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11月 06 2015

神の意志に従う

11:16 AM ブログ

昨日は名古屋港に行ってきましたが不思議でしたね。

魚が一匹も跳ねなかったからです。

最近はよく魚が跳ねていましたが「こういう跳ねない日もあるんだな」と逆に跳ねないのが不思議に思えてくるんですから変われば変わるものです。(笑)

不思議なことが毎日のように起きると、そういう場所に行って何も起きない方が不思議に思えてきます。ずいぶん感覚が変わってしまいました。(笑)

こういう日はすぐに水族館に行きます。すると水族館で面白いことが起きるからです。

面白いことというか、相変わらず可愛らしかったですよ。イルカやベルーガやシャチなどです。

ベルーガなど私が顔を出すと急に泳ぎ方を変えて、底すれすれにゆっくり泳いで私の足元まで泳いできて、急に私の目の前で浮かび上がったり、私の方に泳いできて目の前で反転したりしているのがいます。

そのような仕草を見ているだけでも可愛らしいのですが、イルカなども私が見ていると、何度も水面に上がってきて、声を上げたり、こちらをチラチラ見ていくのが何頭もいました。

そのうちの一頭が、私の目の前で水面から顔を出したりしずめたりして遊んでいます。逆に尻尾の方から体を出すイルカもいて、これもまた可愛いんですが、その奥にあるプールではシャチが飛び跳ねていました。

あれだけ跳ねているシャチを見たのも初めてですが、あんなでかいシャチが飛び跳ねるのです。プールのあちこちに体をぶつけるようで、ガンとかバシッとか凄い音を立てていました。

「あんなに跳ねて大丈夫か?」とこちらが心配になりました。

そのような大きなのばかりでなく、小さなイワシなども面白いことをやってくれました。

名港水族館はイワシも大量にいるのですが、そのたくさんいるイワシを見ていたら、右から来た大量のイワシと左から来た大量のイワシが、私の目の前で合体して超大量のイワシが目の前でグルグル回っているのです。

「何だこれ凄いな」とかいいながら、動画を撮っていましたが、そのような迫力のある動画(さっきのシャチもそうですが)やイルカやベルーガの愛らしい動画も撮れました。

あちらがダメな時はこちらと、まるで今日はこちらはいいからあちらに行けと、目に見えない何かが導いてくれているような、そんな気がしてなりません。

この世はこの世だけではなく、明らかに目に見えない何かの力が作用しています。

それこそが神の意志であり天の導きなのです。

その天の導きに従えば奇跡が、逆らえば災いが起きます。

だから、そのような天の導きを知らなければいけないし、また、そのような神の意志に逆らってはならないのです。

それなのに、その神の意志に逆らいまくっている人たちが多いのです。だから災いばかり起きるのです。

今日も朝からこの辺り、よくサイレンがしていますが(これみんな私のせいですから。あちこちで怒っている人がいます)このような病気は、この世の肉体だけにとどまらないのです。

例えば、癌になって死んだ人がいたとします。

その人は死ねば楽になると、周りは思っているのかもしれませんが(死に顔は眠ったように死んでいるだけですので)しかし、その癌で亡くなった人の魂は、その癌の意識を持ったまま死んでいるのです。

ということは、その人の魂は、その癌の意識のまま、ただ魂が肉体から離れただけですので(癌の末期は死ぬほど痛みがひどいといいますが)その意識は(末期の)癌の痛みを引きずったまま苦しんでいるということなのです。(だから相当いたいと思いますよ)

外見からはそれが分からないだけで、本当は死んだ後も、その癌で亡くなった人などは、その癌の痛みで苦しみ続けているのです。

つまり、苦しみながら死んだ人は実際は死んだところで、その苦しみからは抜けることが出来ないということです。(臨死体験などの体験本など見ると、死んだらとたんに体が楽になったと書いてありますが、ああいう人はごく一部です。〔または天上界に行けるような心の持ち主です〕だいたいの人は、その死ぬ時の意識を強く引きずります。だから苦しんで死んだ人などは、その苦しんだ意識のままあの世に行くのです)

だから、年寄りだからと、もういつ死んでもいいからと、無茶なことをしますと、そのつけは死んだ後に払わなければいけなくなるということです。(この辺りは年寄りが無茶してきますからね。〔普通は若い奴でしょう。無茶するのは〕私に平気で嫌がらせをしてきますが〔自分は年寄りだからもうどうなってもかまわないとです〕その死んだ後が長いのです。そのようなつけは地獄界で払わないといけなくなるからです。肉体が若かろうが年寄りだろうが関係ないのです。正しい判断ができなければ、その反省はどこかでさせられるのです)

