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4月 29 2016

責任転嫁

11:14 AM ブログ

昨日は男子プロゴルフの中日クラウンズを観てきました…といいたいところですが、あれは観てきたことになるのでしょうか?

一時間ほどしかいなかったからです。(苦笑)

一昨日のウナッシーさんからのコメントに、私への嫌がらせが増していると書きましたが、本当にそうで、昨日の中日クラウンズに来ていた連中は、ギャラリーからボランティアからテレビのスタッフに至るまで、本当にうっとうしかったです。(こいつケンカ売ってんのか、と思うようなのもいましたから)

それですぐ出てきてしまったんですが、その間だけでも何度もサイレンがしてきました。

サイレンがしてくると、目の色が変わる人もいます。それでいずらかった面もありましたね。

私がゴルフを観に行く主目的は、その辺りの生き物たちとの触れ合いと(昨日も鳥がよく騒ぎ、そのせいかどうか知りませんが魚も騒いでいました。〔笑〕)辻説法をすることですので、早くゴルフ場を出てくるのはかまわないといえばかまわないんですが、ただ、それくらいで出てくるのであれば入場料がもったいなかったですね。(特に男子プロは高いので〔四千円〕金欠の私にはつらいです。〔涙〕)

しかし、あれだけサイレンがしているのです。さぞ、あの辺りでもひどいことをされると思いましたが、その意に反しあの辺りを歩いていても思ったより静かだったですね。

それは意外でした。

ゴルフ場を出て、あの辺りを歩き回っていたのですが、工場などは静かで道路を走って行くトラックもブシュとやって行ったのは数台くらいでした。(その半面、鳥たちは相変わらずの騒ぎっぷりでした。〔笑〕)

あれだけ鳥が騒げば、あの辺りにある工場の人たちは私がいるとすぐに分かります。

そうしたら、でかい音を立てて来る工場が必ずあると思っていたのですが、意外や意外、あの辺りにある工場はどこも静かなものでした。

ある工場など、そこは去年は私が近くにいるのが分かるとガンガンやってきたところなんですが、そこも私が近くを通っているのに、まったく静かです。

「おかしいな」と思い、その工場の前を通る時に「今日は静かですね」とか「どうしたんですか?皆さん、私のことお忘れですか?」とか散々冷かしたんですが、まったく無反応でした。

これだけサイレンがしているのにどうしたんだろうと思い、これは当てが外れたなと思っていたところ、一人、二人、歩いている人がいまして、その人が足をザッザッとならして嫌がらせのようなことをしてきましたので「チャンス」と思い、辻説法をしたのですが、あの辺りは(名古屋とは違い)ずいぶん静かでした。

なぜでしょうか?(本当にどうしたんでしょう。でも、歩いている人はさほど変わらなかったですけどね。他の場所でも歩いている人には嫌がらせをされましたので、そこで辻説法は出来ましたから)

とにかくあのゴルフ場(和合)の辺りは思ったより静かだったんですが、段々名古屋に近づくにつれ(地下鉄の平針駅まで歩いたのですが)様子も変わってきました。

ブシュブシュやるトラックも増え、でかい音を立てる工場もあったからです。

名古屋と名古屋以外の人たちでは温度差があるのでしょうか?よく分かりませんが、その辺りでずいぶん辻説法をしました。(反発する人もいましたが、だいたいは最後の方は静かになり、私の話を聞いている人が多かったです)

名古屋の人は相変わらず反発が強いのですが、それ以外の地域では少しは反省する人も出て来ているのでしょうか?

それを期待したいのですが、名古屋に帰ってくると(鶴舞公園で降りて、そこから辻説法をしながら歩いて帰ってきたのですが)あまりにブシュブシュ、ガンガンやられるので、最後は切れてしまい「お前らいい加減にせえ。悪いのはお前らの方ともう分かり切っているだろうが。東日本大震災からわずか五年で熊本地震なんか起こされ、それ以外でもそこらじゅうで異常なことが起こされているのに、いつまで自分たちが悪いのを認めないんだよ。お前らが悪いのをいつまでも認めないから、いつまでもこういうおかしな現象ばかり起こされるんだろうが。お前らがもたもたしているせいで日本が潰されるわ。どれだけ人の足引っ張ってんだよ」と怒鳴りまくっていました。(苦笑)

しかし、その声を聞いても怒る人の方が少なかったですね。名古屋の人たちの多くは(特にこの辺りの人たちは)もう神の存在も自分が悪いということも知っているからです。

それをただ認めないだけなのです。

しかし(分かっているのに)いつまでも認めなくていいのでしょうか?

