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11月 10 2015

天罰

11:24 AM ブログ

また昨日も面妖でしたね。庄内川の帰り道です。

昨日など中学生どころか小学生まで一人もいませんでした。いつもなら夕方五時半前後の時間帯は、あの道はたくさんの小学生や中学生が下校途中のはずですが、昨日はその小、中学生が一人もいなかったのです。(両方とも一柳でしょう。中学校の隣に小学校がありますから)

まるでゴーストタウンのようでした。(苦笑)

しかし、急にですからね。どうしたのかと思い、そのような広い通りばかりでなく中の細い道も歩いてみましたが、小学生や中学生は全然いません。

「いないな」と思いながら私がいつも歩いている道に戻ると、なんと二人の女子中学生が歩いているではありませんか。先ほどまでは小、中学生はいなかったはずなのにです。

どうも私が通りすぎたとたん(私は一柳中学の横を通って行きますので)一柳中学から生徒が出てきたようで、私は中学生にも見はられているようです。(ヘリだけではなく中学生からも見はられるとは。相変わらず集団ストーカーは続いています。〔笑〕)

しかし、その一柳の生徒の態度がまったく変わっていたのには驚きました。

私より少し先を歩いていたその中学生二人組が信号で止まりました。それで私が後ろからその二人組に追いつくと、その二人は最初は私を無視していましたが、私がそちらを見ていると一人の中学生がやたらとこちらを見てきます。

その中学生たちが持っているかばんを見ると一柳と書いてあります。やはり一柳中学の生徒のようでした。

それで私が「何か用か」と声をかけましたが、最初はその一柳の生徒は私の声を無視していました。こちらをただ見ているだけだったのです。

それで何度か「何か用かと聞いているだろう」と声をかけると、やっとハッとして顔をそむけます。

するともう一人の中学生が「すいません」を連呼して、何かしらいいわけみたいなことをいっていますが、よく意味が分かりません。

えらい態度の変わりようで何か焦っています。(私に祈りをさせないようにしているように見えました。私は生意気な態度をとる生徒たちには即その場で祈ることにしていますから)

それで私が「何かあったのか?」と聞きました。

しかし「いま友達と話していましたのでよく分からなかったのです。すいません」みたいなよく分からない返事ばかりしてきます。

マァ、起きていることをはっきりいいたくないのでしょう。(どこの連中も同じですね。〔苦笑〕)

では、起きていることを正直にいえて、自分たちが悪かったと詫びを入れるようになるまで待たないといけません。

では、待つしかありませんが、わずか一週間です。一週間前までは、私の顔を見れば嫌がらせをしてきて、そうして私がそれに何かいったら散々バカにしていたのです。

そのような連中が、逃げ回り、すいませんを連呼しているのです。ずいぶん変わりましたね。何が起きているんでしょうか?

しかし、わずか一週間で(というか、すぐ出ましたよね。先週末から急に帰り道いなくなりましたから)それだけ祈りが聞かれるのです。よほどこの連中、私の悪口をいっていたようです。

そうでなければこれだけすぐに現れないでしょう。現象がです。(凄いですね、どこかの会社以上です)

どちらにしても私の評判が悪いままでは法は拡がりません。

その(すべて私が悪いという)誤解は解かないといけませんが、天は小学生も中学生もありません。肉体など観ていないからです。心しか観ないからです。

ですから、あまりに強く間違った考えを持っているなら(私が悪いと強く思いこんでいるなら)そのような者は小学生であろうと中学生であろうと、あの世に引き上げられてしまいます。

この世のようにまだ小さいからとか、世間を知らないとか、そのような甘えは天には一切通用しません。あまりに間違いがひどいなら(この者は間違った考えを全然反省しないと天が判断すれば)恐ろしい病にもなるし(そういう病気になった人いませんか?)恐ろしい出来事にも遭うことになるのです。(不慮の事故とかです)

別に子供たちを脅すわけではありませんが、天は肉体が大きい小さいは関係ないのです。

そうであるなら、今のままの心ならこの者たちに何が起きてくるのかは、はっきり書いておいた方がいいでしょう。

それが一番、そのような子供たちを救える方法であるからです。

私は、あなたたちに恐ろしいことが起きるようにと祈っているわけではありません。

人に対して祈る祈りは全部自分に返ってきます。そんな祈りをすれば自分にも恐ろしい現象が現れることになります。だから絶対そんな祈りは出来ないのです。

私はただ「この者たちを正しくお導きください」と祈っているだけなのです。

そういう祈りであれば、その祈りが自分に返ってきても私も正しく導かれるだけだからです。

私は多くの人を祈っていますが、そのような祈りしかしていないのです。

しかし、そのような祈りならどれだけ自分に返ってきても、すればするだけ自分も正しく導かれるだけですから、私はよけい正しい方向に行くということになります。

だから、私には奇跡が起きているのです。そうして、その起きる奇跡もだんだん大きくなっているのです。正しい祈りをよくしているから、それが自分に返ってきて常に正しく導かれているからです。(人に対する祈りで、自分もどんどんよくなるのですからこれ以上のよいことはありません)

私は、そのような祈りをしているだけなのですから、では、私に祈られた人も私と同じように奇跡が起きて来なければいけないはずですが、なぜ、私に祈られた人はみな不幸な現象が現れるのでしょう?

