12月 23 2015
正しさの証明
もうこれだけの神の業が現れてきたのであるし(ということは時が来ているということですから)はっきり書いておきましょう。
これまでの信仰といわれているものが、まったく意味がなかったのであると、ただの気休めや自己満足でしかなかったのであるとです。
これまでのような信仰では実は誰一人救われていなかったのです。(このようにはっきり書かないと手遅れになりますので)
それが名古屋で現れている神の業で分かったのです。
お墓参りやお寺参りをどれだけしたところで(気休めにはなるのでしょうが)実は何一つ救われていなかったのです。
そうしてそれは、霊験あらたかといわれることや自分たちが信じて行っている信仰も同じであったのです。
そのようなことをしている人たちは、名古屋にもたくさんいるでしょう。しかし、名古屋では、そのような人たちにも次々に恐ろしい現象が現れ、一つの奇跡も起きていないのです。
では、そのような信仰は(完全に)間違いであったということなのではないでしょうか。
それが正しい信仰であるならば、そのような人たちには災いなど起きずに、奇跡が起きて来ないといけないからです。
しかし、災いが起きる人はあっても、奇跡など起きている人はいないのです。
では、そのようなことのどれも正しい信仰ではなかった、まったく意味がなかったと理解した方がいいではないでしょうか。
そのような信仰と思われるようなことを熱心にしている人でも、恐ろしい現象は現れているからです。
そうして、霊験あらたかといわれるところにお参りに行っている人でも、正しい信仰をしていると思っている人でも、何の奇跡も現れていないからです。
もし、正しい信仰をしているのであれば、周りにどれだけ恐ろしい現象が現れてきても、自分には、そのような周りの現象に左右されず奇跡が起きるはずです。(それは釈尊しかりキリストしかりです)
しかし、そういう周りに左右されず奇跡が起きている人は誰もいないのです。
私一人を除いてはです。
私の周りでは、どれだけ多くの人が救急車で運ばれていようと、鳥たちが騒ぎ、多くの魚たちが寄って来ます。(もちろん、それ以外の動物もですが)
そうして、私のいうことを聞いた人には次々に奇跡が起き(逆らう人には次々に災いが起きていますが)私が祈れば大自然さえ動くのです。
こういうことが起きている人こそ、正しい信仰をしているといえるのではないでしょうか。
それを証明するような出来事が次々に起きているからです。
私は口でいっているだけではないのです。そういう奇跡も続出しているのですから、これ以上の正しい信仰をしているという証拠もないでしょう。
それをいつまでたっても名古屋の人たちは認めようとしませんが、しかし、無視しようが、逆らおうが、そういう人たちに次々に恐ろしい現象が現れているのは事実なのです。
それでもまだ、そのような意味ないことを続けるのですか?そこに救われる道はまったくないというのにです。
私のいうことを無視しても、逆らっても、これまでの信仰を続けても、どこにも救われる道はないのです。(次々に病気になっていますよね。そのような人たちがです)
ただ、私のいうことを聞いて、それを行う、それのみが唯一の救われる道なのです。(現にそれをしている人には奇跡が現れています)
こういう事実が目の前にあるのに、いつまでそれを認めず、自分たちの狭い考えの中に閉じこもっているのですか?
そういうことを続ければ続けるだけ不幸になるのです。(だから名古屋は不幸になる人が続出しているのです)
このような現象が現されるのは、自分たちが悪いからです。自分たちの心が悪いから悪い現象が現れるのであって、人のせいではありません。(それは、私自身が証明しています)
これまで、自分たちの心を、きれいにしようと思われた人はいるのですか?心の偉大さをこれだけ理解していた人はいるのでしょうか?
