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3月 25 2016

この世の修行

11:11 AM ブログ

いやはや凄い怒りようです。

いつもならどこかの会社がということになりますが、今回は違います。あちこちの会社でやたら怒っているところがあるようです。

昨日は金山に行ったのですが、その帰り道でのことです。

ある会社の横を通ると従業員が一人出てきていたのですが、なんと、その従業員が私を凄い顔でにらみつけてくるのです。(その人、凄い目でにらんでいました。あまりに、にらみつけてくるものですから頭の血管が切れるのではないかと心配でした。〔笑〕)そうしてガタガタ音を立てています。

ちょっとビビりましたね。手に何か持っていたのでそれで殴られるんじゃないかと思ってです。(苦笑)

しかし、そのような心とは裏腹に口から出てくる言葉は止まらないのです。

「さんざん嫌がらせをしておいて、何か起きたらそれもこっちのせいかい。何でもかんでも人のせいにするんだな」「自分たちがやっている嫌がらせを忘れているんじゃないか。そんなことしているから罰が当たるんだ」と次から次に言葉が出てきます。(私も何かに憑かれています。〔笑〕)

その会社の連中にはずいぶん嫌がらせをされていたからです。

そういうことをいい続けていると、その従業員はコソコソ会社の中に入って行ってしまいました。さすがにやらしかったのでしょう。

まだこういう理屈が分かる従業員はいいのですが、別の会社ではもう私が何をいっても聞かないのです。

私が近くを通るとガンガンでかい音を立てっぱなしです。

この会社の連中もまた同じように私に散々嫌がらせをしてきたのです。それなのに、何か起きたら全部私のせいです。本当に呆れました。

そういうやたら怒っている会社があちこちにあり、そうかと思うとこれまでうるさかった会社が妙に静かになり、昨日などは(一昨日もそうでしたが)バスの運転手も静かでした。(少し前までは、ずいぶん怒ってブシュブシュやっていたはずですが…)

このように最近は、周りの人の態度が目まぐるしく変わるのです。ちょっとついていけない感じですね。(苦笑)

あまり笑い事でもないかもしれません。それだけ何か起きているということだからです。(起きてなきゃ態度もコロコロ変わらないでしょうから)

大丈夫ですか?怒っているとか、静かにしているだけでです。

誰一人、私に詫びを入れてきた人はいませんが、多分、詫びを入れて反省しないと、その災いは止まらないと思います。

では滅ぼされるまで、そのような態度をし続けるのですか?

その現象が止まらなければ、滅ぼされるしかないからです。

これだけ多くのところで何か起きているのです。しかも起きることが段々激しさを増しています。(それは皆さんの態度で分かります)

では、間違った心の人がいなくなるまでこの現象はもう止まらないでしょう。今のまま心を変えないなら、必ず、そのような人には災いが起こります。

それでも反省はされないのですか?

すでに正法の世になっているというのにです。

「お前のいうことなど聞けるか」「お前より俺の方が物事をよく知っている」などといくらいわれてもです。(マァ、直接いわれたことはありませんが)

心のことなど誰もしっかり知らなかったではないですか。心がこれほど偉大であると誰が知っていたのですか?

その心の偉大性を多くの人に伝えたのは私なのです。

では、少なくともその部分は聞くべきではないでしょうか。多くの人が知らない分野であるからです。

自分の心が神につながっている、あの世につながっているなど誰が知っていましたか?ほとんどの人がそのようなことは知らなかったはずです。

なぜなら、多くの人が、神やあの世の存在など信じていなかったからです。

また、それを知っていたという人でも半信半疑だったのではないでしょうか。その証明をすることが出来る人がいなかったからです。

しかし、私は心の偉大性を証明したのです。(様々な現象を現してです)

いろいろ批判や嫌がらせを受けましたが、神やあの世の存在、人の輪廻転生、そうして偉大な方々が現した奇跡を証明したのは私なのです。

私がいなかったら、多くの人はそういうことを少しも信じようとせず、一生を終えていたでしょう。

そういう心の本質を、この世で知るのと知らないのとで、一体どれほどの差があるのかお分かりでしょうか?

それこそ天と地ほどの差があるのです。

考えてみてください。もし、私のことを知らなかったら、ほとんどの人が神やあの世の存在など信じなかったでしょう。

人間はこの世限り、死んだらそれでお終い。心などどうでもよく、生きている間だけ面白おかしく暮らせればそれでよいという、半分、自暴自棄のような人生を送ったのです。

そうして死を恐れ、死ぬのは嫌だ、死のぬは嫌だと思いながら死んでいったのです。

よく考えてみれば、これだけ視野の狭い人生もなかったわけです。

しかし、私が自分を犠牲にして、法を説いて現象を現したから、神の存在も、あの世の存在も、人の輪廻転生も、そうして数々の奇跡まで多くの人が知ることに(信じることに)なったのです。

これは自分たちが知っていた、この世のことにプラスしてということなのですから、どれだけ視野が広がったか分からないほどでしょう。

それに、まだまだ心の分野(物質の分野も、もちろんそうですが)は明らかにされていないことがたくさんあるのです。(神は無限ですから)

では、これからまだどれだけのことが分かることになるのか、それも予想がつかないということになります。

私を知ることにより、多くの人の視野が(心もそうですが)飛躍的に広がったのです。

こういう事実があるのに「お前のいうことなど聞けるか」ですか(すでにもうずいぶん私のいうことを聞いていると思いますが。〔苦笑〕)「お前より俺の方が物事をよく知っている」ですか。

そういう人は私以上の現象を現してから、そのようなことをいってほしいものです。

私は口だけではなく(多くの人の誹謗中傷〔ひぼうちゅうしょう〕にも負けず)様々な現象を現在においても出し続けているからです。

私ほど現象を現している者はいないと思っているからです。(もちろん、法も説いていると思います。このブログを通してです)

この世の修行は命懸けなのです。皆それを承知で生まれて来ているのです。

それなのに、悪いことが起きたら、それはお前のせいなど泣き言以外の何ものでもないのです。

この世の修行を甘く見すぎています。大きな間違いをするなら、その人はあの世に引き上げられるのです。それも仕方がない話なのです。

そのような仕組みも知らず、心の勉強を自分でさぼっておいて、それでお前が悪いなど、どれだけ甘えた考えなのでしょう。

だから、そのような人に災いが起きるのです。自分の考えがあまりに甘く間違っているからです。

この世の修行に甘えは許されません。大きく失敗するなら死ぬことになるのです。

私が優しく警告しているうちに反省されてはどうでしょう。そうしないと命を落とす人が私の周りにはたくさんいるからです。

思い違いが大きな罪となることはいくらでもあるのです。特に法を説く人に対しての思い違いは大きな罪になります。(心の勉強をしていないので、それがさっぱり分からないようですが)

この世の心の修行とはそのようなもので、何度現象を現しても分からなければ、あの世に帰るのです。

そのような人は、この世の修行の落第者であるからです。(それはこの世の大学や高校などでも同じであると思います。あまりに勉強が出来なければ退学となります。それと同じことなのです)

私はすでに、そのような(説くことを間違えたら、あの世に引き上げられる)修行をしているのです。

しかし、そのような修行は特別私だけではないということです。

私以外の多くの人々も同じような修行をしているということです。

いつまでも間違えているのなら、その人はあの世に帰されることになります。

それがこの世の修行であるからです

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