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1月 20 2016

不幸なこと

10:54 AM ブログ

北日本から日本海側は、大雪になっているところもあるようですが(北海道なんか大荒れですね。だから私はいっているのです。早く原発を動かした方がいいとです)今日は名古屋もずいぶん雪が降っています。(何センチくらい積もっているのか知りませんが)

この雪くらい真っ白な心の人が多ければ、このような災いも収まるのでしょうが、雪とは正反対の真っ黒な心の人が多いようです。だから、これだけ災いが続くのです。(少し前まで暖冬といわれ、さほど寒くなかったのに、一変に寒くなってこの大雪です。この極端さ。まさに多くの人の心を表しています。中道の心を持った人が少ないのです)

昨日でもそうです。

庄内川の帰りに行きかうほとんど人は、私の顔を見れば嫌がらせをして行くのです。横の道路を走るバスやトラックもブシュブシュやって行きます。(前に比べれば減りましたが、それでもまだそんなことをしているのです。〔本当に遅れています〕何かもう意地だけのような気もしますが)

この辺り、悪いことが止まらないので(今日も朝からサイレンが鳴りっぱなしです)それを全部、私のせいにして怒っているのでしょうが、そういう責任転嫁と八つ当たりを続けても汚い心がよけい汚れるだけです。(これ以上、心を汚してどうするのでしょう。しかも大人から子供までです)

サイレンなど、もう日本中で響いているのです。

なぜ、このようなことが起きているのか?

人のせいばかりにしているのではなく、もう少し謙虚になり、自分自身を反省してみてはどうでしょう。

そうすればまた別の答えも出てくると思うからです。

昨日NHKの番組で安楽死のことをやっていました。(正確には安楽死ではないのですが)

末期癌で余命数日という人に鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死を迎えるということは是か非かという内容のものであったと思いますが(簡単にいえばです)そのような番組内容はともかくです。

癌の末期になると、その癌の痛みはどんな痛み止めを打ってもとれないようです。(モルヒネを打とうが何を打とうがです)

昨日の番組に出て来た人も(爺ちゃんでしたが)「痛い、痛い」と顔をしかめながらベットに横たわっていました。

その癌の痛みがひどい時は一日中続くそうです。

その痛みを見るに見かね、そうして、そのような痛みが続いている癌患者は少しでも早く楽になりたいと、その鎮痛剤を打つことに同意する人もいるようですが、こういうことをしても結局同じなのです。

その鎮痛剤を打って眠らせて、そのまま死んで行くのなら、見た目はその方が楽なように見えますが、亡くなった人は、その癌の痛みを引きずったままあの世に行くことになります。

では、その痛みはそのままで、結局あの世(地獄界)で苦しみ続けるということになるのです。

そんなことをどれだけしたところで、見た目が楽そうなだけで、実際は痛みで苦しみながら死んで行った癌患者は、何も救われていないということを知るべきなのです。

こういう番組を観ていても思うのです。「だから、早く法を拡げないといけない」とです。

法が拡がるのなら、このような苦しみはなくなるからです。

そのような癌の苦しさに耐えかね、あるいは家族の苦しみを見るに見かねて、少しでも早く楽にしてあげたいと、どのような薬を打っても、実際に死が近くなれば、その苦しんでいる人を救うことは出来ないのです。

死が近くなればなるほど、すでにその苦しみは肉体の苦しみではなくなっているからです。その苦しみは心の苦しみでしかないからです。(だからこの世の薬が効かないのです。この世の薬は肉体にしか効かないからです)

しかし、心の苦しみであるなら、もう、この世の薬で癒す必要はないでしょう。回りの家族の愛で癒すことが可能であるからです。

実際に私は、その愛で(祈りで)末期癌の人の癌の痛みを癒したことがあります。(証人がいますから。その方は賛助会員の方ですから)

回りの家族に愛があるなら、薬などに頼らなくても末期癌の患者の癌の痛みはとれるのです。愛の心で祈るなら、その願いは天にきかれ、末期癌の患者の癌の痛みがなくなるという奇跡も起きるからです。

そういう奇跡が起き、末期癌の患者の痛みがとれるのであれば、もうその人が痛みで苦しむこともなくなり、家族がそれを見て苦しむということもなくなるわけです。

もう死期が近いという寂しさや悲しみは、もちろんあるのでしょうが、その寂しさや悲しみも一時のことなのです。

いずれ自分たちがあの世に帰るなら、また、その人と再会できるからです。

それならまた希望も湧いて「また、あの世で会えるのだから、これからあの世に帰るまでこの世でのことをしっかり反省して、あの世に帰ったら天上界で待っていてね」という話も出来るわけです。

法が拡がり、それを実践する人が増えるのなら、このようなことが可能になってくるのです。

そうであるなら、癌で亡くなる人も、またその家族も、それほど不幸とは思わないのではないでしょうか。死などほんの一時の別れにしかすぎないからです。(だから、死という言葉はもうなくした方がいいと思います。「あの世に帰る」これですね)

とにかくです。これほどの教えがあるのに、それを無視しているのが一番悪いのです。(だから悪いことばかり起きるのです)

この教えが拡がるのなら、世の不幸と思っていることがドンドンなくなっていきます。

いつまでくだらない意地を張っているのでしょう。

そのようなくだらない意地を張っていることが、一番の不幸なことなのです。

(末期癌の人の癌の痛みをとるなどということはよく考えたら凄い奇跡ですよね。法が拡がれば、そういう奇跡も普通に起きるのです)

2コメント

2 コメント to “不幸なこと”

  1. ウナッシー2016/01/20 at 12:40 PM

    少し心に余裕ができた気がします。どういうことか。それはこれまで仕事などで計画通りに行かない時は、部品の不具合であったり設計図のミス又は自分の責任など様々なことが原因となり進捗を滞らせていたのです。すると部品が悪いからとか作業を遅らせた原因をあげては逐一報告をしていたのです。そうです、私の責任ではなく部品だとか外に向けていたのです。でも今は、この流れは変だぞ、何か反省すべき点があるなと思えるようになったのです。自分の思いが現れていると思えるのです。進捗が滞ると気持ちが焦り、ストレスは当然たまり現実の自分への責任が感じられる中で、感謝と反省を通して抱える不安を一掃し翌朝に出勤するとまた一からのスタートがきれること。それは上司への言い訳もなく自分は今日こそはと頑張れるのです。それが自分にとっては窮屈だった心を解き放してくれたのです。決して自分を留めることなく常に前進する事でこの感謝の気持ちを保持し続けたいと思えるのです。

  2. gtskokor2016/01/20 at 2:06 PM

    そういう思いは大事なことであると思います。(責任転嫁ばかりしている人が多いので、特にそう思います)
    その調子で頑張ってください。

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