誰もいないはずです。
これまでは唯物論が全盛であり、心など二の次に思われていたからです。
それがいけなかったのです。そのつけがいま現れてきているのです。あまりに多くの人が、心の偉大さに気づいていなかったからです。
心を少し変えるだけでも十分奇跡など起きてきます。
奇跡が起きるのであれば、そこに災いは起きないでしょう。(ただしそういう奇跡が起きる心を持続できればという話ですが)
この教えを勉強されたらどうでしょう。
この教えを勉強される以外で奇跡など起きないからです。(この教えを勉強していないのに起きた奇跡は、全部地獄霊が起こしていたことなのです。間違った信仰をこれまでしていたのですから、正しい奇跡が起きるわけがありません。そのこれまで起きた奇跡は悪魔の魔力で起こされたものであり、ほんの一時救われたように見えただけなのです。そのような魔力に惑わされていては最後には不幸になるのです)
この教えを勉強することが唯一正しい信仰であるからです。
この時代、もう正しい信仰をしない限り、救われる道はないのです。
いつまで意固地でいるのですか?それは不幸なだけなのです。
(単に自分がそれでいいと思っているだけでです。正しい信仰を知らずにいる今の自分がどれだけ不幸であるのか、それは死ねば分かります)
追伸…現在の信仰を、真っ向から否定することはこれまで避けてきたのですが(あまりに反発が強いと思ってです)しかし、もうそれをはっきりいわないと病人続出ということにもなりかねません。(名古屋はすでにそうなっているようです。この辺りやたら怒っている人が多いし、やたら静かになってしまった人も多いのです。運転手連中も最近特に元気がありません。〔ブシュとやってくる人、本当に少ないです〕多分、相当出ているのではないでしょうか、危ない病気がです)
そうであるなら、もう間違った信仰をいくら続けていても、意味がないですし、かえってそういう人は危ないのです。(正しい信仰をしている人がいるのに、それを分かっていて、無視して間違った信仰を続けているということは、あからさまに神に逆らっているということになります。よけい危ないですね。そのような人たちはです)
だから、はっきり書くことにしました。
そういうことをしていても、まったく意味がないとです。
それが、一番早く気づこうとしない人たちを気づかせる方法であると思うからです。
これからよけい反感を買うかもしれませんが、どちらにしても私は多くの人に反感を買っているのですから、大して変わらないでしょう。
そんなことより、多くの人が、危ない病気に次々にかかることを防ぐことの方がよほど大事なことであると思うからです。
こういう時代となり、いつまでも間違った信仰をしている人たちは次々に裁かれて行くことになります。(神の業が現れてくるということです)
すぐに信仰を変えることは出来なくても、今している信仰といわれることが本当に正しいのかどうか、疑問くらいは持つことです。
そうしないと、昔からしているからと、何の疑問も持たず、それを続けているのなら(幸運ではなく)どのような災いがその人に降りかかるかもう分からないからです。
正しい信仰に目覚めなければいけない時がすでに来ています。
いつまで同じことを続けているのですか。



人目の訪問者です。

同じ会社に長年勤めているといつの間にか自分に都合の良い判断をしてしまうことがあるのです。それに気付かされたことが有りました。よくよく考えると上司に報告した方が良いと思える案件とわかった時に、いつもなら「まっ良いか」と見過ごすところハッと心が揺さぶられた瞬間から翌日まで心の葛藤があったのでした。いま思えば凄く疲れました。疲れた訳はすぐに報告しようとしたら、なんと言い出せなかったのです。あれこれって何?と思って心の様子を見ると自分に都合の良い言わなければ自分の身に降りかからない、そのことから自身を守ろうとしていたことであったことに気付いたのです。それからです、あれこれ考え今の自分に相応しい判断はどれだろうと考え出したら迷宮に入った様になってしまいましたね。最後の判断は言わなければな波風は立たず、しかし言えば身に降りかかるかもしれないそこにたどり着きました。そしてその苦しみを越えてこそ心の成長があり神の祝福があることを信じて、後は神の導きに身を委ねることを決心した瞬間スッと心が楽になり報告ができたのでした。もしこの流れで黙っていたら今もきっと心の片隅に引っ掛かりを持ち大切な時間を無駄(自分を死守するために)に過ごしていた事を思えば、報告したことに良い判断が出来たと思いました。
また心が向上されましたね。(心が向上したから、そのような考えが出てくるのです)
その調子で頑張ってください。