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11月 27 2015

法の価値

10:59 AM ブログ

急に寒くなりましたね。

北海道など十一月としては六年ぶりの大雪となっているそうですが、今日も大荒れの天気になる予報が出ています。

相変わらず北海道の異常な異常気象は続いていますね。

鹿児島は、そのような異常な異常気象は収まりました。(多少の異常気象はあるんでしょうが)おまけに桜島の爆発的噴火まで収まってしまいました。

あれだけ異常気象が激しかったのに、よその地域よりも起きる現象が静かになっています。

北海道も早く原発を動かした方がいいでしょう。鹿児島が、これだけ極端に起きる現象が変わったのも、あの原発を動かしてからのことだからです。

私は自分に起きる奇跡だけではなく、少しアドバイスしただけで奇跡が起きたり、こういうこと(原発などの功用)も伝えて、現実にそのような奇跡も現れているのに(こういう静かになったことは、奇跡ではないと思う人もいるかもしれませんが、とんでもありません。鹿児島はあれだけ異常な大雨が続いていたのです。それが急に収まったのですから〔それは桜島の爆発的噴火も同じですが〕こういうのも奇跡というのです)こちらもまた相変わらずで評価の悪いこと悪いこと、昨日もまた中学生と大喧嘩(おおげんか)になりました。

庄内川からの帰り道のことなんですが、歩いていると、そこらの家から出てきたオバちゃんに嫌がらせされましたので、そこで辻説法を始めたのです。

「オバちゃん、浜松では一週間待ちだそうだよ。一週間待ち。火葬場が一週間待ちだってよ。凄い人が死に始めたんだって。名古屋だけじゃないんだぜ、怖い現象が起きているのは。それなのになんで名古屋の人だけ(特別名古屋の人たちだけではないんですが)怖い現象を俺一人のせいにしているの。ボケっとしていたら皆死んじゃうぜ」

「俺には、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているの知っているだろう。同じ奇跡が起きるということは同じ神理を説いているということだ。その神理を聞いて実践しないと、その恐ろしい現象からは逃れられないんだ。悪いことをみな俺のせいにして、俺のことをいつまでも悪者にしていていいのか。それだと救われ道がなくなっちゃうぜ」

などと大きな声でしゃべっていたら、私の横を学生服を着た中学生が二人(マァ、高校生かもしれませんが)自転車で走って行きました。

その時に、一人の中学生が私に向かい「うるせー」といったのです。(一柳の生徒ではないと思います。一柳の生徒は庄内川の帰りはもう全然見ませんから)

それで私が「何がうるさいか、本当のことだろうが」とその中学生たちにいうと、少し走った先でその中学生二人が自転車を止め、こちらを振り向いて「お前、頭おかしいんじゃないのか。精神病院へ行け」とかなんとかいい返してきたものですから、そこで私もいい返して、二人の中学生と大喧嘩になったのです。(苦笑)

わりと家に近いところでしたので、私のことを知らないとは思えません。知ってていったのでしょう。

「お前ら死んでも知らねえからな」といっておきましたが(向こうは「お前が死ね」とかいっていましたが。〔笑〕)本当に死ぬかもしれません。辻説法のじゃまをしているからです。(なにせ、法の流布のじゃまをしている人たちに凄まじいことが起きていますから)

法の流布のじゃまをするのです。では、自分に何が起きても文句はいえないでしょう。法とは、それほど大事なものであるからです。

何でそれくらいのことで死ななければいけないのか、などと思っている人は考えが甘いのです。釈尊やキリストが説かれた法とは多くの人を救う力があるのです。その法の流布をじゃましているのです。

それは多くの人が救われるのをじゃましているのと同じことなのですから、それ相応の現象は現れてきます。

それを、そんなことでだの、お前のせいだの、いくらいったところで、それほどの悪いことをしているという自覚がない自分が一番悪いのです。

自分に起きた悪いことをどれだけ人のせいにしたところで、その悪いことが起きて一番苦しむのは自分自身なのです。では、自分がしていることの罪の重さをもっと自覚すべきでしょう。

