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2月 13 2016

災いから逃れるには

11:17 AM ブログ

昨日は(ウナッシーさんからのコメントにも書きましたが)東山動物園に行ってきました。家の前で工事があるといわれていたからです。

東山動物園の動物たちは相変わらず可愛かったです。

いきなりカンガルーが立ちあがって、蹴りあいみたいなことをしてじゃれあっている(テレビでそういう場面を観ることがありますが、実際に見たのは初めてですね。〔笑〕)オットセイや猿は大騒ぎしている、ライオンまでガアーガアー吠えて(わりと可愛らしくですけどね。それでもオスが吠えるのですから迫力満点でした)メスの方など、つるしてある木にじゃれて可愛らしい態度を取っている、あのおとなしいプレリュードックまでが、私が見ていると落ち着きなく騒いでいます。

そうして私が「またな」といってプレリュードックの檻から離れたとたん、なんと、大きな声で鳴きだすものまでいるのですから驚きました。

前に一度、プレリュードックが鳴いたのを聞いたことがありますが、あれだけ大きな声でずっと鳴いていたのは初めてですね。(だいたいプレリュードックなど普段鳴かないでしょう)

檻の中に数匹いたのですが、その中の一匹が、あまりにでかい声で鳴くものですから、またプレリュードックのいる檻に戻りました。さすがにそのまま行くのもかわいそうかなと思ったからです。(戻っても全然鳴きやまなかったですけどね。私が帰りかけたので怒ってしまったようです。〔笑〕)

他にワシなども、私の顔を見てギャーギャー鳴いていたり、コアラなども動き回っていました。

コアラを見ていた時、同じように見ていたある人が「コアラがこれだけ動くのを初めて見た。いつもはおきていても全然動かないのに」といっていましたが、私は逆にコアラがジッとしている場面を見たことがありません。

おきていれば必ず動き回っているのです。(私の方をしょっちゅう見ていますし。そういう場面をもう何度か動画に撮りました)

だから、そういう声を聞いてやはり動物たちは、私が行くと普段とは違う態度を取っているのだな、と改めて思いました。

しかし、こういう哺乳類がこのような可愛いらしい態度を取るというのはまだ分かりますが、なんと爬虫類まで可愛らしい態度を取るのです。

その可愛らしい態度を取った爬虫類とはオオトカゲでした。

私がそのオオトカゲの檻を見に行くともう水の中で大騒ぎをしていました。(あんなに騒いでいるオオトカゲを見たのも初めてですけどね。これまでは檻の中でジッとしていましたから)

他の人も見ているのに、私の前を行ったり来たりして目の前でバシャバシャやっています。

こういう場面も珍しいので動画に撮って、そうして撮るだけ撮ったので、そのオオトカゲにも「またな」と声をかけて行こうとすると、なんと、そのオオトカゲが私が見ている目の前まで上がってきて、腹をピタッと檻につけ、顔を左右に微妙に振っているではないですか、まるでイヤイヤをしているようなのです。

私は「エッ」と思いました。爬虫類までこういう態度を取るとは思わなかったからです。(信じられますか?この理屈で行くと恐竜まで可愛らしい態度を取るということになります。〔恐竜も爬虫類ですから〕凄い奇跡ですね)

もう何度も東山動物園に行っていますので、動物たちが私になついたということもいえますが、それにしてもこれだけの態度を動物たちが一人の者に取るでしょうか?(いくら何でもなつきすぎです。〔笑〕)

どの動物たちも、他の人には見せないような態度を私には取るのです。心が変わる、法を知るとはこのようなことなのです。

法を知って実践すると愛が(心から)あふれ出てくるということです。

動物たちは、その愛に気づいているのでしょう。だから私にはそのような態度を取るのです。(愛には愛で返しているわけです)

