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12月 16 2015

反省

11:16 AM ブログ

今年の漢字は「安」だそうですね。

安心の「安」ではなく不安の「安」というのですから、世相を表しているといえばいえるのでしょう。(安保法案以外でもテロなど不安なことは多いですから)

私的には「異」ですかね。

昨日書いたことではありませんが、異常気象や異常現象の「異」異次元の「異」ですかね。

今年も異常気象や異常現象は多く起こりましたし、異次元からの力も強く感じました。様々な奇跡を通してです。(異次元の技とかいわれている選手もいるようですが、ということは異次元の力が作用したのではないでしょうか)

しかし、私の思った漢字はともかく、今年の世相を表す漢字の不安の「安」の方は本当によく多く人々の心を表していると思います。特に、この辺りの人たちはかなり不安であると思うからです。

不安そうですね、皆さん。そうでもないですか?

そうでもない割には、ずいぶん態度も雰囲気も変わってしまったところが多いようです。

運転手連中も最近は静かにしている人が多いですね。やって行く人はやって行くのですが、そういう人は少ないですし、そのやって行く人も顔が引きつっている人が多い。そうでもない人は今起きている(最近起きている)ことを知らないのでしょう。

最近はまた特に現れてきているのではないでしょうか。神の業がです。(異次元の業がです)

違いますか?

そうとは思えないのです。そのような運転手連中の態度だけではなく、この辺りの人たちの態度が最近は急に変わり始めたところも多いからです。

庄内川の帰りにはもう中学生とも小学生とも会わなくなりました。(特に中学生はどこに行ってしまったんでしょう)ところがそういう場所が、その辺りだけではなくなってきたのです。(会うところでは、そのような時間帯は〔夕方五時~六時くらい〕たくさんの中学生に出会います。そういう連中はまず何かちょっかいをかけてきますが)

それに、あれだけちょっかいをかけてきたのに、ずいぶん静かだなという場所も多いのですが、ある工事現場に行くと烈火のごとく怒っている連中がいるのです。

つまり、この辺りは妙に静かになってしまったところと、やたら怒っているところと両極端に分かれているのです。

歩いてくる人も同じです。顔の引きつりが激しい人とやたら怒っている人が多く、中間の人が少ないのです。(そういうことをあまり知らない人、私の顔を見ると普通に嫌がらせをしていく人が中間の人です。〔苦笑〕)

ということは、私の経験上、何か周りに起きて来た人が多いのではないかと思えるのですが、その推測は違っているのでしょうか?

だから私は、この辺りの人たちは特に不安なのではないですか?と書いたのです。

なんか、近くの人もやたら怒っている人がいます。(悪魔軍団だけではなくです。あの連中は相変わらず烈火のごとく怒っていますが、よくあれだけ毎日怒っているものです。それだけでも体に悪そうです)

その人たちは、悪いことが起きると私のせいにしているようですが、あなたたちは私に嫌がらせをしていないのでしょうか?(ずいぶんされたような気がしますが)

私の祈りのせいで病気になった、と思っている人も多いのですが、私は嫌がらせをされたから、その人を祈ったのです。(キリストの「汝を責め憎む者のために祈れ」という言葉に従ってです)

もし私の、その祈りが人を病気にさせるものであるならば、私が祈った人は片っ端から病気にならないといけません。しかし、実際はそうなっていないのです。(私に嫌がらせをしてきて、私に祈られても、ピンピンしている人はたくさんいます)

では、私の祈りで病気になったという言い方はあたらないのではないでしょうか。私が祈っても病気になっていない人はたくさんいるからです。

「では、その中でなぜ病気になる人もいるのか。お前が何度も祈ったからだろう」といわれる人がいるかもしれませんが、何度もいいますが、私はいきなり人を祈るということはしません。

私が祈るのは、その前に私に嫌がらせなどしてきた人限定なのであって、その嫌がらせがなければ私から人を祈るということはしないのです。

では、私が祈って病気になったといわれる人たちは、私が祈る前に、必ず「嫌がらせ」という行為を私にしているはずです。

それが病気になった(本当の)原因なのではないのですか?

