1月 02 2016
今年やらなければいけないこと
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今年は元日早々教えられました。今年やらなければいけないことをです。(ほんと、早いです。〔苦笑〕)
何か年末からおかしかったのです。
去年の年末に、白鳥公園に行くと、そこにいた親子と嫌がらせをした、してないでケンカになって、大きな声でいいあいになりました。(そういうことはたまにあるんですが。〔苦笑〕)その後、胃が痛くなってきて、その痛みが夕方まで取れませんでした。
何か変だなと思っていたのですが、大晦日には昼間にお茶をこぼしてべちょべちょになり、夜は夜で紅白歌合戦を観ながら、焼酎を飲んでいたのはいいんですが(水割りを週に一、二度くらい飲んでいますので)飲みすぎてしまって、その後(ゆく年くる年を見ていたくらいでしょうか)気持ち悪くなって、トイレでゲーゲー吐きまくりました。
今年は、除夜の鐘をトイレで吐きながら聞くという最悪のスタートを切ったのです。(笑)
「今年は出足最悪だな」と元日の昨日は思っていました。(あのウナッシーさんのコメントを書いている時も二日酔いで凄く気持ち悪かったです)
年末から正月にかけて悪いこと続きです。「去年なんか間違ったことしたっけ?」と去年のことを寝ながら振り返っていました。
あれだけ奇跡も起きて(災いも起きたんですけどね)それで間違ったこともないだろうと思っていたのですが、その時、フッとあることを思いだしたのです。
その思いだしたこととは、先月は毎月払っていた借金の返済を払い忘れていた、ということでした。
「アチャ、借金の返済まで忘れているよ。こりゃ本当に最悪だわ」と思っていたんですが、しかし、何かおかしいのです。
何がおかしいかって、この払い忘れた借金の返済のことです。
この借金の返済を、私はもう五年も六年も続けているのです。(昨日、今日始めたような返済ではありません)そうして、これまで一度も払い忘れたなどということはありませんでした。
ところが先月は、その返済をすっかり忘れていたのです。
いくらなんでもおかしいでしょう。これまで毎月、月末になれば借金の返済はしなければいけないと覚えていたのです。
少なくとも二十日過ぎれば必ず一度や二度、借金のことは思いだしていました。それが先月は逆で、二十日くらいまでは借金の返済を覚えていたのですが、二十日過ぎたらまったく忘れてしまっていたのです。
「こういうことがあるのか?」と益々不思議でした。
年も年だから物忘れが激しくなったのかな、とも思いましたが、どちらにしても、こうお金が入ってこないと借金の返済もままなりません。
体調は悪いし、借金の返済は忘れるし、お金も入ってくるあてはないし、何か今年は最悪のスタートだなと思っていました。
何で法の流布をやっていて、これだけスタートが悪いのか、と少し落ち込んでいたんですが、なぜ、このような悪いことが年末から年始にかけて立て続けに起きたのか?
その理由を、私はその夜に知ることになったのです。
二日酔いも昨日の晩にはだいぶよくなって、晩飯も少し食べました。(朝食と昼食は気持ち悪かったので抜いたのですが)
晩飯を食べたのは食べたんですが、まだ体調がよくありません。それで少し早めに寝たのですが、寝る前に少し祈ったのです。
「神よ、そして天上界の皆様方今年もよろしくお願いいたします」と今年初めてのしっかりとした祈りをしたのですが、その時でした。
そういう祈りをしたとたん、胸の辺りにぽっかりとある言葉が浮かんできたのです。
その言葉を知って、私になぜ年末から年始にかけて悪いことが続いたのか、そうしてこれまで毎月、払い続けていた借金を払い忘れたのか、その意味が分かりました。
それもすべて、天上界からの導きであったのです。
そのぽっかり浮かんできた言葉とは『布施をもらわないといけいない』ということでした。
私は、その言葉を知ってハッとしました。確かに私はこれまで布施をしっかりもらっていなかったからです。
だから、これだけ今も困っているのですが「そうか、それが悪かったのか」とその時初めて分かったのです。
私は去年まで、あまり布施のことばかり書いてもいけないと思い、それほど布施のことを書きませんでした。
しかし、たまに布施してくれということは書いているのですから、それくらい書いておけばそれで十分であり、そう書いているのに布施してくれないのは、それは布施してくれない人が百パーセント悪いのであって、こちらのせいではない、と思っていたのです。
ところが、そうではなかったのです。
毎日、このブログを読んでくれている人は百人近くいるのに、それなのに、布施してくれる人が一人か二人しかいないということは、それは伝える側に責任があるのであって、布施の大事さをしっかり説いていない、布施に対する説明不足であるということなのです。
その足りない部分を五年も六年も放置していて、それはむこうせいと思っているのは、ただの責任転嫁なのであり(私もやっていました、責任転嫁をです)その説き足りない部分を年末から年始にかけて教えられたのです。
だから年末から悪いことが続いたのであって、もっというなら、先月忘れた借金の返済もそうでしょう。
絶対に忘れないことを忘れていた(金に対するです)そのような順序をもらったのも、天上界が私の説き足らない部分を知らせるためであったのです。
それを、その浮かんできた言葉によって知ったのです。
よく考えてみれば、もう、法を説き始めて五年も六年もたつのです。そうして、天は私の求め(祈り)に応じて次々と奇跡を現してくれました。
それなのに、私は布施の一つもまともにもらえないのです。(去年でも布施をもらったのは、ウナッシーさんをはじめ賛助会員の方々と、電話で相談を受けた一人、二人の人からだけです)
それでは天も怒りますし、その布施をもらえないということは、私がダメになるだけではなく、そういう報恩の行為をしない人もダメになるのであって、そういう中途半端な法の伝え方をしていては、結局、法を知った人まで不幸になるのです。
そこが足りなかった、そのこれまで説き足りなかった部分を、今年の元日に知らされたということです。
ということで、今年は布施の大事さを、もっとしっかり伝えていこうと思っています。
布施する大事さをしっかり伝えないと、法を説いている私も、その法を聞いて奇跡が起きた人たちも結局、不幸になるからです。(お蔭だけもらって報恩の行為がないからです)
今年も初詣に行く人は多いのですが、そういうところでお賽銭を上げて「今年はよい年になりますように」といくら祈ってもお蔭などありません。
しかし、法を説いている人に布施するなら(布施しなくても奇跡が起きているのですから)確実にお蔭はあります。
今年の初めに一番よいことを実践されたらどうでしょう。(法を説いている人に布施することが一番よいことです。それは釈尊やキリストに布施することと同じだからです)
そうすれば、今年は本当によい年になるからです。



人目の訪問者です。

実は昨年末から家内に対して心に引っ掛かりがあって、昨夜も同じ場面を見せられたものですから今朝の感謝の中でその事を心に問うてみました。そして分かったのは夫婦は一体であるという事でした。これまでも先生方のご著書や大矢先生のブログ等でも読ませて頂き分かってはいたつもりでしたが、やり方が間違えていたことに気付きを頂きました。それは家内と自分を分けていたのです。感謝にしても祝福にしてもいつも自分と家内を分けていました。夫婦が一体であるならば自分は家内であり家内は自分である、故に自分と家内は共に神の祝福を受けるべきであり決して分けてはならないのである。自分には家内があり家族があるのは事実であり、家族の心があって生きていけることに感謝し今年も精進してまいります。
頑張ってください。