それは祈られた人が間違っているからです。

自分たちが間違ったことをしているから「正しくお導きください」と私が祈ると、そのように祈られた人に恐ろしい現象が現れるのです。

その人の間違いを天が正しているからです。

私はその人のことを天に祈っているのです。これ以上の正しい判断が出来るところもないのではないでしょうか。

だから、私が祈って人を不幸にしているというのは間違いなのであり、その人が私に祈られて不幸になったのなら、それは、その人が悪いから、そのような道がついた(不幸になった)のであり、私のせいではないのです。

私が祈ったからそうなったのだろうという人もいますが、何度もいっていますが、私は悪いことをしてこない人を一方的に祈ったことはありません。

私に対し(またはあまりに目に余る悪いことしている人は祈りますが)嫌がらせのようなことをしてくるから、そういうことを人にやっていては本人のためにならないと祈るだけであり、別に私にかかわりがない人など祈りません。

自分が人に対して悪いことをしているのに、私に祈られて不幸になったとはどういうことでしょう。自分たちがしている悪いことは棚に上げてです。

つまり、そのような人たちは、私が祈って悪いことが起きたのではなくて天罰を受けているだけなのです。私の祈りは、そのきっかけにすぎないということです。

天罰とはお分かりであると思いますが、天が下す罰のことであり、それは自分のした悪事の報いなのです。

「お前に少し嫌がらせをしただけだろう。なんでそれくらいで天罰を食らうのか」という人もいますが、それは部分にすぎないのであり、そういう人は普段から多かれ少なかれそのような悪いことをしているのです。

その普段からしている悪いことの報いを私の祈りをきっかけにして受けただけであり、悪いことが起きたことを私のせいにするのはお門違いなのです。(つまり私の祈りで自分がつくった罪の報いを早く受けたにすぎないのであり、その人はどちらにしてもそのような天罰を受けたのです。自分の心と行いが悪いからです)

そうして、その少しの嫌がらせにしてもです。

心が健康な人にそれをしたところで大して気にもしないのでしょうが、心が不健康な人にそれをしたらどうなるのでしょう。

その少しの嫌がらせで自殺してしまうかもしれないのです。

そうであるなら、その少しの嫌がらせも大きな罪となります。それがきっかけで人一人が死んでしまうからです。

マァ、これは一つの例ですが、私がいいたいことは人はみな同じではないということです。

友達や、そこらの人に嫌がらせをしたところで大した罪にはなりませんが、その嫌がらせをした人が総理大臣であったならどうなるでしょう。

そのやり方次第で下手をすれば警察にしょっぴかれます。

つまり同じ嫌がらせにしてもやる人により大きく罪が異なるということです。

心の世界から観れば、法を説く人が一番大事な(えらい)人なのです。その人に誤解があるとはいえ嫌がらせをしてしまったのなら、大変大きな罪となります。

それを子供であろうと大人であろうと理解しなければいけないということです。

その理解をいつまでたってもしようとしないため、私が少し祈っただけで大変恐ろしい現象が現れる人たちがいるようですが、それは、そのような諸々の配慮が足りないための天罰であるということです。

この世の勉強とはこのようなものなのです。

見たままのすべて一律で物事が存在しているわけではなく、目に見えない心の世界のことまでよく考えて行わないといけないということです。

今の人たちは、そのような配慮があまりに足らないのです。

しかし、天は小学生であろうと中学生であろうと、金持ちであろうと貧乏であろうと、そのような外見には一切かかわりなく、心だけ観て、その心が悪い者には罰を下します。(気づきを与えます)

自分に起きている悪いことは(もちろんよいこともです)すべて自分自身に原因があるということを銘記すべきでしょう。

これまでの考えを早く反省することです。(間違っているのはあなたたちの方だからです。だから私に祈られて悪いことが起きるのです。自分たちが間違ったことをしているからです)

そうしなければ、その現象は止まりません。

人のいうことに惑わされず、今起きている現象も考えて自分で判断してください。

それがどちらにしても一番の心の勉強になるからです。

2コメント

2 コメント to “天罰”

  1. ウナッシー2015/11/10 at 12:44 PM

    先日の警察官が交際女性を殺害した事件が有りましたが、家内が見ていた番組でその検証をやっていました。しかし、心の持ち方の大事さが分かる内容でした。(見て感ずいた方もいると思います)
    警察官は女性癖があり多重交際もしてましたが、何と既婚者であったのです。それに気付いた彼女は始め奥様へ心配掛けまいと決めましたが、泣きながら友達に既婚者であった悲しい心を打ち明けたのです。その友達に会った時に言われたのは「泣き寝入りするなんて、制裁を加えた方が良い」と言われ心を変えたそうです。そして面と向かって正々堂々と公にすることを訴えた結果、悲しい末路となったようです。殺めたのは当然悪いとして、問題は己の心をどこまで豊かにできるのかなのであり、全ては自分の心が決めてゆくことを知らなかった故の事であると思いました。本当に心の勉強は厳しいものであることを知らされました。

  2. gtskokor2015/11/10 at 1:57 PM

    こういう事件を一見すると、たしかに悪いのは、そのようなことをしていた警察官なんですが、こういう男でもです。
    妻の愛で変えられるのです。
    妻の愛で、この警察官の心が変わっているのなら、どのような女性と出会おうとこのような悲劇は起きなかったのです。
    こういう事件を聞くたびに、妻の愛の大事さ、女性の愛の大事さを思います。
    もっと愛を出す女性が多ければこのような事件は減ります。
    愛の偉大さをもっと説かないといけませんね。

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