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11月 09 2015

命懸け

10:58 AM ブログ

今日も朝からやたらキレている人がいますが(悪魔軍団の中にです。一人でガンガンやっています)神の業に休みは関係ありません。(日曜日だったのに残念なことです)

一刻も早く心を入れ替え詫びを入れることです。それ以外、その恐ろしい現象を止める手立てはないからです。

昨日の動画のようなあのような奇跡が次々に起きているのです。逆の災いも激しくなるばかりでしょう。

今はまだその程度で済んでいますが早く反省されることです。いま以上の恐ろしい現象が現れだしてからでは遅いからです。

昨日の動画を観ていただければ分かると思いますが、あれだけ多くの鵜が寄ってくるでしょうか?

そうして多くの魚たちが、波打ち際まで寄って来ているのです。考えられますか?(どれくらいの数がいたか分かりませんが、あの魚たちの姿がまとも見えていたら凄かったと思います。私の目の前だけではなく〔右側はもちろんですが〕左側にも少し沖の方でもたくさんバシャバシャやっていたからです。だからあの辺りの波打ち際に数千、数万の魚たちが寄ってきていたと思います)

このような動物たちは本能だけで生かされているといいますが、なぜ、本能だけで生きているはずの動物たちが、これだけたくさん私の近くに寄って来るのですか?

このようなことは過去にも起きています。

仏典には釈尊が説法をしているとすずめや鹿が寄って来て聞いていたといいますし、キリストが起こされた魚の奇跡も有名です。

このようなことを考えますと、本当に動物たちは本能だけで生きているのでしょうか?

そうではないという証明が私の動画なのではないでしょうか。

動物たちは、ただ本能だけで動いているのではなく自分の意志がちゃんとあって、そうして、その意志が神の心を知りたがっているのであり、そのような自分の意志で、神の心を教えてもらえる人の近くに来ているのです。(だから釈尊の説法をすずめや鹿などが聞きに来ていたのです。神の心を知りたかったからです。では動物たちは人間より確かな目を持っているということになります。本物が誰か分かっているからです。それだけ動物たちの心は純粋なんでしょう。そのような純粋な心が本物が誰かを見抜くのです)

私の動画が、どのような動物たちにも(もちろん魚に至るまでです)自分の意志があるということを示しているのであり、自分の意志があるのなら私の近くに寄ってくるのは、ある意味当たり前の行為であるのです。

このような動物たちも神につくられた神の子であることには変わりがないからです。ただ人間とは、その使命と役割が違っているだけであり、動物たちも神の子であるならば神の心を知ろうとすることは必然の行為であるからです。

動物たちでさえ、神の心を知ろうとこれだけの態度を取るのです。(命懸けですよ。鵜やサギやカモメなどがたくさんいる海の波打ち際に多くの魚が寄ってくるのですから)

それなのに、なぜ万物の霊長である人間がその神の心(神理)を知ろうともせず、自分勝手なふるまいばかりしているのでしょう。

それでは当然、天罰が下るのではないでしょうか。

動物たちでさえ、神の心が知りたくてこれだけ必死になっているのに、その神の心を一番知らなければいけないはずの万物の霊長である人間が、いつまでたっても神の心を知ろうとしないからです。

この神の心は(神理は)人間だけを対象にしたものではありません。生きとし生けるものすべてが基準としなければいけないものであり、だからあちこちで説かれなくてはいけないし、実践をしないといけないのです。

私たち人間は万物の霊長として、そのような動物たちを神の代わりに指導する立場として、そのような行いが動物たちの手本ともなるからです。

前に書きましたが、この地球上のすべての人間が調和されれば動物たちの世界も調和され、肉食動物は草食動物を襲わなくなり(肉食動物には他の食べ物が出てくるそうです。そうして草食動物も増えすぎないよう天がコントロールしてくれるそうです)鹿とライオンが同じ場所で昼寝しているという光景が見られるようになる、と高橋先生はいわれていました。

私は自分に起きている、このような動物たちの奇跡を思うと、その先に、そのような奇跡的な世の中が本当に現れるのではないかと思えるのです。

私が歩いているだけで多くの鳥が寄って来ます。魚も同じなのです。

そればかりか動物園にいって実感しましたが、獰猛(どうもう)といわれている猛獣たちも人の心が変われば決して人を襲うことはないだろうとも思えるのです。

私の前では、可愛らしい態度を取る猛獣たちがたくさんいたからです。

豹やライオン、熊などもそうでした。トラは微妙でしたが(笑)ほとんどの猛獣といわれている動物たちは可愛らしかったです。(そういう態度を取りました。それは動画に撮ってあります)

犬や猫など可愛らしいといわれる動物たちだけではなく、どのような動物もすべて可愛らしいのです。その心はみな同じだからです。みな神に通じているからです。

私たち人間が神の心を知り、実践するなら、そのようなすべての動物たちとも調和できる素晴らしいユートピアが現れるのです。(人が大調和すれば、そのような猛獣たちとも共存できるということです。猛獣たちが人を襲うこともなくなるからです)

そういうユートピアは実現しますし、また、そのようなユートピアをこの世に実現するため、私たち人間はこの世に出て来ているということです。

それなのに、そのユートピア実現のための神の教えを人間が真剣に学ぼうとも拡げようともしないというのですから、そのような行為は動物より劣る行為であるということです。

すでに動物たちでさえ、そのような運動(法の流布)を行っているからです。

私の動画を観てくだされば分かると思いますが、これだけの奇跡的なことを多くの動物たちが人の前で行っているのです。これは動物たちの神の運動、即ち法の流布以外の何ものでもないのです。

こういうことが起これば嫌でも人が注目するからです。

動物たちでさえ(命懸けで)法の流布に協力してくれているのです。それなのに、なぜ多くの人々がそれを少しもしようとしないのですか?

くだらない意地や妬みやひがみで法の流布をじゃまするのでしょう。

それは悪いことなのではないでしょうか?だから天罰が下っているのでしょう。

本当に万物の霊長とは思えない態度を取っている人が多いのですが、その命懸けの動物たちの法の流布に協力してくれている動画がまだ残っています。

それも公開しておきます。

そのようなけなげな動物たちの動画を観て(そう考えるなら私の動画は涙なしでは観られませんね)自分たちの態度を少しは反省してください。

今回の動画は庄内川のエイや(川にエイがいるとは初めて知りました)名古屋港で次々に飛び跳ねる魚などが映っています。

みな命懸けで法の流布を行っています。

万物の霊長である人間がいつまで遊んでいるのですか?

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