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2月 14 2016

誰に布施するのか

11:15 AM ブログ

昨日の中日新聞に書いてあったのですが、ある大きなお寺の高僧に一般の僧侶が会いに行くには高額な「お気持ち」(献上金)を持参するのが習わしになっているそうです。

そのお気持ちは一万から数十万まで幅広いんですが、中には百万も包んだという人もいるようです。

それにしても、こういう人たちがどれだけ人を救っているというのでしょう。金の問題ではありませんが、皆それなりに苦労して稼いだお金をそれだけ持参しているのです。

それでは、よほど救われる話や行い(祈り)をされなければ割に合わないし、僧侶というのですから、お金など度外視して黙っていても人を救わなければいけないはずなのに、会うだけでそういった高額なお金がかかるとは一体どういう料簡なのでしょう。

どこかの政治家も真っ青ですね。

しかもこのような高僧といわれる人の中で、そういったお金の一部を懐に入れて、個人的に使っていたというのですから話になりません。(それで国税から追徴課税されたそうですがアホですね)

ますます、僧侶としての立場を逸脱していると思いますが、こういうことは他の宗派でも起きているそうです。

別に僧侶なのですから、お布施をもらうことは問題ないでしょう。

だから、お布施をもらうのはいいのですが、そのもらい方と使い道、そうして、そのお布施をもらっただけの行いを(もちろん、僧侶としてのです)しているのか?ということが問題なのです。

いってはいけませんが、そのどれもまともにしていないんじゃないですか?

もし、高僧といわれる人たちが僧侶としての本当の使命を果たしているのであれば、これだけおかしな世の中にはなっていないと思うからです。

また、これだけたくさんの神の業が現れるようにもならなかったと思うからです。

こういう悪いことが次々に起きているのは、僧侶が僧侶としての使命を果たさず、人々をよい方に感化さていないから起きていることであり、このような不幸が多い世の中を幸せが多い世の中に変えることが僧侶としての使命であるはずです。

しかし、ちっともよい世の中が来ないのは、僧侶たちがその使命を果たしていないからです。

だから、そのような人たちに布施するのは間違いであると私は思うのです。

そういう人たちが使命を果たしているのなら、これだけ頑なな人が多いのはおかしいからです。

僧侶たちがしっかり仏の心を世に伝えているのであれば、もっと素直な人が増えて来ないといけないからです。仏の心とはそのようなものであるからです。(素直で愛と慈悲の塊の心を持たれている)

僧侶が自分たちの使命を果たさなかったから(とりあえず名古屋を始めとしたこの辺りではですけど)これほどの現象が現れてきても反省する人がほとんどいないのです。

仏の説かれる教えを知らないから素直さもないからです。

だから、神の業を神の業と理解もしません。神の業を人の業と勘違いしているのですから話にならないでしょう。(それだと相当やばいんですが)

だいたい、僧侶からしてそれを理解していないようで、私に嫌がらせをしてくる僧侶までいるのですから、これもまた話になりませんが、これこそもうまともな僧侶がいない証拠でしょう。

まともな僧侶がいないから、このような時に何をしていいのか分からないのです。

しかし、こういう時にこそ(神の業が数多く現れている時こそ)もっとも僧侶が働かなければいけない時であるのです。

そうではないでしょうか?その神の業を鎮めることが出来るのは、僧侶や神主など神に仕えている人たちだけのはずだからです。(普通の人では無理ですよね)

仮にこの現象が、神の業ではなく私が祈って現していたとしましょう。

それでもです。僧侶であるなら自分たちも祈って、その祈りに対抗しなければいけないし(祈りには祈りでしょう)どのようなやり方をしても(秘儀でも何でもいいですから)この現象を抑えないといけないのです。

このような恐ろしい現象を鎮めるのも僧侶の仕事のうちだからです。(祈りやお祓いは僧侶の仕事ですもんね)

ところが誰一人、そういうことが出来る僧侶はいません。高僧、名僧と(あるいは神と呼ばれる教祖まで)いわれる人は世にたくさんいるはずなのに、私のようなシロウトの(どう考えても私はシロウトですよね、そのような人たちから見たらです)祈り一つ抑えることが出来ないのです。

これでは話にならないでしょう。そういう人たちが高僧、名僧といわれているなどこれ以上片腹痛い話もないわけです。こういう僧侶たちが力を発揮しないといけない時にまったくその力を発揮できないからです。

こういう時に何も出来なければ、先ほど会うだけでお金をもらっている人たちなど、高僧ではなく、詐欺師ということにもなりかねません。

世が乱れ多くの神の業が現れた時に、それを鎮めるのが高僧の使命であるからです。いま現在、その使命を高僧、名僧といわれる人たちは誰も果たしていないからです。

人を救うはずのプロが、その使命を果たさないのです。これでは詐欺師といわれても仕方ないのではないでしょうか。それ以外にいいようがないからです。

こういうところを見ても、この現象を私のせいにするのはお門違いでしょう。坊さんたちが使命を果たせば収まる話であるからです。(陰陽師みたいな人、現代にはいないようです)

もちろん私がこの現象を現しているわけではありませんが、私ならこの現象を抑えることが出来るのです。それは私の周りで次々に起きる奇跡がそれを証明しています。(ということは私が現代の陰陽師ですね。〔笑〕)

私はシロウトに毛が生えた程度の者ではありますが、しかし、それでも悟りを開かれた方々から指導を受け、祈れば奇跡が起き、説いている法を信じれば、その信じて行った人の心に応じた奇跡も現れているのです。

布施をもらってもお経を上げる程度で、世に奇跡を現すどころか、人一人も救えない、そういう人たちをいつまでも信じていて、それでよいのでしょうか?

私はお金をもらっているわけではありませんが(どれだけいってもいただけないものですから。〔苦笑〕)それでも多くの人を救っているのです。

いい加減、どちらに布施すれば救われるのか、お分かりになりませんか?

布施する人を間違えていては、いつまでたっても救われないのです。

2コメント

2 コメント to “誰に布施するのか”

  1. ウナッシー2016/02/14 at 1:49 PM

    辞職の意向を示した宮崎議員の奥様の評価が上がっているようです。旦那である宮崎議員に「恥をかいて来なさい」と言ったことが同姓からの支持があるそうです。女性として正しい判断であってほしいものです。それは、この奥様も一議員であり身の処し方次第では後々に関わってくるのであり、故に旦那に言ったその言葉が果たして正しい心からのものであったのかは今は分からないからです。表立って騒動を巻き起こしたのであるから、是非国民に見本となるような反省をして頂きたいと思います。

  2. gtskokor2016/02/14 at 8:44 PM

    妻は、どんなダメな夫でも一人前の男に育てなければいけない使命があります。
    この方が、その使命を果たされることを願っていましょう。

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