11月 30 2015
心21(心の国際会議)
フランスのパリでCOP21が開催されました。(今日からでしたっけ?)
このCOP21は、温室効果ガスの削減を目指す国際会議のようなのですが、そういう温暖化対策を話し合う場も必要なんでしょうが、世界の人々の心の対策はもっと必要です。(そのようなことのすべての原因は、人々の心にあるからです)
本当に、この世界で相次ぐ異常気象を止めたいのであれば、心21の開催は不可欠でしょう。(COP21にかけてみましたけどダメですか?)
一、二日前に堀川に行ったんですが、もうたくさんカモメが来ていました。
私の顔を見ると(半年ぶりくらいでしょうか)ギャーギャー、ギャーギャー大騒ぎです。
その場面を動画に撮りましたが、可愛いものです。
庄内川に行くと、庄内川にもカモメが来ていました。去年までは、庄内川にはあまりカモメはいなかったんですが(この時期でも、たまに数羽のカモメが飛んで行くくらいでした)今年は十数羽くらいのカモメが庄内川にいて飛び回っています。
庄内川のカモメも私を見るとよく近くに飛んできます。(そこも動画に撮りました)これもまた可愛いものです。
そうして最近はトビまで庄内川に来ているのです。
数日前の話です。いつも休憩する南陽大橋の辺りを私が歩いていると、数メートルくらい前の草むらから急に何かが飛び出して来ました。
そちらを見ると、なんとトビがハトを捕まえたようで、片方の足にハトをつかんだまま、草むらから私の目の前に出て来たのです。
急に出て来たものですから驚いたんですが、そのトビは少し私の顔を見ていましたが、すぐに飛んで行ってしまいました。(もちろんハトをつかんだままです)
それからですね。あの辺りでトビを見るようになったのは。
その時から南陽大橋の辺りを歩いていると毎回トビが飛んでいます。三日四日前には四~五羽のトビが飛んでいました。
そのトビも声をかけるとこちらに寄ってくるのです。
その時も、私が歩いている横の辺りを(といってもずいぶん高いところをですが)何羽かのトビが飛び回ってしばらく私について来ていました。
もう少し近くに寄ってくるようになったら、また動画に撮ろうと思っています。(その時も撮ったんですが、遠すぎたので消しました)
庄内川には本当にいろいろな生き物がいます。(エイや庄助もいますし。街中にはいない、貴重な生き物が見られます)庄内川は、川岸など草がたくさん生えていて自然もたくさん残っています。
これからも川岸をすべてコンクリートにするのではなく、あれくらいの自然は残しておいてほしいものです。
あれだけの自然が残っているのなら、そこを散歩するだけでいろいろな生き物に出会えるからです。(そういうのも癒されますから)
自然に触れ合うとは、そこにいる動物たちとの触れ合いも欠かせません。
心が変わるなら、その触れ合いはより深くなって、こちらの心もより癒されます。
仮に心21みたいな、各国の首脳が心のことを真剣に議論できる場が出来たなら、本当に世界は変わるであろうなとつくづく思います。(そのような動物たちとの調和も含めてです)
地球環境をきれいにすることも大事なことですが、世界の人々の心をきれいにすることはもっと大事なことなのです。
そのような心の国際会議を近い将来ぜひ開いてほしいものです。
心の国際会議を行って、正しい心の世界的基準が出来て、世界の人々の心がきれいになるなら、そのような地球環境だけではなく、いま問題になっているテロも、戦争も、不当な差別や貧困もなくせると思うからです。(多くの人の心がきれいになるのなら、お互いの意見を尊重しあって、本当に助け合える世界が実現するからです)
高橋先生は、人間が調和するなら動物同士の争いもなくなるといわれていました。
ということは人間が調和できれば、地球的規模の動物たちも含めた大調和が実現するのです。夢のような世界が現れると思われないでしょうか。
そう考えるのなら、いま一番先にやらなければいけないことは、人々の心をきれいにすること、それなのではないでしょうか。
人々の心がきれいになるなら、今のような世界で相次いでいる異常気象もなくなり、テロや戦争もなくなり、世界各国で奇跡が次々に起きるようになるからです。
それには法が欠かせません。その法にまつわる奇跡がいま日本で相次いでいるからです。(よいことも悪いことも含めてですが)
この法を中心とした「心21」はいつ開催できるのでしょう。
そのような心の国際会議がもし出来るようになったのであれば、世界は大きく変わることになるのです。
(マァ、名前はともかく、そのような各国首脳が参加する心の国際会議が、一日も早く出来るようになることを願ってやみません)



人目の訪問者です。

先週トーク番組で下流老人について議論していました。下流老人とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」と定義しているそうです。また下流老人かどうかを判断する指標として、以下の3つが挙げられる[4]。
1)収入が著しく少ない 2) 十分な貯蓄がない
3) 周囲に頼れる人間がいない(社会的孤立)とありました。世の先生方は色々な分析をして、このような老人社会を創るのですね。
下流という言葉を使う辺りも、その昔人に優劣をつけ大多数の中での評価基準を設けいた名残なのでしょうか。何が尊くて人がこれからどの様に歩むべきか。もっと愛の深い識者がいないものかと思います。
そうですね。しかし、どのような人たちに対しても一番の基本は心を救うことです。
その心が救われるのなら、物はそれなりに与えられる順序がつくのです。(神がそのように導いてくださるからです)
すべての人たちを救うためにも、多くの人にこの法の存在を知らせねばなりません。
法を一として進んでまいりましょう。