4月 24 2016
因果応報と愛を出す大事さ
昨日もよってたかって嫌がらせをされました。
その中で、どれだけ私のブログを読んでいる人がいるのか知りませんが、これだけはいえます。
この辺りは一人として反省する人がいないということです。(愛のない、傲慢な人ばかりであるということです。だって、その中に私のブログを見ている人もいたはずだからです。それで私に詫びてきた人も感謝する人もいなかったんですから)
そうなると恐ろしいですね。時代が時代です。そういう無反省な人にはどんな悪いことが起きるか分からないからです。
しかし、この辺りの人は特に始末が悪いですね。
私のことを皆が知ってしまったので、悪いことが起きても、それを全部私のせいにしていればそれで事足ります。(周りもそれに同調しますし)
それだとよけい悪いことが起きるでしょうね。まったく反省しないからです。
困ったことですが、しかし、私が悪いから自分たちに悪いことが起きているのではなく、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。(この辺りの人は「善因善果 悪因悪果」という釈尊の教えを無視するのでしょうか?)
自分の悪いところに自分で気づいて、その点を反省し、その悪いところを自分で直さない限り、その悪いことは止まりません。(自力です)
早くそれに気づいてほしいものです。
昨日もそういう人がいました。責任転嫁の塊のような人がです。(私たちは、愛と慈悲の塊にならなければいけないのに、責任転嫁の塊になっているようでは最悪ですね)
交差点を渡っていたら、一番前に止まっていた市バスの運転手がまた例のごとくブシュとやってきました。
それで、その運転手を祈ったら、凄い顔をしてこちらをにらんでいるのです。
あまりにこちらをにらみつけているので「反省して詫びを入れないと癌は止まらないぞ」と私がいうと、だいたいの運転手はそれを聞いて目をそらすのですが、その運転手は目をそらそうとしませんでした。
「みんなお前が悪い」という目で私をにらみつけているのです。
本当に呆れてしまいました。
最初に嫌がらせをしてきたのはバスの運転手の方なのです。(つい今しがたもしていましたし)
私一人にバスの運転手がよってたかってブシュブシュやってきて、それが始まりでトラックの運転手もそういう嫌がらせを始め、その嫌がらせが未だに私には続いているというのに、そういう自分たちがしてきた悪いことは一切考えず(反省せず)それで今度は自分たちに悪いことが起きてきたら、それを全部私のせいにして怒っているのです。
本当に勝手なものです。
こういう自分本位な人たちばかりだから、こういう人たちに癌などのおかしな病気が多発しているのです。
自分たちがしてきた悪いことを考えるなら、恐ろしいことが起きてきても自業自得でしょう。
それなのになんで、その反省もなしに悪いことを私のせいにしているのですか?
自分たちがして来た(悪い)行いを棚に上げてです。
だから私はいっているのです。早く気づかなければいけないとです。(自分たちの悪にです)
そういう人たちは、そういうことを(自分本位なことを)これまでもしてきているのです。それに気づいていなかっただけなのです。
しかし、時代が変わり、大勢の人が自分がしてきた悪を、たった一人の者によってたかってしてしまったばかりに、一変でその自分たちのしてきた悪が自分たちに返ってきたのです。(自分たちがより大きな悪を行ったのだから、それは仕方がないでしょう)
だから、このようなことが起きているのです。
いま起きている恐ろしい現象はすべてです。すべて、そのような自分たちの心が原因なのであり、人のせいではないのです。
自分のせいなのです。自分たちの悪い心が自分たちに戻っているだけだからです。
それを認めたくはないのでしょうが、私に悪い現象が起きないというのが、その何よりの証拠でしょう。
私は、この法を園頭先生から教えてもらって以来(高橋先生のご著書を読み始めてからですから、もう三十年以上になります)コツコツとではありますが続けてきました。
これまで間違ったこともしましたが、それを反省し、出来るだけ法の実践に努めてきました。その結果が、このような時代となって、次々に奇跡の現象として現れているのです。
自分がして来たことの結果が、現象として現れる時代となったからです。
そういう時代が変わって起きてきたことを、この辺りの人は私のせいにしているだけだし、他の地域の人は(激しい天変地変など)温暖化などのせいにして責任転嫁しているだけなのです。
これまですべてです。周りに起きてきたことを自分の問題ととらえず、全部責任転嫁していた。
そのような自分本位の愛のない心が、不幸が多い世界へと、世の中を変えてしまったのです。
自分本位で愛がない人が増えたということは、あの保育園がつくれないというような問題でも分かるのです。
子供の声がうるさくて、保育園がつくれないなど、昔は考えられませんでした。
昔の人はみな、小さな子供の声など聞くと、微笑ましいとか、元気が出るとかしか思わなかったからです。
しかし、最近の人は、その小さな子供の声がうるさいとしか聞こえないのです。
これなど愛がない人が増えた何よりの証拠でしょう。(道が狭いから子供が危ないとかなんとか、他の理由もつけていますが、ああいうことをいうこと自体、愛がない証拠なのです。道が狭いのなら、何でそこの住民の皆で、その子たちを守ってあげないのでしょう。そういうことが愛を出すということであり、昔の人はそのくらいのこと誰だってやっていたのです。ああ言い方は「私には愛がありません」と自らいっているようなものなのです)
そのような愛のない心がこのような不幸な世の中をつくり、自分さえ危うくしているのです。
愛を出すなら、自分の心からその愛とともに神の光も出てきます。
その神の光が自分を災難から守り幸福な世の中をもつくりだすのです。
いつまで愛のない心でいるのですか?
この時代、そのような心が一番危ないのです。



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