々に起きているのではないですか?

そうであるなら、早く私に詫びを入れたらどうでしょう。この現象はまだ始まったばかりであるからです。これから何年続くか分からないからです。

そうして、そのような人たちが私がいった通りの現象が現れ死ぬのであれば、その行き先は、先ほど私が書いた伯父さんが行っているような地獄では済まないでしょう。

もっともっと深く苦しい世界に堕ちて行かなければいけなくなるからです。(私は嘘は書きません。嘘など書けば奇跡が起きなくなるからです。ここに書かれたことはすべて本当です)

悪いことをしたのは自分たちなのですから、そのまま一生を終えるのであれば地獄に行くのは当然のことです。

だから詫びを入れられたらどうでしょう。

そうして、これまでやったことを反省し、少し心を入れかえられてはどうでしょう。そうすればこれからの人生もよくなり、死後の世界も天上界に往くことになるからです。

災い転じて福となす、まだ今ならそれが間に合うのです。

しかし、その災い転じて福をなしたいのであれば、私が夢の中で持っていた甘くておいしいお菓子を食べなければいけないのです。

(その甘くておいしいお菓子とは法のことです。そのお菓子を食べるとは法を知って実践するという意味です。そうして初めて救われるのです)

2コメント

2 コメント to “災い転じて福となす”

  1. ウナッシー2015/10/14 at 12:45 PM

    私の会社はあまり大きくないですが、社員はいる方です。その中で同じ部署で働いているチーム内でも色々な人がいます。今日は私より先輩の方と話をする機会がありました。その方と最近の朝晩の冷え込みは厳しくなってきましたね。などと話をするとその先輩は待っていたように言うのです。奥様に頼み事をしたそうです。かみさんに冷えるようになったから毛布を出してもらおうと話したらまだ早い、と言って断られた様なのです。自分が甘えているのか奥さまが自己中なのか分かりませんが、そんな夫婦関係の苦労もあるものなんだな、夫婦間の小さな問題だけど本人には、きっと涙なしでは語れないそんな、メンタル的には重大な事をなんだろうと聞いていいました。人生を振り返ると、親子関係に始まり夫婦関係、友達や近所関係と次第に影響力が広がってゆく中で、日常を共にする家族であったり夫婦間は大切なことだと思いを振り返るのでした。

  2. gtskokor2015/10/14 at 8:49 PM

    しかし、毛布くらい出してあげればいいのに、と思いますけどね。(旦那さんが風邪でもひかれたら元も子もないでしょうに)
    夫が働いて、はじめてその家庭はなり立っているという夫を一とする順番が奥さんは分かっていないようです。
    もうちょっと愛が必要ですね。(笑)

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