>>ブログトップへ

4月 10 2016

正しい信仰と間違った信仰

10:59 AM ブログ

昨日もいろいろ起きたみたいですね。怒りたくっていましたから。(どこかの会社です)

怒っているのはどこかの会社だけではありませんが、この近所のバカガキも昨日は嫌がらせをしてくるのが何人かいました。

何かの信仰でもしているのでしょうか?

親がしているのなら、自分たちも小さな時からその信仰をしているはずなので、その信仰は正しいと思い込んでいる子供たちも多いと思いますが、その信仰が正しいのなら、私と同じ(釈尊やキリストと同じ)奇跡が起きて来ないといけません。

同じ信仰をしている人たちに(あるいは自分でもいいのですが)私と同じ奇跡が起きている人がいるのですか?

いないのであれば、その信仰は間違っているのです。

親がいおうが、誰がいおうが間違いは間違いなのです。人にくだらない嫌がらせをしている暇があるなら、早くその間違いに気づくことです。

そうしないと天罰を食らうことになるからです。(そういう現象が現れることでもどちらが正しいかは分かります)

とにかく、昨日のブログで、私は一般の人だけではなく信心している人たちまで怒らせたでしょう。

また嫌がらせをする人が増えるのかもしれませんが(信仰をしていて嫌がらせをしてくるようでは話になりませんが。それでは自ら、自分の信仰は間違いだと認めているようなものだからです)間違いは間違いです。

もう間違ったことをしていては天罰がくだる時代になったのです。

無信仰もいけなければ、間違った信仰をしていてもいけない、正しい信仰をしなければ奇跡どころか、まともな生活さえ出来なくなるのです。(これだけサイレンが響いていてはそれはそうでしょう)

早く正しい信仰に目覚めてください。そうすれば幸せになれるからです。

では、正しい信仰をしているとどういうことが起きるのか?

それを少し書いておきましょう。

一昨日東山動物園に行った時のことを書きますが、相変わらず動物たちの愛想はいいです。

私が動物園に行くと、そこらじゅうで動物が鳴き出しますので、私がいるとすぐに分かります。(おまけにすずめなども騒ぐのでよけいにです)

あの愛想のなさそうなゾウやカンガルーなども嬉しそうな態度を取りますし(カンガルーなど私の前でピョンピョン飛び跳ねるのはいる、蹴りあいをしだすのはいると面白いですし、ゾウなどもこちらに寄って来て私の前で餌を食べたり、鼻をふり上げたり面白い仕草をしています)インコなどはもう園内に響き渡るような声で鳴いて、檻の中で暴れ回って(飛び回って)います。(笑)

あのコンドルやワシのような恐ろしい顔をした鳥から、おとなしそうな鶴まで、檻の中で飛び回ったり「ギャーギャー」鳴いたりして騒いでいるのです。

そうして、あのライオンやヒョウやオオカミまで可愛らしい仕草をします。

愛想のなさそうな生き物からおとなしそうな生き物、そうして怖そうな顔をした生き物から猛獣に至るまで、すべて愛想がいいのです。

法を実践して愛が出てくると、その愛が動物にまで伝わるということがよく分かります。

そのような動物たちのいろいろな愛らしい場面を、私は動画に撮ってあります。その動画を観て、自分たちに対する動物たちの態度と(あるいはテレビで観る動物たちの態度と)私に対する動物たちの態度がどれだけ違うか確認してください。

法を実践している人(愛ある人)には、動物たちがどれだけ愛ある態度を取るのか分かると思うからです。

その愛ある態度で、今回、東山動物園に行った時に一番印象深かったのはシマウマでした。

シマウマとは意外と思われる人もいるでしょうが、その意外と思われる動物が、意外にも人に対する愛が強かったと分かるのが、この法です。(笑)

だから、法を実践すると面白いのです。そのような意外なことが次々に分かってくるからです。

この前テレビでシマウマは人になつかないといっていました。

そういわれれば、たしかに東山動物園のシマウマは愛想がありません。私が行って声をかけてもただボーっと立っているだけです。(しばらくすると向こうに行ってしまいますし)

「シマウマは人になつかないのか、それであのシマウマもどれだけ声をかけても、愛想も何もないんだな」と思い、一昨日行った時に、そのシマウマに「お前、人になつかないんだってな」と声をかけたのです。

そうしたらです。何かそのシマウマがビクッとしたように感じましたが、私がそう声をかけたとたん、そのシマウマが急に頭を振りだしたり耳を前や後ろに回転させたり動きだしたのです。(まるで「それは違う」といっているようでした。〔笑〕)