しかし、その愛にまったく気づかないのが人間たちなのです。

昨日もひどかったです。

あそこにいる多くの人が(もちろん、来ている人たちだけではなく飼育員から工事の関係者までです)私の顔を見ると何か嫌がらせをしていきました。

それも大人から子供までです。(おまけに帰りの電車の中もひどかったです。前に座っていた爺さんに散々ゴホゴホ、ガハガハやられました。私も辻説法をしたんですが、その爺さんは私の話を聞いても怒っているだけでした)

私は「これだけ誰も神を思おうとせず、神の心を知ろうともせず、調子にのった態度を取り続けていて大丈夫か。もっと恐ろしいことが起きてくるのではないのか」とふと思いました。

あまりに多くの人が無反省であったからです。これほどの神の業が現れいても、その神の業を恐れようともしていなかったからです。(神の業を人のせいにして、ただ怒っているだけなのですから話になりません)

そう思いながら帰ってくると、私の横を通って行ったバスがいきなりブシュっとでかい音を立てて走り去って行きました。

「なんだこいつ、いつもより怒っていないか?」と思い(最近は市バスの連中、ここまででかい音を立てなかったですから)歩いていましたら、また横の道路を通ったバスがブシュとやってきて、運転手の顔を見ると明らかに怒っています。

「こいつら何か起きたんじゃないか?」と思っていると、また横を通ったバスがブシュとやって行きました。

「市バス連中に何か起きたな」と思って家まで帰ってくると、今度はどこかの会社の連中が烈火のごとく怒っています。(ここはしょっちゅうですけど)

私が東山でふと思ったことが現実に起き出しているのではないでしょうか。

今の名古屋の人たちは、聖書などに出てくる神に逆らい滅ぼされる人たちとあまりに似ているからです。(その神を思わない傲慢なふるまい、そっくりです)

私の周りで起きていることは、最初に書いた通りです。(とりあえず動物たちが対象ですが)次々に愛ある奇跡が起きているのです。

では、怒っている人たちの周りではどうなのでしょう?

何が起きているのか知りませんが、この法に従うのであれば、少なくとも災いは起きないでしょう。

愛あるところに災いは起きないからです。怒りやねたみ、ひがみなどがあるところに災いが起きるからです。

自分の周りに、もし災いが起きているとしたら、その災いは自分の(怒りやねたみなどの)心を変えない限り止まらないでしょう。

その災いはすでに多くの人に現れているからです。(ということは、そういう心の持ち主が多いということです)

災いが起きない方法は心に愛を持つこと以外にないのです。心に愛がないから災いが起きているのです。(自分さえ〔あるいは自分たちさえ〕よければいいという偏狭な愛は本当の愛ではありません。だから、そういう人にも災いが起きているのです)

その本当の愛を持つためにはこの法を実践するしかないのです。

実践されてはどうでしょう。それ以外救われる道はないからです。

(災いが次々に起きだしたのなら、もう「お前のせい」といっている場合ではないのです。「助けてください」なのです。その災いから逃れる方法は、この法〔本当の神の教え〕を実践する以外ないからです。いつまで突っ張っているつもりですか?そのままの心では滅ぼされるのです)

2コメント

2 コメント to “災いから逃れるには”

  1. ウナッシー2016/02/13 at 1:51 PM

    昨夜勤務先の事を思いだし何か最近は心がざわめくな、何だろうと考えてみました。ここのところ会社の体制に変化があり人事だけでなく生産の方面にも影響が出てきました。以前であれば人ありきの仕事でしたが今では仕事ありきの人であることに気が付きました。であるから何をするにも人とのコミュニケーションより仕事の話での損得勘定しかしていないのです。だから出来て当たり前、できないのは怠慢だ。そんな空気が充満してきているのです。しかしながら現場サイドでは色々な情報源があり各係りの中間職を引き込みながら妥協点を見つけてやり繰りしているのが現状です。急速に変化する会社の体制にプラスして儲け主義に傾きかけている今は自分を見つめ直しながら調和を考え進むのみです。

  2. gtskokor2016/02/13 at 2:50 PM

    そうですね。調和と中道を忘れてはならないでしょう。

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