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4月 20 2016

起きる現象の違い

11:15 AM ブログ

昨日も大きな地震が続いていましたね。(震度5クラスの地震がです)

相変わらず熊本の地震は収まりませんが、明日から熊本は大雨になる予報が出ています。

本当に無慈悲な現象を次々に現されます。

私のいうことを誰も聞こうとしませんが、しかし、自然が相手だから仕方がないと、自暴自棄のように何でもかんでも責任転嫁していてよいのでしょうか?

そのような考えに間違いがあるのではないでしょうか。

よく考えてみてください。

自然が相手ではどうしようもないといわれますが、千年に一度といわれるくらいの大災害が起きたばかりなのです。(東日本大震災)

それからわずか五年しかたっていないのに、また未曽有の大地震が起きているのです。(これだけ大きな地震が続いたことなどないのですから、まさに未曽有の大地震です)

その前を考えてもです。

千年に一度の大災害が起きる七年前には、やはり考えられない大地震が起き(新潟、中越地震。この地震も余震が半端ないくらい起ました)その九年前にも大地震(阪神大震災)が起きているのです。

ここ数百年、数千年起きなかったほどの大地震が、わずか二十年ほどの間に立て続けに起きているのです。

そうして、東日本大震災が起きて、今回の熊本地震が起きるまでには地震だけではなく、異常な大雨も降り、異常な(大きさ、強さの)台風まで来て(これは温暖化のせいにされていますが)大きな竜巻まで起こり、それ以外でも異常現象が次々に現れているのです。

いくら何でもここ数年は、起きる現象が激しすぎるのではないでしょうか?

これだけ起きていて、自然現象だから仕方がないですましていてよいのでしょうか。(ほんと滅ぼされますよ。のんびりしすぎています)

ここ数百年(もしかしたら数千年かもしれませんが)これだけ激しい現象が、これだけ次々に起きたことなどなかったのです。それが近年になり起き出したのです。

では、数百年、数千年前と現代では何が違っているのでしょうか?(そういうことをもっと考えた方がいいのでないでしょうか)

数百年、数千年前と比べ、現代は科学は圧倒的に発展していますが、それ以外では、心、考え方がまったく違っているのです。

文化、文明が発達したのだから考え方が変わるのは仕方がない話ですが、特に神の部分は変わりました。

昔は唯物無神論などという考えはなかったからです。

数百、数千年前の日本の人はみな神を認めていたからです。(唯物無神論はここ数十年の話ですから)

数百年、数千年前の日本の人々はもっと神のことを思っていたのですが、最近の人は神を思いません。

その神のことを思わなくなってから、こういう(超)恐ろしい現象が続きだしたのです。

なぜ思わなくなったのか?

そういう天災は、別に神が起こしているわけではない、それはただの自然現象であると科学者が断言したからです。

そうして天変地変が起きても反省などせず、被害が出ると、こういうことが起きるからやはり神など存在しないのだと、よけいに神を否定し、科学者のいうことを信じたのです。

そのような神に対する態度が段々悪くなってくるに従い、このような恐ろしい現象は増えていったのです。

昔の人は、このような大天災など起きると、必ず自分を反省し、そうして供物などそえて神に祈ったのです。

そういうことをしていた時は、これほど恐ろしい現象が続くことはありませんでした。

そういうことを一切否定し、神を否定しだしてから、このような恐ろしい災害が続くようになったのです。(特にこの二十年は超がつくほどひどいです)

では、そのような考えが間違っていたのではないでしょうか?

昔の人たちは、大きな天災など起きると、必ず、自分たちを反省し、神に詫びを入れたから、それ以上の大きな災害が、これほど続けて起きるなどということがなかったのではないでしょうか。

その神の対する思いの違いが、大きな天災を現される、現されないの違いになっているのではないでしょうか。

なぜなら、このような天災は科学においてもです。なぜ起こされるのか、分かっていない部分はたくさんあるからです。

それに、そのような人々の思いと、天災が連動していないと確信できる証拠など、どこにもないからです。(それどころか、釈尊は人々の思いと災いは関連しているといわれていますが…)

これほどの大天災が次々に起こされているのです。もう少し謙虚になり、自分たちの神に対する思いを反省されてはどうでしょうか。(昔の人のようにです)

そうすれば、これほどの災いも減ってくるかもしれないからです。

非科学的という前に、もう少し、その昔ながらのやり方も学んではどうでしょう。そのような昔は、これほどの大災害が続けて起きることなどなかったからです。

何でも非科学的という前に、歴史に学ぶという謙虚な姿勢は大事であると思います。

多くの人が、そのような謙虚さを忘れた結果が、このような大きな天災を次々に呼んでいる、そう思えてならないからです。

追伸…今の人たちは、ずいぶん傲慢になっているのだけは確かであると思います。

今日も朝からどこかの会社は大騒ぎですが、どれだけ悪いことが起きているのか知りませんが、もう熊本の地震を見れば明らかなのです。

考えられないことが起きる時代になったのはです。

私が人を病気にしているのなら、あなたたちはもうとっくに全員病院送りです。(それだけうるさいことをし続けているのですから)

しかし、まだピンピンしている人もいるのですから、それが私が人を病気にしているわけではない何よりの証拠なのです。

もう自分たちの心が現象として現れる時代になったのです。だから、その自分たちの心が現れているだけなのです。

心の中で人を殺したことがない人がいますか?(私はそういう憎たらしい人がいました)誰だって人の一人や二人殺していると思います。心の中ではです。

それが思いだけだから、この世の罪にならないでいるだけなのです。

しかし、そのような思いをいつまでも強く持っていると(反省出来ないと)もうそれが現象として自分に現れるのです。

そのような心が現象として現れたら自分が死ぬことになります。そのような心が現れる時代になったのです。(だから、浜松のように死ぬ人も増えているのです)

今のように誰も神を思わなくなり、そうして反省もしなくなったから、この辺りで起きているサイレンや熊本のような未曽有の大地震も起きるようになったのです。(そのような人々の心が現れてです)

その自分の心が悪いばかりに起きている現象を、多くの人はいつまでも責任転嫁しているのです。(ひどい人はそれを神のせいにしています。最悪ですね。自分のことを棚に上げてです)

まず自分が悪いと、その反省がなければ、このような悪い現象はいつまでも続くのです。実際に自分の心が悪いから自分たちに悪いことが起きているからです。(それは私を見てもらえれば分かります。私の心がいいから奇跡が起きているのです)

起きる現象は嘘をつきません。もう少し謙虚に自分を反省されてはどうでしょう。

その反省がなければ、この災いは止まらないからです。

2コメント

2 コメント to “起きる現象の違い”

  1. ウナッシー2016/04/20 at 5:48 PM

    前提として私は覚者ではありません。でも敢えて言うならば、どうも心の存在が分からないと生きることに希望とか目標が持てないように見えます。生きることの難しさ。今回の被災地ではそんな光景が見られるのです。物資が届き配給される事には感謝する。でも今日生きていることに感謝している方はどれ程いるのでしょう。また地震が来るのではないか。そんな不安が心を支配していることが更なる闇を引き寄せるのではないだろうか。被災された方々は本当に辛い試練であると思います。であるからこそ早く己の心に気付いてもらいたいのです。

  2. gtskokor2016/04/20 at 7:52 PM

    その通りですね。
    だから私は心がすべての元であると、その心にすべての原因があると一生懸命説いているのですが、今日など、その説いていることを真っ向から否定するような地震の原因をテレビでいっていました。
    ちょうどいいので、そのような意見がどれほどおかしいのか、明日ブログに書くことにします。

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