そのシマウマが何か変わった動きをしだしたので、私は動画を撮り始めたました。

するとシマウマが体をぶるぶると振りだしたり、そのまま足をついて、ゴロンと地面に転がり、地面でゴロゴロし出して愛想のいい態度を取るではありませんか。

驚きました。さっきも書いたようにです。シマウマは人になつかないといわれていたからです。

しかし、私の目の前のシマウマは非常に愛想がいいのです。

人になつかないどころか、私の前で地面に寝転がり腹まで出しています。

私は「何をやってんだろう?」と奇異に感じました。まさかシマウマがこんなに可愛らしい態度を取るとは思ってもいなかったからです。

そのシマウマの意外な態度はしっかり動画に撮ってあります。

シマウマは人になつかない?そんな学者の説は嘘であると私は思います。どんな動物でも人に愛があるならいくらでもなつくのです。(このようなシマウマ以外でも、その前に東山に行った時など〔前に書きましたが〕爬虫類のオオトカゲが私の前で大暴れしました。その映像も撮ってあります)

例えばこのようなです。世の常識といわれることでも違っていることがたくさんあるのです。

それぞれの人がもっと愛を出すなら、意外な事実がまだたくさん分かってくるのです。

その人が出す愛とは(もちろん慈悲もそうですが)それだけ奇跡を現す力があるということです。

これは一つの例ですが、正しい信仰を行えば、このようなこれまでには分からなかった奇跡の事実が次々に明らかになるのです。

このようなこと以外でも、祈れば天気も変わるし、人さえも神がかり的な力を発揮することが出来るのです。

そのような奇跡も、すでに起きていることでありますのですべて事実であると分かるはずです。

正しい信仰とはこのようなもので、次々に奇跡が起きる(新しい事実が分かる)ものであるのです。

正しい信仰と間違った信仰ではこれほどの差があるのです。(正しい信仰は次々に奇跡が起き、間違った信仰は、そういう奇跡は全然起きず〔悪魔が現す、おどろおどろしい現象は起きるかもしれませんが〕災いばかりが次々に起きる)

それでもまだ間違った信仰を続けるのですか?

昔からやっているからとか、親がやっているからとかいうのであれば、それだけくだらない理由もないでしょう。

親がやっていようが、昔からやっていようが、間違っているものは間違っているからです。

間違っていることをどれだけ続けようと、それが正しいことに変わるものではないのです。正しいことをやって初めて自分は正しくなれるのです。

これまでは間違ったことをしていた人が多かったのです。(それを正しいと勘違いしてです)だから、これだけの天罰がくだっているのです。(その間違いを天が正そうとしてです)

早くその間違いに気づかなければいけないのです。そうしなければ災いは止まらないからです。

奇跡を次々に起こしてみませんか?

そうすれば、正しい信仰がいかに大事かよく分かると思うからです。

追伸…首位と五打差ですか…普通であるなら逆転は難しいのでしょうが(勢いが違うようですし)この教えをよく勉強し、私に協力すると神に誓えるなら奇跡は起こります。

どうされますか?

(このようなチャンスはめったにないですよ。〔来年以降まだいくらでもチャンスがあるといっても、人はどうなるか分からないのだし〕そう神に誓い、私が祈るなら、多分奇跡は起きるでしょう。私はこれまで祈って奇跡を起こしたことが何度もあるからです。どちらにしても、この教えは一生ものです。どっちみち一生やり続けなければいけないのです。ここらで中途半端な態度はやめて真剣に勉強すると誓われたらどうでしょう。そうすれば歴史に名を遺すことになるからです。〔笑〕)

2コメント

2 コメント to “正しい信仰と間違った信仰”

  1. ウナッシー2016/04/10 at 3:57 PM

    新年度もスタートを切り、新入生や新社会人が溢れています。買い物に出掛ければどこも車が一杯できっと、新人さんの買い物なのだろうと思うのでした。新たなるスタートを切る子供の幸せや明るい未来に期待を寄せる多くの人もいることでしょう。しかし、先日のTV番組で中学に入った子供とのコミュニケーションが取れない等々、親の相談をやってました。子供に言わせれば話を聞いて欲しいのに質問責めに合ったり早口で聞き取れないまた、考えているのに次々と話が止まらない。こうしろああしろと指図する、怒る等々で話す気がしないと言っていました。それを聞いた親(母親が多かった)は、私も子の立場ならそう言うでしょう、しかし親となるとね。自分が聞きたいだけのような気がしました。子供であっても立派な一人の心を持った人間であることを思い出すべきと感じました。私の子供も新たな学校生活が始まり不安もあるようで話をしてきます。先生のように温かい言葉を掛けられずその難しさを実感しています。今は神に祈るのみですが家族を通し正しい祈りの実践を段階的に勉強している気がします。

  2. gtskokor2016/04/10 at 7:58 PM

    前にも書きましたが、親という字は木に立って見ると書きます。
    その姿勢を忘れてはならないでしょう。

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。