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3月 08 2016

平等論の間違い

11:03 AM ブログ

昨日も庄内川の帰り、何か凄かったですね。

バスも目を向いて怒っている運転手がいるし、妙に怒っているトラックの運転手はいる(何とか運輸の皆さん大丈夫ですか?)何か変だなと思って帰って来たら、極めつけはどこかの会社です。

もう凄い勢いで怒っているのです。(昨日なんか夜中までですから。〔ほんと大迷惑です〕それがまだ続いています)

もうほとんどパニックですね。パニック、パニック状態です。

かなり現れて来たのではないでしょうか。天罰がです。

もしそうであるなら怒れば怒るだけ、その天罰は現れてきます。少し冷静になり反省されてはどうでしょう。そうしない限り天罰は止まらないからです。

半狂乱のようになっている会社もあるので、もう何をいってもきかないのかもしれませんが、一つだけいっておきます。

皆さん方が、災いをすべて私のせいにして怒っているのはいいのですが、実際それは私に怒っているのではないのです。

それは神に向かって怒っているということを知ってください。すべていま起きている災いは(皆さん方の心と行いを観て)神が行っていることだからです。(だいたい、人の力で多くの人を次々に不幸にさせるなどということが出来るわけがないでしょう。その起きている現象は神の力以外の何ものでもないのです)

その自分が悪いために起こされている現象を、いつまでも人のせいにして(まったく反省しようとせず)ただ怒っているだけというのであれば、この後まだどれだけ恐ろしい現象が現れてくるか分かりません。

その覚悟だけはしておいてください。

そのようなことすべて、自分たちの責任以外の何ものでもないからです。

自分たちの責任なのに、それを人のせいにしてべそをかいて怒っている人が周りに増えてきました。本当にだらしのない話です。

自分たちに悪いことが起きているのですから、自分たちが悪かったと素直に認め、反省すればよいだけの話なのにです。(そうすれば救われるのにです)

自分が悪いのに、それをなかなか認めようとしない、こういう人の道から外れたことを平気でしている人が最近は増えてきました。

これも今の世相に多くの間違いがあるからでしょう。ですから、昨日のウナッシーさんのコメントをもう少し捕足しておきます。

昨日のウナッシーさんからのコメントは簡単にいえば、なぜイクメンがいけないのか、ということだったと思いますが、それは昨日も書きましたように、男の仕事と女の仕事は別なのであり、それをごっちゃにしているからいけないと私はいっているのです。

考えてみてください。

一般的にいえばです。(最近はこの限りでない人も多いのですが。〔苦笑〕)女は愛が深くて優しく細かいところまで目が届きます。

その反面、どちらかといえば男はがさつで、それほど愛も深くなくあまり細かいところにまで目が届きません。

この男女の特性の違いを考えてみてください。どちらが子育てに向いているかです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、一人では何も出来ません。そうして、心は白紙の状態で生まれて来るのです。

その赤ちゃんを男が世話したらどうなるでしょう。

がさつであまり愛もなく、細かいところまで気が回らない男が赤ちゃんの世話などしたら、その通りの子供になるのです。

つまり、がさつで愛もなく気の回らない子になるということです。

しかし、女が赤ちゃんを世話したらどうなるでしょう。

女は愛が深くて優しくて細かいところまで気が回ります。そういう女に世話をされるなら、その赤ちゃんは、そのような子になるのです。

何度もいいますが、赤ちゃんの心は白紙の状態で生まれて来ているのです。その白紙の心にどのような心を最初に入れるのか、それが大変大きな問題となるのです。

その最初に入れる心が後々まで響いてくるからです。(それはそうでしょう。白紙の紙に最初に書く文字を失敗したら、もう書き直しがききません。それと子育ても同じなのです。最初に入れられた心は後々まで影響を与えます。だからこそ、最初に深い愛と優しさと気が回る心を入れないといけないのです。その最初に入れた心が後々までその子に影響を与えるからです)

