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1月 21 2016

死の意味

10:44 AM ブログ

本当にもったいない話です。

この教えを勉強するなら、不幸なことが不幸でなくなるというのにです。

昨日の話をもう少し書きますが、あのNHKの番組では、その鎮痛剤を打った医師も、それを容認した家族もみな悩むのです。

自分が、その鎮痛剤を打った人を殺してしまったのではないのかとです。

殺したとまではいいませんが、実際このような行為は間違っています。こういうことをするなら、した人もまた何らかの罰は受けないといけなくなるでしょう。

それがどれだけよかれと思ってやっていることでも間違いは間違いだからです。(こういうところが、この世の修行の難しさですね)

この世の修行とはそのようなもので、どれだけ自分では人助けをしたと思っていても、それが間違った行為であるならば、罰は受けないといけないのです。

これと同様、植物人間になってしまった人をそのまま生かすのか、それとも点滴を抜いて殺してしまうのか悩むのも同じなのです。

植物人間の状態とは、もう肉体が事故などでどうしようもなくなって本来なら死ななければ(あの世に帰らなければ)いけないのに、その魂が肉体から離れず、それで意識がないままでも生きている状態をいうのですが、この植物状態になる人も同じなのです。

このような人も家族に愛があるなら救えるからです。

なぜ、このような状態になるのかといえば、やはりこのような状態になっている人が死の意味を知らないからです。

死の意味を知らないがため、もう自分の肉体はどうしようもないと分かっているのに、そのどうしようもなくなった肉体から魂が(本当の自分が)怖くて離れられないのです。

だから、意識がないまま生きているという状態が続いているのですが(例えば、脳などが壊れてしまってはもう意識は戻りませんから)こういう場合は、この怖がって離れられないその人の魂に呼びかけ、そうして祈ってあげるとよいのです。

「死ぬことは怖いことでもなんでもないのです。どうぞあなたはこの肉体を離れ、帰るべき実在界へお帰りください。神よこの方に光をお与えください。安らぎをお与えください。どうぞ正しくお導きください」

と祈れば、その人がそれを理解した時に、その魂は肉体から離れ、その植物状態の人は自然と死に至るということです。

マッ、実際はもう少し詳しく、そうして心行なども上げてやってあげないと、しっかり成仏できないとは思いますが、簡単に書けばこういうことなのです。

家族が愛を持って祈ってあげれば、その植物状態の人は、いつまでもその肉体にとどまらず、自然に亡くなるということです。

植物状態の人を持つ家族は、いろいろな面で(その人の世話だけではなく、植物状態を維持するためのお金もかなりかかるようですし)大変だと思いますが、そのような人たちも法を知るなら、誰に無理をかけることなく、自然によい方に導かれていくのです。(家族が亡くなるのがよいこととはいいませんが、昨日も書きましたが、その家族とはまたあの世で再会できます。とにかくこのような場合はまず生きている人が救われる道を選ぶべきなのです。それがしいては亡くなった人も救うことになるからです)

いいにくいことではありますが、死は避けられるものではありません。

どれだけ若かろうが、丈夫であろうが、死ぬ時は死ぬのです。では、その死の意味をよく知り、その心がけだけはしっかりしておいた方がいいでしょう。

死ぬ間際に慌てて取り乱しているようでは地獄行きだからです。(またこの植物人間のように肉体に執着し、死を恐れているのもまた地獄であるからです)

その本当の死の意味を知ることが出来るのは、この法を勉強することだけなのです。(死はこの肉体の世界からの卒業でしかありません。肉体の世界を卒業したあとは今度は意識の世界で勉強するのです)

また、法を勉強するならばこれまで書きましたように、様々な苦しみから救われることが出来ますし、その苦しみを体験しないでもすみます。(心がよくなればおかしな病気やけがなどしないからです)

そうして、その苦しみから奇跡的に救われることも出来るのです。(ひどいけがや病気が奇跡的に治るということも当然起きます)

何度も書きますが、この教えを勉強するならばすべての面で救われて行くのです。

昨日、今日書きましたことは現実として起きていることであり、いつ自分がそのような体験をするか分からないのです。

他人事ですましておけることでもないでしょう。そういう時の対処の仕方など、すべて真剣に考えておかないといけないことなのではないでしょうか。

それがこの世の勉強であり、この世の修行は、いつ、どこで、どのようなことが起きるのか、自分の心の在り方次第で分からないからです。

私たちは明日死ぬかもしれないのです。

だからこそ「もういつ死んでもよい」そのような執着のない、やることをやっているからあの世に行くのもまた楽しみだ、といえるような生活を常に心がけないといけないのです。

この世も楽しければあの世に行くのもまた楽しみ、そのような死を怖がらない生活こそ、本当の楽しい生活であるからです。

現実を見ようとしない、自分のことしか考えない視野の狭い生活など、所詮はうわべだけの偽りの楽しい生活でしかありません。

そんな生活の仕方など砂上の楼閣でしかないのであって、いつその生活が壊れるか知れないもろいものなのです。

しかし、どのような場合にも対処できる智慧があるなら、どのような苦労が降りかかろうともそれに負けることなく、幸せな生活は続けることが出来ます。

どんな不幸が起きても、それを幸せに変えられるその実践こそ大事なことであり、その方法を知ることはなお大事なことなのです。(方法を知らないと実践できませんから)

そのような本当の楽しい生活をするためにも、法は勉強しないといけないのです。

法を知ることこそ、唯一の本当の幸せを手に入れることが出来る、その方法であるからです。

追伸…何か最近は力技が多いように思いますが、楽しいですか、そういうのって???

姿かたちばかりきれいにしていても救われません。心をきれいにしないと救われないのです。(今のままだと失格者が続出ですが…)

我を出すのではなくもっと愛を出されてはどうでしょう。

その愛が自分を救うからです。

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