>>ブログトップへ

12月 13 2015

金にボケるな

11:11 AM ブログ

前の会社、こちら側に(倉庫ではなく)でかい塀(へい)のようなものをつくったようです。

その塀のせいで多少静かにはなりますが、昨日、一昨日のように窓を開けてガンガンやられたらどちらにしてもうるさいのです。

いくらでかい塀をつくっても、その会社で働く人の心が変わらなければ、何をつくっても同じでしょう。あれでは恐ろしい現象は止まらないからです。

昨日も一昨日もあの会社の連中やたら怒っていました。

そうして、でかい音を出し続けていると、急に音が止まってシーンとなるのです。何かこの頃は、そのような嫌がらせを続けていると、すぐに恐ろしい現象が現れるようになったようです。天罰覿面とはこの会社のためにあるような言葉ですね。(本当に哀れです)

それにしても、こんなでかい塀を年末につくるのです。儲けていなければ出来ないことですね。(年末締めの前に金を使うというのですから、さぞ今年は利益が上がったのでしょう。〔苦笑〕)

しかし、どれだけ儲けていたところで、恐ろしい現象が次々に現れるのなら、何も楽しいことはありません。

こういうところでも、金儲けより大事なものは何かよく分かる話なのではないでしょうか。

どれだけ金を儲けようが、自分がいつ癌になるか分からない、そんな思いが常にあるなら何一つ楽しいことはないのです。

金よりなにより、まず自分が健康でいたい、と考えるのが普通であるからです。

というより、心が安らぐ楽しい生活がしたい、と思うのが人として一なのではないでしょうか。

しかし、これまでは、このように金儲け第一でやってきた人が多いのです。金がたくさんある生活、それが即ち心が安らぐ楽しい生活であると思っている人がほとんどであったからです。

そうして、そのような生活に神など入る余地はありませんでした。

信仰といえば、そのような楽しい生活がしたいため(金儲けのため)にしているだけで、決して神のためにしているわけではなかったのです。(だから自分の欲望を満たす現世利益信仰が全盛であるのです)

しかし、そのような考えは間違いであったのです。

間違いであったから、このような恐ろしい神の業が次々に現れるようになったのです。(私の周りに起きていることにせよ、異常な異常気象にせよです)

自分たちの生活の仕方にせよ、信仰にせよです。自分中心ではいけなかったのです。あくまで神を中心としなければいけなかったのです。

この世界のすべてをつくられたのは神であったからです。(それはこの世界のルールも含めてです)

それは違う、まず自分が一番だろうといくらいわれても、その自分にいつ恐ろしい病が発症するか分からないのです。いつ激しい現象に襲われ命を落とすかもしれないのです。(大雨や地震などで)

そのような状況になっていて、それでも金儲けを優先するのですか?遊びが先なんでしょうか?

そんな人はまずいないでしょう。

そのような状況になれば、人は誰でも神に頼るのです。「神様助けてください」と手を合わせ祈りを捧げるのです。

それが人としての原点であるからです。

そのような態度こそ神の子の人間として、神に対し、とるべき当たり前の態度なのであり、今のように、神を便利屋のように使ったり、神など存在しないと否定するなど、神の子の人間としてはあるまじき態度であったのです。

