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1月 22 2016

人の本当の幸せ

11:18 AM ブログ

最近は、午前中は静かであるのに、午後になると急にキレ出してやたら怒りだす(それが夜まで怒っている)そのような日が続いているようです。

まるで、同じ時間に発作が現れる悪い病気にでもかかっているようですが、大丈夫でしょうか?

昨日は庄内川に行ってきましたが、帰りはほとんど歩いている人に会いませんでした。(一人二人やたら怒っている人がいましたが)

二、三日前までは、庄内川の帰り道は小学生の集団がよく歩いて来ていました。(最近は小学生とはよく会います。中学生は相変わらず全然いませんが)

同じ時間に同じところを歩いていれば謝りに来るのもいるだろうと思い、それでそうしているのですが、何が何が謝りに来るどころか、その小学生たち、これまでと同じように私の顔を見ると嫌がらせをしていくのです。(まだバカにする奴がいますから)

まったく反省していないようです。

どれだけ神の業が現れても、それを畏れ素直に頭を下げようという殊勲(しゅくん)な気持ちになる者はいないようです。(本当にひねた小学生たちです。さすが過去世で悪人なだけはあります)

そういう態度ならこちらは祈りを続けるだけです。「お前ら何が起きても逃げるなよ」といっておいたんですが、昨日は早速逃げ出したようです。(苦笑)

あんな小さな子供が大人を散々バカにしているのです。それだけでもずいぶん悪いことをしていると思いますが、まったく反省しません。(親はどういう教育をしているのでしょう。親の顔が見たいです)

反省するどころかなおやってくるのです。それでは天罰も食らうでしょう。それがなぜ私のせいなのでしょうか。(危ない奴にあんなことを繰り返したら、怒ってひどい目に遭わされかねないくらいのことをやってきます。〔しかも大勢で〕それでは何が起きても自業自得なのではないでしょうか。あまりにやっていることが悪いからです)

子供らだけではありません。

怒りたくっているどこかの会社の連中も、どこかの運転手の連中も、歩いて来る人たちも同じでしょう。

自分達が先に散々嫌がらせをしてきたのです。(今もその嫌がらせは続いていますが)

それなのになぜ、その嫌がらせは問題にせず、自分たちに悪いことが起きたところだけ問題にして、それをすべて私のせいにしているのでしょう。

それは、あまりに自分勝手な発想なのではないでしょうか。

神がつくられたこの世界で、自分たちは、その神を少しもまともに思ってこなかったのです。知らなかったとはいえ、そういう不遜な態度を取り続けていて、それで天罰が下りだしたら、それをすべて人のせいにして、自分は何も悪いことはしていないと居直っているのです。

この人たちは、どれだけ罪を重ねれば気がすむのでしょう。

この人たちは単に自分たちが犯している罪を認めないだけなのです。

それでは話にならないでしょう。この天罰は多くの人が自分の罪を認め(神に対する不遜な態度です)それを反省するまで続きます。

段々起きる現象が激しくなってきているようです。早く気づいてください。偉大な神の存在をです。そうして自分たちの過ちをです。(無神論では永遠に気づかないでしょうね。自分たちの過ちなどです)

それにしてもえらい違いですね。私と皆さんではです。

だって私は、毎日のようにこのブログを通し人助けをしているのです。

それに比べて皆さんはどうでしょう。金儲けをしながら、怒ったり、ねたんだり、ひがんだり愚痴をいったりして人に嫌がらせをしているのです。

いま起きていることは、この行いの違いがそのまま輪廻しているだけなのではないでしょうか。

だから私には奇跡が起きて、皆さんには災いが起きているのです。普段の行いが間違っているからです。

認めたくはないでしょうが、私は多くの人を救っています。その違いが起きてくる現象の違いなのです。(厳密にいえば、私が祈って悪いことが起きた人も救っているのです。そのような現象が現れることにより、その人の心は成長しますし、それを知った周りの人の心も成長するからです。そういう現象も起きるのだということを知ってです)

こういう起きたことがないような現象が起き出したのです。半分パニックになり、神の現す現象を認めないのも分かりますが、もう少し余裕を持って周りのことを考えてはどうでしょう。

あまり意固地にならずにです。

気分転換も大事です。少々遊びなどに没頭し、気分を変えてもう一度周りを見渡してみたらどうでしょう。そうすれば、これまで見えなかったことも見えてくるかもしれないからです。(ただし節度を持ったです。節度を超えた遊びなどすると、またそれが自分に返ってき自分が苦しむことになるからです)

そればかり考えているより、たまには違うことも考え気分転換することです。そうすれば視野もまた広がるからです。(もてて金もある人たちならなおのことそうです。適当に遊んで気分転換してまた頑張ればいいのです。〔私だって昨日、適当に遊びもいれたブログも書いていますし・笑〕せっかく周りの人たちが(偉い人までです)許してくれたのです。そうであるなら、それに感謝して、気分も一新して頑張るべきではないでしょうか。それが自分の心の成長ともなるからです)

とにかく、多くの人がどれだけ私を悪くいようと、私のやっていることは正しいことでありますし、人助けでもあるのです。(主に心を救っているのですが)

それは起きている現象が証明しているのではないでしょうか。

釈尊やキリストがなぜ多くの人を救われたのか?