だから、年寄りであろうと、若者であろうと、そのような神の意志は理解しないといけないのです。

生きている間はともかく死んでからが困るからです。

生きている間は、悪いことが起きても、なんとかごまかして生きていけるかもしれませんが、亡くなると(肉体がなくなると)その災いが一人一人にまともに現れてくるのです。

そこが肉体の世界ではなく意識の世界であるからです。神の意識は一人一人の意識と繋がっているからです。

だから、その神の意志に逆らっているということは、即ち、その神の意識に逆らっているということです。

そうであるなら、その意識が(神の意志に逆らっている思いが)なくなるまで、徹底的に意識改革が行われることになります。

それが地獄界での修行なのです。

地獄界での修行とは簡単にいえば意識改革です。(そうですよね。もう肉体などないんですから。意識だけなのですから)

この世の修行に出て、その修行に失敗して間違った意識を持ってしまったため、その間違った意識の意識改革のため厳しい環境に置かれて自分の意識をもう一度叩き直す、分かりやすくいえば、地獄に堕ちるとはそのようなことでしょう。

だから、今のうちから神の意志に従う、天の導きに従うことをしていかないといけないというのです。

そうすると奇跡が起きるというのはもちろんですが(それは天上の世界そのままです)その天の導きに従うことが、自分の本当の使命を果たすことになるからです。

この世に出てきた目的は自分の本当の使命を知ることにあるのです。(園頭先生もいわれていました。「この世に生まれて来た目的は、この世に生まれて来た目的を知ることである」とです)

天の導きに従うのであれば、その自分自身の本当の使命を知ることが出来ます。自分の本当の使命を知り、それを果たすことが出来るのであれば、自分の心の向上はもちろんですが、死後の生活まで安泰(天上界)であるということです。

しかし、そのような神の意志に逆らい続け(我ばかり出してです)この世の栄耀栄華だけを望んでいるのであれば、この世だけはなんとか面白おかしく生活できたとしても、その後は地獄での生活を余儀なくされるということです。(もちろん、自分の本当の使命も果たせず心の向上もありません。では、何のためにこの世に出てきたのか?ということになります)

ずいぶん神の意志を無視している人たちが多いのですが、大丈夫ですか、それだけ我を張っていてです。(この世に出てきた意味なくなりますよ。我ばかり張って間違ったことやっているんですから)

そんなことをしていても一つの得にもならなければ、このような時代となれば、どんな災いが現れるかもしれません。(ずいぶん災いが現れているようですが大丈夫ですか?)

どれだけ災いが現れても、それでも、そのような心と行いを変えようとしませんが、そのように突っ張っていられるのも今だけなのです。

死んだあとは、そのような突っ張りなど屁の突っ張りにもならないのです。

今の苦しみより、あの世地獄界での苦しみは、その数倍、数十倍にもなります。

今のうちにもう少し素直な心をもつ練習をされてはどうでしょう。そのような心が唯一自分を救うからです。

(神の業が現れて死んでいった人はみな地獄界です。本当に大丈夫ですか?…すいません、今日のブログはまたこちら中心になってしまいました。本当に周りにいろいろなことが起きていますので、それはご了承ください)

2コメント

2 コメント to “神の意志に従う”

  1. ウナッシー2015/11/07 at 7:43 AM

    最近はメディアネタが多いですが、今朝は鬱病を見ました。その鬱病でも隠れ鬱と言われる老人性鬱病を解説していました。何故隠れ鬱なのか、それは認知症の病状と似ているため見逃す事があるからだそうです。鬱病はセロトニンという物質が老齢期に入ると減少するために起きる症状だそうですが、老人性の場合は原因の一つに伴侶との永久なる別れだそうです。これまで年月を重ねてきた故に起きる心因的なものだと言っていました。事実取材で訪ねた家でも年を重ねたご婦人が、今は症状も薬とカウンセリングで改善されて発症から現在までを話されていました。しかしながら、当然連れ添った伴侶との惜別は悲しいし、淋しくなることには同情しますが、それは生きる目的が目の前のことにだけ頑張り過ぎた結果なのではないでしょうか。伴侶を通して自分の心の成長を喜びとし、それをバネに縁ある方々へとその輪を拡げていくことを共に実践していればもっと素晴らしい現在になっているように思えました。色々な悩み事を人は抱えているのであり、そういった事を見ることができる事も勉強とし真摯に取り組んで参ります。

  2. gtskokor2015/11/07 at 1:38 PM

    そうですね。このような病気も法を知らないため偏った心がつくりだした病の一つでしょう。
    年などいくら取ろうと、心に偏りがなく満たされているのならばこのような病気になることはないのです。
    様々な現象が現れ始めました。法の流布が急務なようです。

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