今日も朝からずいぶん名古屋は風が強いのですが(ゴーゴーいってますけど)北海道など爆弾低気圧の影響で、暴風雪が吹いて大荒れの天気になっているとのことですが(もうゴールデンウイークなんですけど…)北海道や東北の荒れた天気は熊本の地震に関係なく続いています。

東日本大震災や熊本のような大地震が続くと(古い記録を引っ張りだしてきて)昔このような大きな地震が続いたことがあるので、こういう地震が続いてもそういうこともあるから注意しないといけないと、その部分だけとって、これは自然現象で起きているだけみたいなことをいっている人もありますが(特にテレビや新聞で)しかし、現在はです。

このような考えられない大地震が続いているだけではなく、北海道などで続く大荒れの天気、ゲリラ豪雨、スーパー台風、竜巻、そうして多くのサイレンと、私に起きている鳥や魚が寄ってくるなどの奇跡、このような様々な異常現象が一度に起きているのです。(私に起きている現象も異常現象の一つですよね。こんなこと起きた人いないんだし)

こういう何重もの現象が一変に現されているから、私は「これは神が行っている」といっているのであり「日本の人は神を思わないと潰されますよ」といっているのです。

起きている現象の数が異常であるからです。

そうして、その起こされている現象の中で、愛ある奇跡が起きているのは、私に起きている現象(鳥や魚が寄って来るなどの)それのみであるのです。(私に起きている現象以外は、みな愛がない恐ろしい現象ばかりです)

ということは、いま起きている現象は、私に起きている現象だけが人を救える力があるのであり、それ以外はみな人を滅ぶす力しかないということです。(現れる現象に愛があるかないかで、それくらい違います)

愛ある現象が起きているのは私だけなのです。

では、やはり私のいうことに従うしか、救われる方法はないということになります。私以外の人で、私と同じ現象が現れている人はいないからです。(愛ある現象が現れていない人に人を救う力はないでしょう。それは釈尊しかり、キリストしかりです)

もう自分たちのことだけをやっている時代ではないのです。それは起き出している現象でそれに気づかなければいけないのです。

それなのにまあ、なんと気づかない人が多いのでしょう。これだけ危ない現象が起き続けているのに、少しも神を思わず自分たちのことばかりやっています。(それだけ神を観ようともせず、責任転嫁ばかりして、金儲けと遊びだけに突っ走っていると本当にやばいですよ)

私が歩いていると、多くの鳥たちが騒ぎますが、その鳥が騒ぐのは(また私に起きている愛ある現象は)何かを多くの人に教えているのではないでしょうか。

そのような愛ある現象は無駄なものではないと思うからです。(例えば、いま起き続けている異常現象を止める方法を知っている人を鳥が教えているとかです)

いつまで気づかないふりをしているのですか?

そういう態度をし続けるのは本当に危ないことなのです。(これだけ日本中が危険地帯になっていて、まだその危険度が分かりませんか?)

追伸…昨日歩いていて一番感じたことは、ずいぶんバスが極端だなと思ったことでした。(トラック連中は相変わらずですが。〔苦笑〕)

名鉄バスの運転手はずいぶん静かなのですが、それとは対照的に市バスの運転手はやたら怒っているのです。(私の顔を見て思いっきりブシュとやって来た運転手もいますし)

そういう両極端な態度を取るのは(少し前までは普通〔?〕にブシュブシュやってきましたから)何か起きている証拠でしょう。

もう止まらなくなったのではないですか?愛のない現象がです。(先ほども書きましたが、そういう現象は人を滅ぼします)

それは私のせいではなく、みな自分たちのせいなのです。自分たちの愛のない心と行いが、そのような愛のない現象を現しているからです。

私しかその愛のない現象を止められる方法を知っている者はいませんが…それでもまだ、そのような態度を続けるのですか?

(静かにしていても、怒っていても、その現象は止まりません。反省して、私が祈らないとその現象は止まらないのです)

2コメント

2 コメント to “責任転嫁”

  1. ウナッシー2016/04/29 at 3:58 PM

    今日から大型連休になります。しかし九州地方はなかなか落ち着く様子が見られません。被災地の方々も心穏やかではないでしょう。実は私の胸中も安堵することがないようです。先日からの決してと切らせてはならない心に引っ張られている様子に安堵できないのです。その中で気付きを頂いたことは、私自身が神よ、心よ、と言いながらその神と心をしっかりと見ていなかったことが反省として頂きました。頭で知ったことが心に落とされていなかったというのです。さて、それが分かってどうするのか。次から次へと心からの想いはとぎれないのです。
    九州は地震に揺れ、私の心は想いに揺られて。大型連休で体はのんびりと過ごせますが心の揺れは収まりを見せません。

  2. gtskokor2016/04/29 at 8:20 PM

    これだけいろいろ起きているのです。
    法を知っている人は、心の内より様々な指導があります。
    それをどれだけこの世に実践できるのか、それもまた法の実践の一つなのです。

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