1月 18 2016
本当の信仰
なんか凄い天気ですね。東京など大雪になっているようではないですか。(こちらは雨が降っているだけですが)
今日から荒れた天気が続くそうですが、多くの人の心と行いが悪いとこのような天気にもなるでしょう。早く正せばよいのにとつくづく思います。(また、このような大雪で不幸になる人がたくさん出るからです)
おかしな宗教のおかしな予言ではないのです。(何月何日に地球が滅亡するとかなんとかのです)
現実に目の前で起きていることなのです。(天変地変にせよ、サイレンにせよです)
何でそれに対し無策でいるのでしょう。(無策といういい方も変ですが、昨日の大河ドラマ「真田丸」の影響ですね。〔笑〕)
このようなことが次々に起きているということは、凄い勢いで時代が変わってきているということなのです。(それにまったく気づいていない人が多いのですが)
ということは、その時代に合わせた心と行いにこちらもしていかないといけないのであり、いつまでも同じことをしていてはいけないのです。(今日も怒っているようですが〔たまにでかい音をたててです〕毎日同じことをしています)
毎日のようにレベルが上がって行くという人が、スポーツ選手などたまに見受けられますが、あれと同じように、このような時代になれば毎日のように心のレベルが上がって行かないといけないのです。
それほどの勢いで時代が変わっているからです。
運動能力などは肉体的な限界があり、上がりっぱなしというわけにはいかずに年齢に応じて下がってくるものですが、心のレベルは違います。
年や性別に関係なく、いくらでもレベルアップすることが出来るのです。よい人間になるのには限界はないということです。(もちろんいくらでも落とすことも出来ます)
そのよい人間の最終目標が釈尊やキリストという方々なのですが、そのような目標が私たちにはあるのであり、それに気づいて、その目標に向かい心のレベルアップをしている人には奇跡が、それを怠ったり、否定したりしている人には災いが、ちゃんと起きているのです。(この辺は特に顕著にそれが現れています)
昨日も書きましたが、もうどこにも逃げ場はないのです。
やれば幸せになり、やらなければ不幸になる、それだけのことなのです。怒っていても仕方がないのではないでしょうか。(物を投げたくって、ガンガン音を立てまくってますよ。子供と同じですね)
こちらの状況が状況ですので、どうしてもそれに合わせた書き方になるのですが、いつまで駄々をこねているのでしょう。どれだけ駄々をこねて逆らったところで、それでは誰も救われないのです。(そういう無反省な態度を取り続けているから起きているのでしょう。恐ろしい現象がです)
怒っているだけではなく、いい加減理解されたらどうでしょう。今の危ない状況をです。
それはどこかの会社の人たちだけの話ではないでしょう。
特に、この辺りは危ない人が多いと思います。(なにせ、これまでの行いが行いですから)
悔い改めて、本当の信仰を始めてはどうでしょう。本当の信仰などそれほど苦になることでもないからです。(そうですよね、ウナッシーさん)
肉体行をするわけでもなく(あんなの苦しいだけで悟りとは何の関係もありません。釈尊が肉体行を捨てられたあと悟られたのがそのよい例です)禁酒禁煙をするわけでもなく(ただ健康のために〔特に女性などは子供を生まなければいけないのですから〕すぎるのはいけないとはいいますが、そのような健康の害になったり、それに逃げたり、おぼれたりすることはいけませんが、気分転換のためならOKです)今の生活を大きく変えろというわけではないのです。
ただ、少し神のことを思い、これまでの人生を反省しながら、オホホ、アハハと楽しい生活をしてくださいといってるだけで、そのような生活を続けるのであれば困ったことがあっても、祈れば解決の道がついて来ますし、奇跡も起きます。
これまでのように、神を少しも思わず、無反省で、怒りやねたみやひがみの生活をやめて、そのような生活を心がけてくださいといっているだけなのです。
そのような正しい生活が信仰であるからです。
そのような正しい心と行いが、即ち本当の信仰になるのであって、特別なことをするのが信仰なのではないのです。
神に感謝した、反省のある正しい生活こそ、本当の信仰なのです。
それが一体何の苦になるのでしょう。むしろ今のように、面白くないことがあると文句ばかりいい、表面上だけ笑っているだけで陰で悪口のいいあいをしている生活の方が、よほど気疲れするのではないですか?
