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1月 06 2016

陋習(ろうしゅう)を破れ

10:44 AM ブログ

しかし、新年二日目からすでに全開バリバリですね。(暴走族じゃないんですから。〔苦笑〕)

いつまで人のせいにして八つ当たりしているのでしょう。哀れなものです。

人のせいにいくらしたところで、困っているのは自分たちなのです。怒っていても仕方ないのではないでしょうか。

「恐ろしいことが起きているので助けてください」なのではないでしょうか。

それ以外もう救われる道はないと思うからです。(行ったのか行かなかったのか知りませんが、お参りやお祓いもまるで効果がなかったようです)

それほどお困りなら救われる方法を書いておきましょう。(私は慈悲深いですから)

その恐ろしい現象を止めたいのであれば、これまでやった嫌がらせなどの悪いことをよく反省することです。そうして、もうこれからは嫌がらせなどしませんと、神に誓われることです。

そうして、私に「うるさくしてすいませんでした」と謝りに来て(そういうことは、文句をいいに行くとちょこちょこしていますがうわべだけです。心から悪かったと思わないといけないのです)「いつもブログを読ませてもらっています」と感謝して布施されることです。(布施の金額ですか?もちろん多ければ多いほどいいです。〔笑〕)

それをされるなら私も「どうぞこの人たちをお救いください」と神に祈ります。

そうすれば、その災いは起きなくなるでしょう。私が祈ると何か奇跡が起きるからです。

他の人たちも同じだし(最近は運転手だけではなく、いろいろな会社の人たちまで変ですから)どこかの中学生たちも同じです。どれだけ私から逃げたところで神からは逃れられないのです。(すべて見通されています)

どこにいても、心が悪い限りは、恐ろしい現象は現れてきます。もう反省するしかないのです。

反省し布施されたらどうでしょう。そうすれば、その恐ろしい現象は止まると思うからです。(中学生や小学生まではいいですが。そのかわり小、中学生は心を入れ替えよく勉強することです)

もう本当の信仰をしないと危ない時代になったのです。偽の信仰をしていてはダメどころか、どんな悪いことが起きるか分からない時代となったのです。

だから、そのような偽の信仰をしている人たちに次々と災いが起きているのです。

それを皆さん方は、みな私のせいにして嫌がらせを続けているのです。

反省するのは当然のことなのではないでしょうか。

自分たちが悪かったにもかかわらず(偽の信仰をし続け、無神論を信じ神を神とも思わなかったのですから)その間違いを認めようとせず、その自分たちの間違いで起きてきた天罰を、みな私のせいにして、そのせいで起きてきた天罰まで私のせいにして、まだ嫌がらせをし続けているのです。

どれだけ罪を重ねるのですか?悪いのは最初からあなたたちの方であったのにです。

最初から自分たちが間違ったことをしていたのです。

無神論をいっている人は論外ですが、信仰をしているといっている人でも、私のような奇跡が起きる人がいたのでしょうか?(私以外で、私のように鳥や魚が寄って来る奇跡を現した人は見たことありませんが…)

熱心にお経を上げている人がいますが、それだけ熱心にお経を上げて、それで奇跡が起きたのですか?

一生懸命仏像を拝んでいる人がいますが、それで奇跡が起きたのでしょうか?

誰一人私と同じ奇跡など起きている人はいないではないですか。(私など毎日奇跡が起きています)

それなのに、どうして、そのような信仰がおかしいと思わなかったのですか?

自分の信仰に疑問一つ持たず、昔から、多くの人がそのようにしているから、それは正しい、ただそう思っていただけではないですか。

なんでそんな考え方が正しいのでしょうか?

それは思考停止というのであって、それは正しい考えではないのです。

普通であるなら、昔から信仰といわれているやり方をしていても、なにもよいことが起きない、では、この信仰といわれているやり方はおかしいのではないのか、このようなことが本当の信仰ではないのではないのかと疑問を持ち、正し信仰とは何かともっと考えないといけないのです。

しかし、そのような努力など一切しようとせず、ただ昔からこうしているから、このやり方でいいのだと、思考停止をしたまま、何も起きない(不幸が起きていることも多いようですが)信仰とは名ばかりのエセ信仰をし続けているのです。

それは悪いことではないのでしょうか?

神に背いていることにはならないのでしょうか?

多くの人々は、そのような神に背く行為を未だにし続けているのです。(自分の怠慢〔たいまん〕で偽の信仰をし続けているのですから、これだけ神に背く行為もありません)

これほど悪いことをし続けていて「自分が悪くない」など、どの口がいうのでしょう。とんでもありません。この日本の人々は、大変な罪をつくり続けているのです。(おまけに無神論の人も多いときています。もう目も当てられませんね)

だから、日本中でサイレンが響いて来たのです。(この前のウナッシーさんのコメントを見ると、静岡でもサイレンが聞こえているようですが)

日本中で神の業が次々に現れだしたのです。いつまでたっても神に背く行為を日本の人々が続けているからです。(この現象を、私一人のせいにしているというのですから、この辺りの人たち凄まじいですね)

もうこれまで通りの(間違った)ことをしていては、次々に病気になるのです。そういう時代となったのです。

それなのに、声を上げなくていいのですか?

病気になるのが分かっていて(神の業が現れることが分かっていて)それでもこれまで通りのことを続けていてよいのでしょうか?

私はよいとは思えません。気づいた人が声を上げるべきだと思います。

そうしないと、日本のどれだけ多くの人が恐ろしい病気にかかるか分からないからです。

これまでの陋習を破らないといけない時期に来ています。

もう何も意味がないことを続けていても、災いが起きるだけなのです。

それなのに何もしようとしないのですか?

それでは、そのような人もまた災いを受けることになるのです。

2コメント

2 コメント to “陋習(ろうしゅう)を破れ”

  1. ウナッシー2016/01/06 at 12:41 PM

    今日は会社での休憩中に、会話の中で気付いたことが有りました。
    先日もコメントさせて頂きましたが、人事異動で職場が変わることになりました。それで顔見知りの人と会う度に「大変ですね」言われるのです。始めはオウム返しのように、いいえ等と言っていましたが休憩中に同僚にも言われた時に心がざわめき、俺って本当に不安とか心配の心がないな、次の職場で心の勉強を実践するワクワク感で満たされている、そんな心であることに気付きました。今も確認しながらですが、やはりその様です。同僚には、決まったことだから異動するだけだね、と言っておきました。多分異動ともなれば普通の人であったなら色々勘ぐっては批判したり、あらぬ愚痴をこぼしていたのだろうと思えば、誠に良い教えに出会った事に感謝するのみです。そして少しでも多くの人に知って頂きたいと心で感じるようになってきた気がします。

  2. gtskokor2016/01/06 at 1:49 PM

    心が向上した証拠ですね。頑張ってください。

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