そのようなあるまじき態度を続けて来た人たちばかりなのです。

そういう恐ろしい状況になっても決して不思議ではないのではないでしょうか。これまでの態度があまりに神に不遜であったからです。あまりに自分本位であったからです。

そういう恐ろしい状況に(不治の病に次々にかかり、天変地変が激しく起こる)すでになっているのです。

しかし、現代の人たちは、あまりに自分本位がすぎて、そのことに気づいていないのです。

不治の病にかかる人がたくさん出てきたら、それは人のせいにして、激しい天変地変は温暖化のせいです。

決して、自分たちが神に対し不遜であったから、そのような天罰が下っているとは思わないのです。現代の人たちは自分本位に加え傲慢不遜でもあるからです。

そういう考えの上に金儲けが第一なのです。

自分の命よりも金儲けの方が大事なのですから、自分の命がどれだけ危なくなっても、その危なさに気づかないわけです。

だから、どれだけ危ない現象が現れていても、それでも仕事が第一なのであり、神に頼ることもしないのです。

神の恐ろしさも、自分の命の危うさも、金にぼかされて理解出来ないからです。

いい加減理解されたらどうでしょう。自分たちがどれだけ金にボケているかをです。

すべて、金が先に来ているから、神がどれだけ怒っているのか、そうして、今の自分たちがどれだけ危険な状況であるのか理解出来ないのです。

しかし、その金という部分を抜くと分かるのです。自分たちがいかに危ないことをしているかがです。

よく考えてみてください。自分たちは大変おかしな考えを持っているのです。

なぜ勉強するのですか?

それはよい大学に入って、よい会社に入り、そこで出世するためです。

なぜそれほど一生懸命にスポーツをするのですか?

それは将来、プロのスポーツ選手になりたいからです。そうしていろいろな記録をつくりたいからです。

なぜそれほど歌や踊り、あるいは役者の勉強をするのですか?

それは将来大スターになりたいからです。

このようなことはすべて、たくさんの金がほしいからといっていることと同じなのです。

もしたくさんのお金がもらえなかったら、人は会社で苦労して出世を望むでしょうか?

スポーツでも同じです。有名な野球やサッカーのプロ選手は大変な額のお金をもらっています。

しかし、もし、有名になってもそれほどのお金がもらえなかったら(例えば、どれだけ有名になっても、偉大な記録を残しても、十万や二十万程度の月給しかもらえなかったら)それだけ厳しい練習に耐えて、スポーツ選手になる人がどれだけいるのでしょう。

これは歌手や役者の人でも同じでしょう。

大したお金がもらえなかったら、それをやる人がどれだけいるのでしょう。

まったくやる人がいなくなるとはいいませんが(純粋にスポーツ選手になりたいとか、歌手になりたい、役者になりたいという人はいますから)やる人がずいぶん減るのはたしかなのではないでしょうか。

そのような苦労の代償が金であるからです。

つまり、金をもらえる保証がなければ、人はいらない苦労はしないのであり、現在のほとんどの人の最終目標が金をたくさん儲けることになっているのです。

だから、その最終目標に血眼になっていて、自分が神にどれだけ逆らっているのか、その神を怒らせ、自分の命がどれだけ危ない状況であるのか、分からないのです。

最終目標の金にしか、みな目がいっていないからです。

だから、これだけ恐ろしい状況になっていても、その恐ろしさがあまり分からないのです。危ない状況より金儲けが先に来ているからです。

しかし、現在の日本は大変危ない状況であるのです。もう何十年も(もっといえば何百年もです)神に不遜な態度を取り続けているからです。(普通ならとっくに滅ぼされています。日本には大きな使命があるから残されているだけです)

早く気づいてください。どれだけ自分が金にボケているかをです。そして神の現す業がどれだけ恐ろしいかをです。

そうして、神が現す奇跡がどれだけ偉大であるかをです。

現在の人々は、奇跡よりもお金の方がよほど興味があるようです。(だから、私が現す奇跡をあまり評価しないのです。お金儲けの方が大事だからです)

しかし、そのような奇跡こそ、本当に自分自身を救うものなのです。

神の偉大さ、奇跡の偉大さをもう少し理解してください。金の偉大さばかり理解していないでです。

(金って偉大でもなんでもないんですけどね。しかし、今のままの心の人ばかりなら、多分この二~三年の間に日本の人口はガクッと減ると思いますよ。そういう恐ろしい現象があちこちに現れているからです。本当に早く気づいてください。現在の日本は大変恐ろしい状況にあるのです)

追伸…またあの選手、凄い得点を上げたようですね。

どうですか、そんな神の領域のような業が現せたのも、その神が協力してくれたお蔭です。

では、今度はあなたが神に協力されたら。

そうすれば、そのような成績は今後も続くからです。

と書いても、何の協力もいただけないでしょう。今日、本文に書きましたが、みな金にボケている人たちばかりだからです。

しかし、神の心を少しは知って奇跡も起きたのです。少しは、報恩の行為も実践された方がいいと思います。

それが人として当たり前の行為であるからです。

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。