そのような心は神の心からはほど遠いからです。神の心からほど遠いことをしているのなら、それは自分の心にとって決してよいことではないからです。
そのような(文句や悪口ばかりの)生活が一番よいと思っている人は、すでに悪魔に憑かれているのです。
悪魔に憑かれれば、そのような生活が一番よく(心が落ち着くことに)なります。そのような心は地獄界の心であるからです。(この辺りは悪魔に憑かれた人が多いのです。私の心の中を平気でのぞいて来ますからね。〔そうですよね。その自覚のある人、この辺りたくさんいると思います。誰と誰と誰はそうと限定もできますし〕悪魔が耳元で教えているのです。他地域の人は驚くかもしれませんが、本当にこういうことはあるのです)
しかし、地獄界の心でいるなら、本当に地獄界がそこに出来上がります。では、そこには地獄と同じ現象が現れるということです。(だから不幸になる人が続出しているのです。自らが地獄界をつくって地獄を再現しているからです。地獄ではよいことは起きません。不幸しか起きないのです)
本当の信仰(正しい生活)を続けるなら、そこに天上界が現れます。だから、そのような生活を実践している人には奇跡が現れるのです。天上界は奇跡しか起きないからです。
天上界の生活と地獄界の生活ではどちらがよいのでしょうか?
聞くまでもないと思います。
天上界の生活をしたいのであれば、本当の信仰をされるべきなのです。
追伸…先ほども少し書きましたが、本当にこの辺りは地獄霊に憑かれている人が多いのです。
最近はよくテレビで、人の考えていることをいい当てるという人がいますが(メンタリストとかいわれてです)あのような人がこの辺り、ゴロゴロいます。(苦笑)
この辺りの何人かの人は人の心の中が分かるようです。悪魔に教えてもらえるからです。
これは何度も私は確認しました。
私の思いだけで反応する人があまりに多かったので(例えば心の中で「あの前の会社のバカは」と思うとします。するとそう思ったとたん、前の会社の誰かが反応するのです。〔物など投げてです〕)そういう人たちに向かい「お前ら、その耳元でささやいている奴、悪魔だぞ」と教えてやったのです。
そうしたら、一変に周りがシーンとしてしまい(それまではガタガタやっていたのがです)引いているのです。(その声を聞いて明らかに雰囲気が変わりました)
なんだ、ずいぶん悪魔に憑かれた奴が多いんだなと驚きました。
だから、この辺りは人の心が分かる人が多いのです。それだけ悪魔に憑かれている人が多いということです。(だからあのメンタリストがテレビやっていることなど、大して驚きもしません。この辺りの人はあれくらいのことが出来る人はたくさんいるからです。〔苦笑〕)
ゾッとしますが、そんな悪魔を憑けたまま死ねば、当然その人は悪魔に導かれ死後は、その悪魔が住んでいる地獄に行くことになります。
この辺りの人に何度もいっていますが、耳元で囁く(ささやく)者のいうことなど聞いてはいけないのです。それは悪魔であるからです。
生きている人の言葉を聞かないといけないのです。(特に、私のいうことを聞かないといけないのですが、この辺りの人たち全然聞きません)
その悪魔の言葉に耳を傾ければ傾けるだけ、深い地獄に堕ちていくことになります。
自分本位な生活は、それだけ危ない生活であるのです。
(知らず知らずのうちに悪魔を呼びよせているからです。この辺りだけではなく、そのような人が他の地域にもいるかもしれません。〔多分いるでしょう〕だから、書いておきました。訳の分からない者の声など絶対に聞いてはいけないのです。その声は悪魔の声であるからです)



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