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3月 15 2016

悪魔の声と天使の声

10:44 AM ブログ

昨日も救急車が人の家の前を何度か通って行きました。(近くで運ばれた人がいるようです)

昨夜も、いろいろ起きたようですが(まったく朝からガチャガチャうるさい)大変ですね。天罰と悪魔の両方から現象が現されている人たちはです。(かわいそうです。どこかの会社の人たち)

それだけ法の流布のじゃまをしているのです。それではよいこと起きないでしょう。(この連中、両建てでやられていますね。行いがあまりに悪いとこうなります)

ここまでやられても、それでもまだ法の流布のじゃまをやめようとしない、こういう連中はいわずもがな悪魔に憑かれているのですが、ずいぶん多いんじゃないですか?

このようなおかしなものに憑かれている人はです。このブログを読み、その自覚がある人もいるのではないでしょうか。

耳元で何か聞こえてくる人いるでしょう。いますよね。この辺り以外で、このブログを見ている人たちの中にもです。(女の子の中にもいますよね。そういう人)

しかし、それは悪魔の声なのです。その声をあまりに聞いていると大変危ないのです。知らず知らずのうちに悪い方へと導かれるからです。(そればかりでなく、気がつくと凄い性格が悪くなっていたりとかもするのです…その性格の悪さにも気づかないんですけどね)

もし、そのような声が聞こえてくる人がいたとしたら、その声はもう聞かない方がいいでしょう。聞いていればいいこと起きないからです。聞いていいことが起きたとしても、後でその倍くらいの悪いことが起きることになります。

その声を伝えているものは悪魔であるからです。

聞こえてきても無視することです。そうして生きている人の声だけ聞くことです。

とりあえずそのような人たちは、生きている人たちとよく話をした方がいいからです。(そういう人たちはもう完全に悪魔と同通しているのです。その悪魔の通信を断ち切らないといけないからです)

しかし、生きている人たちの中にも、そのような訳の分からないもののいうことを聞いている人たちがたくさんいます。そういう人たちが集まると、人の悪口のいいあいになるのです。

よくオバちゃん連中が井戸端会議をしているのを見かけますが、その話の内容が人の悪口ばかりいっている人たちなど、完全に悪魔に憑かれているのです。

だから悪い話ばかりになるのですが、こういう憑かれた人たちは、それが悪い話だと思わないのです。

それが普通の話のように思っているのです。自分たちからすれば、そのような人の悪口が、最も楽しい話であるからです。(悪魔に憑かれると人の不幸が楽しくなります。だから、人の悪口くらい楽しい話はないのです)

しかし、こういう話は自分の心をずいぶん汚すのです。そうして罪もつくっています。

だから、これ以上、自分に悪いことはないのですが、それが悪いと思わない、これが悪魔に憑かれる恐ろしさなのです。

悪魔に憑かれると、このように知らず知らずのうちに悪い方に導かれるのです。

別に、そういうことは誰でもしていると、だから悪いことでもなんでもないと、このオバちゃんたちは思っているのですが、そういう話を心のきれいな人が聞くと「なんだこのオバちゃんたち人の悪口ばかりいってるな」と思って、何とも嫌な気分になるのです。

心のきれいな人たちは、このような話は自分の心を汚すと知っているからです。そうして、それが罪になるということもです。

悪口くらいで何で罪なるのか、悪口くらい、いいだろうと思われる人もいるかもしれませんが、このような悪口が発展して犯罪につながって行くのです。(悪口をいっているその心は、怒りや憎しみに満ちています。その怒りや憎しみの心が増えていけば、最後にはそれを行ってしまうのです)

それにキリストは、心で思うことはすでに行っているのと同じであるといわれていました。(汝らにいっておく、みだらな思いで他人の妻を見る者は、誰でもすでに、その女を犯しているのである)

では、そのような心で(怒りや憎しみに満ちた)悪口をいっている人たちの罪がどれだけ大きいかはお分かりいただけると思います。(それは行っているのと同じであるからです)

こういう(悪口のいいあいをしている)オバちゃんたちは、ドンドン罪をつくっているのです。

悪魔に憑かれていると、こういうことが分からなくなり、非常に悪いことをしていても「これくらいはいいだろう」「これくらいのことは誰でもやっている」と悪を軽く考えるようになり、知らないうちに堕落してしまうのです。

これが悪魔の声に導かれる怖さなのです。

その点、天使の声をいつも聞いている者は、こうはなりません。

ある程度のことは許されても、その限度が過ぎると、即、気づきの現象が現れるからです。

その気づきの現象が起きることによって、自分がしている悪いことに気づかされるのです。(私など、これくらいはいいだろうと思うことまで注意されます。「少しやりすぎではないか」と思うくらいですが、どうしても人間、自分には甘くなります。そこらへんも注意されているのでしょう。〔苦笑〕)

私もいろいろ教えられますが、耳元で何か聞こえてきたことなど一度もありません。(だから、耳元で何か聞こえる人の気が知れません。ゾッとしませんか?そんな声が聞こえてきたらです。〔怖〕)

私が何か教えられる時は、いつも心の奥から思いが上がってくるのです。(胸の奥の辺りからです)

心は人の胸の辺りにあり(だから、悲しくなった時とか、人を好きになった時など胸の奥が苦しくなるのです。そこに心があるからです)その心は天上界につながっています。

したがって、心の奥から悪魔の声が聞こえてくることはないのです。(悪魔は耳元でささやくか、または、頭に直接響いてくるようなこともあるかもしれません)

心の奥から上がってくる思いは、天上界、すなわち天使の声なのです。(その心の奥に真我があり、その真我が天上界とつながっているのです)

その思いに従うなら、まずよいことが起こります。(たまに悪いことも起こりますが、それは、その人を成長させるための試練を与えているのです)

だから、私のいうことに従った人たちは奇跡が起きているのです。それが光の天使の助言であるからです。

だから、私のいうことに逆らっている人たちはよいことが起きないのです。光の天使の助言に逆らっているからです。

悪魔の声に耳を傾けている人たちと、天使の声に耳を傾けている人たちとではこれほどの差があるのです。

悪魔の声に耳を傾けることの危なさ、そうして、天使の声に耳を傾けることの大事さよく知ってください。

2コメント

2 コメント to “悪魔の声と天使の声”

  1. ウナッシー2016/03/15 at 12:52 PM

    TVでは相変わらず反省の機会を与えられている場面を見かけます。主にはニュースなんです。例えば、今朝などは校長の発言が炎上しているとか。正論をいうにも正しい場所があるはずなのにわざわざクレームを受ける様な仕方をするから世間からバッシングされるのではないのか。校長ほどの頭が有れば有効性のある発言ができたはずなのにです。正しさが相交えれば争いになることが分かることが勉強になりました。

  2. gtskokor2016/03/15 at 8:36 PM

    そういう部分は確かにありますが、今のマスコミはあまりに揚げ足取りが過ぎるようにも思います。
    何でも中道は大事なのです。

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