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5月 03 2011

法を伝える使命②

10:43 AM ブログ

私は(天より示されて)如来の法を受け継いだ者だと思っております。

ということは、それこそ死ぬ気で真剣に法を伝えなければならないと思っていますし、決して伊達や酔狂で法を伝えるわけではないのです。

であるならば、高橋先生と園頭先生から法を受け継いだ私が、他の仕事をしながら法を説くことができるのでしょうか?

神の教えを真剣に伝えなければならないのに、他に仕事をしながらやっているということは、逆に言えば真剣に神の教えを伝えていない、ということになるのではないでしょうか。

高橋先生ほどの方ならともかく、私程度の者が他の仕事をしながら法を説いていて、法が拡がるはずがないのです。そのことだけを真剣に集中してやらなければ、世の人々に伝えられるはずがないのです。だから、ブログが書ける時間(それは午前中に二時間前後あるだけです。それ以外は父が家にいてパソコンの音をうるさがるので、集中してブログが書けないのです)は書いて、書けないときは公園でも行ってブログの内容を考えたり、漫画喫茶や図書館に行きブログの情報収集をして、多くの人に法がより分かりやすく伝わるように努力しているのです。

天も法が拡げられなければ死ね、と思っているのでしょう、そのような現象が私にはいろいろ出ました。

だから私はこの“法を拡げること”以外で、飯を食うつもりはありませんし、この法を拡げることができない時は自分が死ぬ時であって、それが法を継いだ者の務めであると思っています。でなければ、この一年ほとんど売り上げらしい売り上げはなかったのです。これでは仕事として成り立ちません、普通ならとっくにやめているでしょう。

しかし、自分が法を伝えなかったら誰が伝えるのか、という気持ちと高橋先生と園頭先生から法を受け継ぐということは、そんなに軽いものではないという責任感から、続けているのです。

天も私がそのような気持ちであるのを知っていますので、協力してくれるのです。

私は、自分の書くことが(少々くらいの間違いなら天に諭してもらえるのですが)間違っていても死ぬのであるし、法が拡がらなくても死ぬのです。つまり、法を正しく拡げる以外、私に生きる道はないのです。

巷で私が高橋先生の教えを継いでいるだの何だのいう人に、そんな覚悟があるのでしょうか?

これは別に私だけが、特別こんなことを思っているということではないでしょう。前回書きましたが、聖書に出てこられる預言者の方々など、皆同じ思いで法を世に説いていかれたと思います。(であるからこそ天〔ヤハウェー〕も味方するのだと思いますし)

私もそのような方々と心のレベルは違うにせよ、同じ修行(四十日四十夜の断食)を今生させられた者として、命がけで世に法を伝えなければ、高橋先生や園頭先生は当たり前として、そのような過去に預言者としてこの世に出てこられた方々にも申し訳ないのです。

だから私は何度もブログを書きながら、私の書いていることに間違いがないと思われる方は、ぜひ法を勉強していただきたいし、その法を拡げるため賛助会員になっていただいて、法を拡げることに協力してほしいと呼びかけているのです。

しかし、ブログを再開し、一年以上たってもまだ誰もそのような協力者が現れません。まだ、気づきませんか?何で今、これほどの異常気象が日本に続いているのか。

私がそれは天が起こしているのだ、天が操作しているのだ、と何度も申し上げてきました、今ある人々の心がこのようなことを起こしているのだ、と何度も言ってきたのです、しかし、いつまでたってもそのことに誰も気づきません。

一体いつになったら気がつくのでしょう。天はそれに気づくまで気づきを与え続けることになります。

私は前にも言いました。本物の神の使いは天が味方するのだと、そういっているのにまだ誰もそのことに気づいてないのです。

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