私が祈って病気になったと思われている人たちは、すべて(すべての人がです)必ず私に嫌がらせをしてきているのです。

なぜ、その「嫌がらせ」という悪の行為は抜いて、人を祈るという善の行為(これは善の行為ですよ。私はその人を呪っているわけではないからです)だけ問題にしているのですか?

それは明らかに的外れでしょう。

私は人に対し、善い行為しかしていないのです。なのに、何でそのような善の行為しか行っていない者が人を病気にするのでしょう。

善の行為を行って悪い結果が出るというのもおかしな話です。そうであるなら、その悪い結果が出ている人は、悪い行為を行っているから、そのような悪い結果が出ているのではないのでしょうか。

では、その悪い行為とは何ですか?

それは私に祈られる前にその人が行っている、私に対する嫌がらせです。

私と私に祈られている人の間での悪い行為は、それ以外、見当たらないからです。

私に祈られて病気になった人は、それは私の祈りが原因なのではなく、私が祈る前の私に対する「嫌がらせ」それが原因となっているのです。

その人が、私に何度も祈られているということは、それは私に何度も嫌がらせをしているということです。その何度もした嫌がらせが原因となり病気になったのです。

嫌がらせは悪の行為であるからです。悪の行為を何度も続ければ、その報いは当然受けなければいけなくなるからです。

何で自分がしている悪の行為を抜かして、私がしている善の行為(祈り)を病気の原因にしているのでしょう。そんなの間違いに決まっています。

だから、私には奇跡が起き、皆さん方には災いが起きるのです。善因善果、悪因悪果の法則が現れているからです。

口ではなく、現象として、その善悪がはっきり現れているのです。これ以上正しい話もないわけです。(それをなかなか認めようとしないから、何度も同じことを書いているのですが。〔苦笑〕)

このように考えれば、私が何もしていないのに(祈ってもいないのに)お前のせいで病気になったといっている人も同じなのです。

自分のこれまでの行いをよく考えてみてください。

そんなによいことをしているのですか?人の悪口はいいませんでしたか?人に嫌がらせはしていませんか?嘘をついたり、人をだましたことはありませんか?そのようなことはすべて悪いことなのです。(こういうことが悪いことであるという自覚がある人が少ないのではないでしょうか。だから自分は悪いことをしていない、などととんでもないことをいうのです。こういうことも悪いことと知れば、悪いことをしている人はずいぶん多いのではないでしょうか)

そうして、そのような自分でしている悪いことが自分自身に早く現れる、そのような時代となったのです。(善因善果、悪因悪果の法則が早く現れる時代になったということです)

その時代が変わって現れてきた現象を、この辺りの多くの人は私のせいにしているだけなのです。(しかし、浜松など誰のせいにも出来ません。訳が分からず死ぬ人が増えているのです)

現に、私にはよい現象ばかりが現れているのです。そのような悪い心を反省したからです。

私だって悪いことはやりました。ここにその悪いことを全部書くなら「なんだこいつ、こんな悪いことをしているのか」と信用を無くすこともあるかもしれません。(だから、そこまでやばいことは書きませんが)

しかし、そのような悪いことを全部反省したのです。そうして、よいことを(法の流布など)これからしていこうと心に誓い、それを実践しているのです。

そうしたら、奇跡が次々に現れてきたのです。

こういう者もいるのです。ずいぶんこの辺りは、恐ろしい現象が現れてきたようです。

反省しなくてよいのですか?

その恐ろしい現象から、自分を守れるのは、その反省の心しかないのです。

(このようなことはどちらにしても起き出したのです。それと、これまで気づいていなかった多くのことに、多くの人が気づいただけです。その気づきを与えた者に、今のような仕打ちはひどいのではないでしょうか。これからは反省し、心を入れ替えた者だけが救われるのです。特にこの辺りの人たちは早く心を入れ替えた方がいいでしょう。それほどの悪いことを〔知らなかったとはいえ〕行っているからです。よいのですか?私を悪者にしたままでです。残念ではありますが、その悪者と思っている者にしかあなたたちを救えないのにです)

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