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5月 05 2016

個人の尊重、自由、平等より、愛、慈悲、調和

11:00 AM ブログ

昨日も普段行かないところを辻説法して回ったんですが、十人近くの人から頭を下げられました。ちょっとコツがつかめましたかね。(なんていってると、またボコボコにされますが。〔笑〕)

私が歩いていて鳥が騒いでいますと、だいたい最初にちょっかいをかけてくるのは年寄りです。(わざわざ家から出てきて大きい音を立てたり、少し離れたところにいて大きい音を立てたりです)

最近は年寄りは私の得意分野です。(笑)そういうことをされたら即、声をかけます。

「何でそんな悪い奴にこれだけ鳥が寄ってくるのか。その聞いてる噂、違ってたらどうするの?その噂が正しいかどうか確認したの」と先制パンチを食らわせ(だいたい、そういうことをいうとビクッとする人が多いです。噂を疑いもせず鵜呑みにしている人が多いからでしょう)後は昨日書いたような話を次々にします。

そうすると、だいたいは逃げていくか静かになるかですね。それでも嫌がらせをし続ける年寄りは(いるにはいますが)少ないです。

「あの世がある」「心が救われた」このような言葉は、先が短いと思っているお年寄りにはやはりよく効くのでしょう。

だから年寄りの弱点を見つけたのは大きいのです。これまでは何をいっても聞かない年寄りが多かったからです。そうすると周りも同じように聞きません。

年寄りを静かにさせることが出来たのは、多くの人に私の辻説法を聞いてもらう上では本当に大きかったのです。

しかし、私のいうことを聞く人がたくさん出て来ないと、本当に名古屋は危ないのです。(特別それは名古屋だけではありませんが)

まだサイレンはよく聞こえてきますし、悪いことを人のせいにし続けたって、その悪いことは止まらないからです。

私たちに起きている悪いことは、よそに原因があるのではなく自分たちにあるからです。

それに気づくか、気づかないかでずいぶん違うのです。

昨日私に頭を下げた人たちは、少しはその原因が(自分にあると)分かった人たちだと思います。そういう気づきの積み重ねが大きいのです。(高橋先生も小さな悟りが大きな悟りにつながるといわれていました。小さな気づきをいくつもすることが大きな気づきとなっていくのです)

しかし、いつまでもそれに気づかない(認めない)人はたくさんいます。昨日もやたら怒っているバスの運転手がいました。

哀れですね。自分たちがどれだけ危ない目に遭っていても、まだ自分が悪いと認めようとしないからです。

多分、この人たちはもう自分が悪いと分かっているでしょう。

分かっていても、それを認めようとしないのです。(本当に我が強い、年寄り顔負けですね)

しかし、それでは危ない現象は止まりません。自分が悪かったと認めて、その悪かった行いをしっかり自分で反省しない限り、その危ない現象は止まらないのです。

では、それをやったらどうでしょう。それは誰のためでもない自分のためであるからです。

こういう(自分の罪を認めようとしない)自分本位な人が増えつつあるのです。だから、昨日書きましたように、おかしな現象が次々に起こされているのです。

だいたい、自分のことばかりやっている(いっている)ことが正しいことでしょうか。

そういう個人の尊重、自由、平等などと主張する人が増えたから、自分本位で狭量な人が増えたのです。

そういう教育を私たちはもう小さい時から受けてきたからです。(このような教育は戦後からですから、もう七十年にもなります)

しかし、自分ばかり尊重して自由で平等なら、他の人のことなど考えなくなります。(何せ自分が一ですから。ドンドン狭量になって行きます)

そうなれば自分が少し気に食わなければ反対します。当然保育園に反対という人も増えるでしょう。自分の都合しか考えなくなるからです。

だから、学級崩壊も増えている、子供にそのように教えているからです。(子供にそんなこと教えてしまったら、わがままな子が増えますよね。今の教育評論家といわれる人たちがこういう教育を推進しているのです。〔日教組の考えそのままです〕学級崩壊も進むわけです)

しかし、大人から子供まで、そういう(愛のない自分本位な)人が増えたから(そのような考えが間違っているから)こういう恐ろしい現象が次々に起き出したのであり、そのような心を反省しないとこの現象は収まらないのです。

「お前に何が分かる」といわれましても、そのような現象と正反対の現象が私には現れているのです。(これだけどこを歩いても鳥が騒ぐのです。その現象の否定は誰も出来ないでしょう)

では、何で私には多くの人々と正反対の現象が現れているのですか?