このようなことを考えるだけでも、子育ては男と女でどちらが適しているのかは分かると思います。

一つの例を上げましたが、このように、この世は男の仕事と女の仕事、そうして両方でやる仕事と三つに分かれているのであり、それをごっちゃにしてしまうのが平等論なのです。

だから私は平等論はいけないというのです。

平等論は、男の特性も女の特性も生かすことなく、そのような男女の役割をめちゃくちゃにしてしまうからです。

そのように男女の役割を無視し、両方で子育てをしてしまった結果が、最近の不幸な事件が増えたことにつながるのです。

最近は、親が平気で自分の子供を殺してしまうのです。(殴り殺したり、食べ物を与えず餓死させたりです)

考えられますか?人の子であってもそんな無慈悲はことは出来ないのに、親が自分の子供にそんなことが出来てしまうのです。

なぜでしょうか?

そういう親は小さな時に母の愛が心に入っていないからです。だからこのようなことが出来てしまうのです。

母の愛を(本当の神の愛を)知らないからです。(だから自分の子供でさえ愛せないのです。自分にその愛がないからです)

これはストーカーをする人も同じでしょう。

母の愛がたくさん心に入っているなら、このようなことはしないのです。やはりストーカーなどする人は心に愛がないから、そのような愛を求め、必要以上に人に寄って行くからです。

天なる父、母なる大地といわれますが、男は天と同じように外に働きに出て古いものを壊し、新しいものをつくり必要なものを与える愛を出し(天は大地に雨を降らせ風を起こします。そうして大地に栄養を与えるのです)女は大地と同じように、育て、慈(いつく)しみ、浄化する愛を与えるのです。(大地はすべてのものを育て、慈しみ、どんな汚物も浄化するのです)

このような男女の特性を生かし役割を守るなら、おかしな犯罪の多くを減らせ、幸せな人もたくさん出てくるということです。

いま、不幸な人が多いのは、間違った平等論など真に受け、それを行っているからです。

昔のように、男が外に働きに行き、女が家を守り、子供をしっかり育てる、そうするだけで、平和な世の中が戻ってくるのです。

そういう運動をされませんか?

そういう正しいことをすることが、私たちの一番の幸せであるからです。

追伸…私がここに書いたことは、あくまで一般論を書いただけで、すべての人がそうしないといけないということではありません。

人はいろいろな家庭の事情があるからです。

男が家事をやって女が外に働きに行く方がよい家庭もあります。(男女の特性が逆の夫婦もあるでしょうから。〔笑〕)共働きでないと生活できないという家庭もあるでしょう。

そういう家庭はそうすればいいのです。(しかし、そういう家庭はより以上に子供に愛を与えないといけないということです)

ただ、そのような特殊な家庭は別にして、ほとんどの家庭は男の特性や女の特性に従った方がいいのであって、そのほとんどの人のために書きました。

昔から伝わるよいことまで捨ててしまってはいけないのです。

よいことは続け、悪いことは捨てる、このよい悪いの基準をしっかり知らないといけないのです。

2コメント

2 コメント to “平等論の間違い”

  1. ウナッシー2016/03/08 at 12:46 PM

    お陰で私が何故ここまで来れたのか分かりました。実は両親をどこか嫌いだった子供の頃を思うとたった一つお袋の母親らしさの優しさに思いを描いたものの、それに欠けた剣幕であったのではないかと思えたのです。そしてずっとその嫌いなところだけを捉えて半面教師としていたような気がします。
    でも私には愛がある、というのは結婚するとき私に向かい家内の父親が愛深いと、言ったのを覚えているからです。きっと私はその愛を受けながら嫌いだった所しか見てなかったのでしょう。それが先生のブログをきっかけに感謝することを学び、少しずつ間違った思いが消えてきたのではないでしょうか。幼い頃のそうした環境と今の環境が当初どことなく似ていた様な感じがしたこともわかります。本当に心の持ち方がその後の人生を左右するものだと分かり、その思いが今を表しているのだということも合点がゆきます。これを機に前へ進みます。

  2. gtskokor2016/03/08 at 1:29 PM

    頑張ってください。

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