それはあのような方々が偉大であったということもありますが、基本、人は人助けが一番楽しいのです。

多くの人はそれを知らないのです。

自分のことだけやって自分一人だけが幸せになれば、それが一番の幸せなんだと思っている人も多いのかもしれませんが、では、自分の好きなものがすべてそろっている無人島で一人暮らすことが幸せなのでしょうか?

自分の周りには自分のやりたいことがすべてやれる環境があり、そうして好きな食べ物、飲み物がすべてそろっている、そのような場所に自分が暮らせたとします。

自分一人の幸せが一番の幸せならば、そのような場所で暮らせれば、一生楽しいはずですが、多分そのような場所で一週間も暮らせば、人は辟易(へきえき)しだすでしょう。

人、一人でのそのような生活など苦痛でしかないからです。

結局、人はいろいろな人々と幸せに暮らすのが一番の幸せなのです。

釈尊やキリストはそのことをご存知であったのです。だから、人の幸せは自分の幸せと多くの人を救われたのです。

そうすることが(神の子の人間として)一番の幸せと分かっていられたからです。(神の心がそのようであるからです。神の心に自分さえよければいいという考えはないからです)

だから私は一番幸せなことをしているということになります。だから私には奇跡が起きるのです。

私たちにとっての一番の幸せとは、人として一番よいことであるからです。

意固地に自分の殻に閉じこもっているより、少し遊びも混ぜながら発想の転換をしてみませんか?

そうすれば、もっと素晴らしい世界が見えてくるからです。

今この辺りで起きていることは決して災いではないのです。これから素晴らしい世界が現れる、その序章でしかないのです。

この苦しみを乗り越え悔い改めるのであれば、素晴らしい世界が現れてきます。

人に嫌がらせをするより、人助けをしてみませんか?

そのような正しい行いが、人としての本当の幸せであるからです。

追伸…しかし、本当に効くんですね。花粉症にヨーグルトって。私は効かないと思っていました。ヨーグルトなど毎日食べていたからです。

私は花粉症がひどかったのです。

鼻水が全然でない時期など、正味六月から八月くらいの暑い間だけで、九月の中旬くらいからもう鼻水が出だして、年末にかけて鼻水くしゃみがひどくなり、そうして二月に入るともう薬を飲まないとやっていられないという感じでした。(市販の薬ですが、その薬を五月くらいまで飲んでいるのです)

それが今年の正月明けくらいでしょうか、テレビでヨーグルトを五百グラム毎日食べて、二年ほどで花粉症が治ったとかなんとかいっていた人がいたのです。

それで私はヨーグルトは毎日食べていたのですが、少し食べる量が少ないのかなと思い(これまでは毎日百五十グラムほどでしたので)倍くらいの量に増やしたのです。(朝、百五十グラム、夜、百五十グラムみたいな感じでです)

そうしたらです。覿面に効きましたね。

二、三日後にはもう鼻水が出るのが少なくなって、今日も大して鼻水出ていません。とにかく症状が半分以下になりました。(もう二週間くらいこんな感じです)

私が食べているヨーグルトは花粉症に効くやつではないのですが(ブルガリアヨーグルトですから。〔笑〕)それでもこの効き目です。

やはり乳酸菌って花粉症にいいんですね。(本当に驚きました)

花粉症はこれからが本番ですが、ヨーグルトはいいようです。花粉症の人は試されたらどうですか?

ほんと、やってみる価値あると思いますよ。(今の時点ではまだ分かりませんが、それでもずいぶん楽になりました。この調子で二月三月もいってくれたら最高ですね)

2コメント

2 コメント to “人の本当の幸せ”

  1. ウナッシー2016/01/22 at 12:34 PM

    愛の力は奇跡を生み出すのですね。大相撲では琴奨菊が単独の負けなしで優勝街道まっしぐら。このところモンゴル勢に祝杯を持っていかれる中で、日本人の久し振りの優勝に期待が掛かります。この琴奨菊は昨年奥さんを持たれたそうです。なんでも、琴奨菊のお父様が奥さまに誕生日プレゼントを送るため何が良いか尋ねたところフライパンが欲しいと言ったそうです。旦那である琴奨菊さんに手料理を食べてもらいたくて栄養学を学び資格を取ったその腕を振る舞いたいとのことだったそうです。この奇跡を続けて頂き、疲弊した日本に灯りを点して頂きたいものです。

  2. gtskokor2016/01/22 at 1:50 PM

    琴奨菊の優勝は期待しますが、この調子の良さ、愛の力だけでしょうか?(神の力も感じるんですが)
    もし今場所、琴奨菊が優勝したら、少しブログでも琴奨菊のことを書きたいと思います。

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