法の価値とはそれほど重いものだからです。

現に、その法を説いている、私のいった通りのことが次々に起きているのです。(奇跡にせよ、災いにせよです)それに、法を聞いて心が救われた人はたくさんいるのです。

何でこれほど当たって、心が救われる法の話のじゃまをしていることが、それほど軽いものなのでしょう。

そのような法の価値が分からない自分たちが一番悪いのです。

しかし、これだけのことが起きているのに、未だ、間違った教えに騙され命を落とす人がいるのは残念でなりません。

昨日もそのようなニュースが流れていました。

龍神などと称する悪魔に憑かれた人を信じた両親が、自分の子供を殺してしまった事件です。

両親が子供を殺したといっても間違いではないでしょう。この子の両親は、どう考えても頭のおかしな人のいうことを、そのまま信じてしまったからです。(糖尿病の子供にインスリン投与をしなかったなど気違い沙汰です)

しかし、このような事件は氷山の一角であり、おかしな宗教に頼って、信仰だけで自分の病気が治ると信じて手遅れになる人はたくさんいるのです。

昨日の話ではありませんが、人間は肉体と精神が一体となって存在しているのですから、心の健康と肉体の健康、この両方から考えなければいけないのであり、片方だけに偏るのは間違いなのです。(だから医者が全面的に宗教を否定するのも間違いなら、宗教家が医学を全面的に否定するのも間違いなのです)

正しい教えを知らないと、こういうことが分からないのです。そうすると、どちらかに偏ってしまって、せっかく助かる命も助からない、ということも出てくるのであり、心も命も両方救うのが法(神理)なのであり、だから、それほどの教えを拡げるのをじゃまする(または、その法を説いている人に嫌がらせする)ことは大変罪が重いのです。

この教えが大きく拡がるならば、多くの人が物心両面から幸せになれるからです。

そう考えるなら、この教えを知っていて、いつまでたっても何もしようとしない人たちの罪もまた大きいといわざるを得ませんね。(この教えが大きく拡がっていたならば、昨日のニュースのような事件も起こらなかったからです)

この法の価値を知っていて、いつまでボケっとしているのですか?

そういう人が多いから、私が、これだけ無理なことをしているのです。

(それを「お前が悪い」などとやっているのですから呆れますね。〔苦笑〕)

追伸…先ほどの龍神などと称していた人は、手かざしや呪文などするだけで一回三万円も取っていたそうではないですか。(先ほどの両親など総額で二百万円も払っていたそうですが)

信じられませんね。その人は多くの人をだましているだけで何の奇跡も起こしていないのです。(災いを起こしているだけです)

私は多くの奇跡を起こし、なおかつ多くの人の心を救っているのに、その私に(その心を救われた)ほとんどの人が一銭も払わないとはどういうことでしょうか?

本当に世も末ですね。

2コメント

2 コメント to “法の価値”

  1. ウナッシー2015/11/27 at 12:41 PM

    最近は仕事を通して多くの方と話をするの機会が増えています。仕事に対する考えや現状の問題、自分の職場に限らず知人やご近所付き合いの中でもそうです。
    その中で比較的話に出るのは、ダメダメ社員さんの奇怪な行動仕事振りです。
    教えてもやらない、怒っても諭しても何を言っているのか理解しない、同じ失敗が多い等です。その社員に対しそれでもと面倒を見て、根回しをしてあげてもまるで素人並みの仕事しかできないと言うものです。確かに自分でも過去にこれまで経験してきた中で決して他人事ではないこともあるし、周りを見ても思い当たるところもあるのです。会社にいて仕事さえしていればお金がもらえ生活には困らない。しかし、生きる目的は違うはずです。
    その辺りを整理して、そのような話を聞くのも縁であるならばしっかりと話が出来るように心を向けていきたいです。

  2. gtskokor2015/11/27 at 2:02 PM

    そうしてあげてください。ただ、同じように愚痴るのはよくありません。
    そういうことすべて愛で返してあげることが大事ですよね。

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