3月 07 2016
しっかり実践する大事さ
しかし、地元のプロ野球球団は弱いですね。オープン戦序盤とはいえ、負けっぱなしではないですか。(何か勝てそうな感じしませんが)
まさか、あまりに負けすぎてオープン戦で監督が首になるような前代未聞のことが起きないでしょうね。
それくらい勢いがありません。(苦笑)
私のアドバイスは聞いた方がいいのではないでしょうか。私のいうことを聞く人と聞かない人では、起きていることに雲泥の差があるということは地元の人であれば誰でも分かると思うからです。
スポーツなど特にそれがよく現れます。スポーツ選手ほど私のいうことは聞いた方がいいのです。法を実践するかしないかで大きく成績も変わってくるからです。
あの何十年ぶりかで男女の団体戦で同時に決勝へ進出した卓球などもそうなのです。
どちらも決勝で敗れましたが、あの団体戦に出た選手の中で誰か一人でも法をきちっと実践している選手がいたのなら、その選手がいた方は勝っていたのです。(つまり優勝していたということです)
しかし、そこまでしっかり法を実践する選手がいなかった、それがああいう結果となって現れたのです。(両方とも準優勝)
決勝まで行けたのだから、優勝できるほどの分がある選手はたくさんいたのにです。
もちろん準優勝でもよいのですが、スポーツ選手であるなら(あそこまでいけば)誰だって優勝したいはずです。
しかし、中国の壁は相当厚いのです。(何せ、決勝で両チームともストレート負けですから)練習だけでは超えられない部分もあるでしょう。
その練習で超えられない壁を超えることが出来るのが、神の力なのです。
神の心に近づけば近づくだけ奇跡も起きてきます。そうしてその奇跡は、自分の心が向上するから起きることであり、決して悪いことでもなんでもないのです。
物心両面で向上するから結果もよくなる、これもまた当たり前のことであるからです。
法を知っているチームが法を知らないチームに負けるわけがないのです。中途半端ではなく、しっかり法を実践されたらどうでしょう。
そうすれば、必ず(もっと)よい結果が現れてくるからです。
このように法を少々知っただけではいけません。法を知ったのなら、実践しないといけないのです。
もちろん法を少々知って実践するだけでも奇跡は起こります。(そういう奇跡が起きた人はたくさんいますから)
しかし、少々の実践しかしなければ、少々の奇跡しか起きないのです。(現にそうでしょう。私ほどの奇跡が起きている人はいません)
私ほどやれとはいいませんが、少しずつでも実践を増やされたらどうでしょう。そうするだけでも十分、奇跡の実感は得られると思うからです。
ソロソロ昨日書いたことなども実践されではどうでしょう。
そうすればまた一つ、法の実践が進むと思うからです。(ということは、また次の奇跡が現れてくるということです)
追伸…最近は認知症の人が増えたそうですが、前に園頭先生が認知症は普段から勉強していない人がなるといわれていました。
先生は、普段から、しっかり本など読んで勉強している人は認知症になどならないといわれていたのです。
園頭先生の本好きは有名でしたが、先生は本当に多くの本を読まれ、どれだけ知識があるのかその知識の深さが分からないほどでした。(だから先生は、もちろん認知症などなられませんでした)
最近は本など読まない人が多いようですが、認知症の人が増え始めたのもそれが原因なのではないでしょうか。最近は本など読んで勉強する人は少ないと思うからです。(うちの父もそうでした。休みの日などテレビを観ながら寝ているか、自転車に乗って外を(犬と)走り回っているかのどちらかでした。本を読んでいる姿など見たことありませんでした)
最近はパソコンやスマホでゲームばかりやっている人が多そうですが、そういうゲームばかりやっている人は、まず年を取れば認知症になるでしょうね。
勉強していないからです。
ゲームばかりでなく、普段からためになる本など読み、勉強される癖をつけておいてはどうでしょう。
それが一番、認知症の予防となるからです。



人目の訪問者です。

昨日のアドバイスを受け疑問が浮かびました。質問させて頂きます。最近といってもスパンは長いのですが育児をするなどで男性はイクメンとか言われ、時代背景が共働きの上では旦那が家事を手伝うのが当たり前となっていますが、この様な世相をどう考えたら良いのでしょうか。また、常に女性の結婚理想像は優しくて楽しく、家事や子育てを手伝う人となってます。男の務め女の務めそれぞれがどういう心で今を生きれば良いのでしょうか。
今の(男性が育児をするなどの)世相は間違っています。
だからおかしな(ストーカー殺人、無差別殺人、その他)事件が続出しているのです。
女の仕事に男が手を出しているからです。
女の仕事に男が手を出すから、しっかりした子供の教育が出来ないのです。
男としてしなければいけない仕事、女としてしなければいけない仕事は違うからです。(その使命が違うということです)
男が女の仕事に手を出せば、その分、女の仕事が減ります。
その減った分だけ女の愛が入らないのです。生まれたばかりの子供には女の愛(母の愛)が必要なのです。
母性愛とはいいますが、父性愛とはいいません。小さな時は母の愛を出来るだけ子供に与えないと愛ある子には育たないのです。それだけ母の愛は深いからです。(男はそこまで深い愛は出せません)
そうして、その母の愛を通して教育して行かないといけないのです。
そういう母の愛をもらう子が少なくなってきたから、おかしな事件が続出しているのです。
愛ある子に育てることは、男の愛では出来ないからです。
こと子育てだけに限っていうのであれば、このような理由から、男があまり育児に参加してはいけないと私はいっているのです。(手伝うのはもちろんOKですが)
一つ例を書きましたが、細かくいうなら、男の愛を出さなければいけない仕事、女の愛を出さなけれいけない仕事はたくさんあるのです。
だから、私は男の役割、女の役割ははっきりしないといけないというのです。
それぞれ男と女は出す愛が違うからです。
小さな時から違う愛を入れてしまうと、まともな子に育ちません。(もちろん愛を入れないともっとおかしな子に育ちます)
連綿と続いてきた昔からの子育ての方法を、安易に変えてはいけないのです。
その方法が正しいから、人はその方法を長年続けてきているからです。