10月 15 2015
天上界と地獄界
よほど恐ろしいことが起きているのでしょう。ずいぶん静かです。(そんなことが起き続けたら確かに怖いです。昨日も一昨日も起きたようですね。〔怖〕)
何が起きているのかは、さすがにそれをそのまま書いてしまうと、このブログを読んでいる人たちも引くでしょうから書きませんが、それが神の恐ろしさが分かるような現象であることだけは確かでしょう。
あまりに神を恐れ(畏れ)ない人が多いからです。
それでもこのブログを書きだすとうるさくすると思います。悪魔に憑かれる人が出てくるからです。そうなると恐れよりも怒りが先に来るからです。(そのような行いの方がよほど怖いです。恐れよりも怒りが勝るというのですから)
しかし、そのままでは地獄行きは確実でしょう。(そこは私が保証します)これほどの現象が現されているのです。いい加減、心と行いを変えられたらどうでしょう。所詮我々人間は神には勝てないからです。
神の前にはひれ伏すしかないからです。(そういう心に誰もなろうとしません。その傲慢さ、本当に恐ろしいです)
昨日のブログではありませんが、死んでからが長いのです。今の生きている間など永い輪廻転生の期間を考えるなら、ほんの一瞬の出来事なのであり、瞬(まばた)きをするのと変わらないのです。
そんなまたたく間の出来事にそれほど執着し、神に逆らい続けてはどれだけ損をするか分かりません。(どれほど自分の修行が遅れるか分からないくらいです)
何度もいいますが、心を入れかえらえてはどうでしょう。今のままでは確実に地獄行きとなるからです。
昨日も書きましたが、地獄は恐ろしくて苦しいところです。
高橋先生のご本に書かれてありますが、地獄界は太陽の光もまともに届かない(薄暗い世界だそうです)寒くて寂しいところです。
人がいてもどの人も愛がなく、いつ他の人たちに何をされるか分からない、そのような恐ろしい世界なのです。
そうして自分の体に悪いところがあっても、それを治す薬もなければ、治してくれる人もいない、悪いところは悪いまま、痛いところは痛いまま、そのような苦しみの中で生活して行かなければいけないのです。
人の体など指先にほんの小さなものが刺さっているだけでも、それが気になりピリピリ痛むのです。
地獄界で体験する痛みはそんな痛みの比ではないのです。どれだけ苦しいものとなるのか、それだけでも想像していただけると思います。
癌で亡くなるのなら、その癌の痛みを持ったまま(癌の末期はひどく痛むそうですから)交通事故で亡くなったのなら、そのひどい事故に遭った姿で痛みを持ったまま、地獄界で苦しむのです。(最近はよくテレビなどで、そのような悲惨な霊たちの姿を映しています。〔心霊写真や映像など〕あれなどまさに地獄界の映像でしょう。同じような死に方をしても、そのような死に方に執着がなければ、あれほどひどい姿にはなりませんが)
とにかく、地獄界になど行けばよいことなど一つもありません。そのような恐ろしくて苦しい世界が地獄界なのです。そのようなところで自分が悪かったと反省出来るまで修行するのです。
それとは逆に天上界は、それこそ絵にも描けないくらい美しくて楽しい世界です。
高橋先生が菩薩界といわれる場所に行かれた時の話です。
その場所は太陽の光がこうこうと輝き(その光は、夏のような強い日差しではなく柔らかで安らぎのある光であったそうです)一面にきれいな芝生が生えていて、その芝生を踏みしめると、その足を押し返してくるくらい生き生きとした芝生であったそうです。
あちこちで鳥の声などが聞かれ、生きる息吹がそこかしこに感じられ、そのような大自然があふれる中、あちこちに人の集団があり、その場所で静かに祈りを捧げている人や瞑想をしている人、あるいは神のことを語っている人たちなどが、たくさんいたそうです。
そのような人たちの集団を見ると、日本人だけとか、アメリカ人だけ、などというのでなく、いろいろな国の人たちが集まっていて、互いに心の勉強をしていたそうです。
そのような場所に大きな舞台のようなものがあり、高橋先生はその舞台のような場所から、芝生に腰を下ろしている多くの人々(菩薩界の人々)に向かって講演をされたそうですが(もちろんその場に腰を下ろしている人々は、白人から黒人から黄色人種から、いろいろ国の人が集まっていたそうです)そこは非常に心安らぐ調和された世界であったそうです。
少し書いただけですが、地獄界と天上界ではこれだけ違うのです。
死後、どちらの世界に往きたいのでしょうか?誰だって天上界であると思います。(完全に地獄霊に憑かれている人は地獄界というかもしれませんが)
天上界に往くには、この世の今の生活が連動してくるのです。
昨日私はまた庄内川に行きました。例の場所(南陽大橋の下)で休憩をしていると、しばらくすると前の水面にたくさんの小魚が集まってきました。(五~六センチくらいの小魚です)
こういうことは初めてです。もっと小さな小魚が目の前に集まってきたことはありますが、ある程度育つと魚たちはあまり近くには警戒してこなくなります。(手すりなどが前にあれば別ですけどね)
しかし昨日は、私が手で捕まえられるくらいのところにまで(五~六センチクラスの)小魚たちが寄って来て泳ぎ回っていました。
「お前ら元気だな」と声をかけると、嬉しそうにバシャバシャ勢いよく泳ぎ回ります。鳥たちも騒いでいましたし、カニなども何匹か出てきていました。
このような楽しそうな生き物たちの姿を見ていたら、まるでそこがそのまま天上界のようでした。(ちょっと川の水が汚いのが〔何せ黒く濁っていますから〕玉に瑕ですが)
いってはいけませんが、私は前には起きていなかったような善いことが、だんだん起きてくるのです。
それに引き換えこの辺りの人たちは、前には起きていなかったような悪いことがだんだん激しく起きてきています。(予想通りチョコチョコじゃましていますが、大丈夫ですか?また恐ろしいことが起きないか心配です)
このような現象一つとっても、どちらがよいことをし続け、どちらが悪いことをし続けているのかは一目瞭然であると思います。
どれだけやけくそになったところで、その間違いは後できっちり反省させられるのです。(地獄界で)
これだけ世の中が変わってきたのです。(善悪がはっきりと分かる世の中にです)
早く今の時代に追いつかなくてはいけないのです。



人目の訪問者です。

webサイトで次の記事を見つけました。心が原因で子供の目が見えなくなるというものです。それは「日常生活で社会的、または心理的なストレスによって、眼の機能に障害が出る場合、これを「眼心身症」といいます。眼心身症では、眼そのものはもちろんのこと、視神経や大脳の視覚野などにも異常はありません。「見る」という機能が障害されるのみで、言わば「眼のノイローゼ」とでも表現できます。」というものです。どうやら心因性視力障害物となるのだそうです。その原因は母子関係であったり、両親不仲、お稽古事、いじめや塾等によるストレスとされていました。
医学の進歩で新しい病気が発見されてますがその原因は心にあるものだと、これまで見えない領域に踏み込みはじめてきているように思いました。これを機に多くの方が心について疑問をもち正しき法に導かれることを望みます。
本当にそうです。早く病の本当の原因に気づいてほしいものです。(心にあるとです)
今日は知多の海に行ってきました。また凄い奇跡が起きました。