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3月 09 2016

本当の差別

11:04 AM ブログ

今日も朝から激しくお怒りです。

毎日よくあれだけ激しく怒ります。(それだけでも体に悪そうです。怒ることは体に悪いですから)しかし、無理もないでしょう。昨夜も大変そうでしたから。(いろいろ起きたようで)

市バスやトラックの皆さんもずいぶんお怒りですが、怒っていても何も解決しません。天罰がよけい激しくなるだけです。(何せそういう人たち、嫌がらせだけは忘れませんから。自分たちが先にやっている、その嫌がらせは全部スルーですから。〔苦笑〕)

悔い改めたらどうでしょう。それが唯一の天罰を止める方法であるからです。

さて、哀れな人たちの話はこれくらいにして、何か国連が慰安婦や夫婦同姓、再婚禁止の件などで日本に文句をいってきているようですね。(皇室典範のことまでいってきているそうではないですか。明らかにやりすぎです)

しかし、国連の加盟国のほとんどが日本よりも治安は悪いし離婚率も高いのです。そういう国々に女性差別だのなんだのいわれたくありません。

そういうことをいってくる前に、国連はもう少し日本の内情を知ってほしいものです。日本はどこの国よりも治安が安定し(先進国の中では)離婚率も低いからです。(それこそ女性差別などしていない証拠です)

そういうすぐに女性差別などという世間がいかに間違っているのか。それが分かる部分を園頭先生のご著書からちょっと抜粋しておきましょう。(世間でいわれていることより如来のいわれることの方が正しと思うからです)

「正法と人生の原点」から抜粋します。

<女が家事、出産、育児に専念することは、男が外で働くのと同じように価値のあることであり、役割が違うというだけのことであり、男と対等になるためには、女の役割を捨てて、男と同じように外で働いて収入を得なければならないという考え方では、女は絶対に幸福になれないのである。女の幸福は、男には出来ない女の役割を充分に果たすことによって、男性の尊敬を勝ち得るということの中にあるのである。また男性としては、女性が家事、育児に専念しているのを見て、自分で収入を得ないから男より劣っているのであるというように女性を見てはならないのである。

従来の夫唱婦随の道徳が、亭主関白となってきたのは、男性の誤った女性観にプラスして、女性自身が自分を弱者としてみる見方がそうさせたのであるから、女性は家事、育児に専念することが、男が外で仕事する以上に価値のあることであることを認識しなければならないのである。

だからして、女が経済的理由によって外で働く心理の底には、口では男女平等といいながら、本来の女の役割である家事、育児をつまらない仕事だと見て、また女は弱い存在だと思っている心があるからではないのか。その心が潜在的にある限り、どんなに経済的に収入があっても、心の淋しさを隠すことは出来ないのである。

女が女自身を弱者だと見るのは、その肉体的構造からきている場合が多い。女はその肉体的特徴の故(ゆえ)に自分を弱者だと見てはならないのである。それは神が女に与えられた神聖な役割の象徴(勲章)なのであって、女はむしろそれを誇りとして、その与えられた役割を充分に果たさなければならないし、だからこそ女は、その役割を果たした時にはじめて心の底からの幸福感を感ずるようになっているのであり、女の役割を放棄して、どんなに他の方法で幸福を追求しても、それらの方法では幸福感を感ずることは出来ないのである。

男は、女を、女の肉体的構造、特徴、その役割の故に、男より劣っているもの、弱者と見てはならないのである。これまでの歴史の中で、女を不幸にしたのは、男のそのような見方が原因であったのであるから、男は女をよき人生のパートナーとして尊敬し、女の性を大事にしなければならないのである。男は、女の性の前に跪(ひざまず)く謙虚さを持たなければならないのである。>

女性差別などという言葉は、元々女性を弱いものとみて、だから、弱いものをいじめるな、差別をするなということになって、そのような言葉が出て来たものと思われますが、そのような見方こそ、女性差別であるのです。

本来、男と女は(人間として)対等であるからです。

それなのに、一方だけを弱者とみるのは、それは肉体だけに偏った見方であるのであり、そのような見方こそ差別的な発言なのではないでしょうか。

女性は女性としての(その精神と肉体にあった)使命と役割があるのであり、女性はその本来の立場の上で男性とは対等であるからです。

その女性の使命と役割(家事、出産、育児など)を世間が勝手に貶(おとし)めているだけです。これだけ偉大な使命と役割もないのにです。

そうではないでしょうか?

男に出産が出来るわけがありませんし、男に女ほどの愛ある食事や世話は出来ません。(昨日の赤ちゃんの話ではありませんが)

では、これだけ女性として大事な使命と役割はないのではないでしょうか。男にはまったく出来ないことを女がしているからです。

その偉大な女性としての使命と役割をつまらないものにしてしまったのは、そのような間違った見方をしている世間なのです。

家庭は悪なのですか?家事、育児はたいしたことではないのでしょうか?

そうではないはずです。これ以上の善はないのであり、これ以上の場所はないのです。(私たちは家庭に帰ってはじめて安らぐのであり、成長もするのであり、疲れもとれるのです。これ以上の善の場所はありません)

私たちはすべて、その家庭から世に出て来ているのです。そのような私たちにとって、もっとも大切な(そうして元でもある)場所をつくる女性の使命と役割が、なぜ、悪なのですか?たいしたことがないのでしょう。

そういう考えはまったく逆であり、これ以上、偉大な使命と役割はないのです。

その使命を果たすことがなぜ悪いことなのでしょう。女性に対する押し付けになるのでしょう。

これ以上(女性にとって)自分の力を発揮できる場所もないはずだからです。

家事、育児は押し付け、そのような見方が間違っているのです。(しかも大変な間違いです)

女性には女性にしかできない大切な使命、役割があります。(もちろん男性も同じです)

そのような使命と役割を認めないことこそ、本当の差別なのです。

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