そういう自分本位な人たちとは考えていることと行っていることが正反対だからです。だから、正反対の現象が現れているのです。

そうではないでしょうか。私は自分のことなど考えず(自分のことを考えていたらこんなことやれません)神の教えを多くの人々に説いているのです。(損得も抜きでです)

この教えを実践すれば、多くの人が幸せになれると思ってです。(愛と慈悲の心です)

それのみの考えを実践していたら、そういう愛ある現象が次々に現れてきたのです。

これだけ正しいことをしているという証拠はないのではないでしょうか。

何度もいいますが、起きている現象が多くの人々とは正反対であるからです。(私には釈尊やキリストと同じような奇跡が、皆さん方には災いが起きているのです。これだけ分かりやすい話もありません)

どちらが正しいかは、その起きる現象が教えています。(だって、災いばかり起きていたらまともな生活が出来なくなるのです。どう考えてもそれはまずいですよね)

いってはいけませんが、教育評論家とか今の学校の教育の仕方がおかしいから学級崩壊も進んでいるのであり、そういう(自分本位な)心の子供が多くなったから、子供にも恐ろしい現象が起こっているのであり、自分本位な(個人の尊重、自由、平等)教育を受けて、それが正しいと思っている人が多いから、悪いことばかり起きて、次々に恐ろしい現象が現れているのです。

では、その考えを変え、その変えた考えを実践するしか恐ろしい現象を止める手立てないということになります。

では、そうされてはどうでしょう。現に私には奇跡しか起きていないんですから、これ以上確かな話もないと思うからです。(私の考えは愛と慈悲と調和です。〔個人の尊重、自由、平等とはえらい違いです〕それを実践するしかありません。そうすれば、私と同じことが起きてくるからです)

もう自分たちが悪いということは、目の前に起きる現象が教えているのです。

そうして、その現象はいくらでも自分で止めることが出来るということもです。(それを私が教えています)

あとはいつそれをやるか、それだけなのでです。

愛と慈悲と調和の実践が遅れれば遅れるほど、恐ろしい現象は激しく起きてきます。

天が現象を通して教えていることをいつまでも無視していてはいけないのです。

追伸…アメリカの大統領選の候補者が決まりそうですね。(共和党、民主党ともにです)

予想通りの方々が候補者になりそうですが…大丈夫なんですか?憲法も安全保障も何も変えようとせず、このままでいいといっている人たちはです。(特に共和党の候補者はやばそうなんですが…)

2コメント

2 コメント to “個人の尊重、自由、平等より、愛、慈悲、調和”

  1. ウナッシー2016/05/05 at 9:45 PM

    今日は連休最後の日となりました。その一日は時間が止まったようなものとなりました。それは前回のコメントに対し御指南頂いたものが心に響いたからでした。このブログに出逢い心の変化点があった時には数日間も時間が止まったそんな感覚があった経緯もあり、一日の終わりに振り返るとふと思い出しました。
    決して無駄ではなかった連休にするためにも、自分をしっかりと持ってさらに心の向上を目指して行きたいと思います。

  2. gtskokor2016/05/05 at 10:04 PM

    前回のコメントですか…特別あれはウナッシーさんに向けて書いたものではなかったんですが。
    不特定多数の人に向けて書いたのです。現状の日本を見てです。(勘違いされました?前回のコメントはすべて勘違いにかかっていましたね。〔笑〕)
    とにかく私たちが頑張らなければ法も拡がりません。これからも頑張りましょう。

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