5月 07 2016
法の影響
ひどい現象を起こされたいのでしょうか?
そう思えるほど毎日同じことをしています。(今日も相変わらず朝からうるさいです)本当に哀れです。(同じことをしているのなら、同じ現象しか現れないからです)
そういう哀れな人たちはほっといて、私は昨日も(雨の中)あちこちで辻説法をしてきました。なんとなくコツがつかめたように思えるからです。
そうしたら昨日も(頭を下げる人はいませんでしたが)私の話を真剣に聞いている爺ちゃん婆ちゃんが何人かいました。(あるいは何気なく外に出て来て聞いている人とかです。少し前まではそんな人いませんでしたから)
やはり心に響く(届く)言い方があるのですね。同じことをいっていてもいう順番で全然違うということがよく分かりました。
そうであるなら、救える人は救いたいですね。考えを変えるなら救われる人は(救急車で運ばれなくなる人は)たくさんいるからです。(頑固に考えを変えようとしない人はほっとくしかありませんが)
本当にこの辺りは切実なんですが(神の業がそのまま現れていますから)その切実さがいまいち分からないようで、それを伝えるのも私の役目です。(天罰を恐れるどころか、人のせいにして怒っていますから)
伝えることがたくさんあって(しかも対象が広いですし)大変です。
何せ、神の業より金儲け優先の人たちばかりです。本当に危ない人たちの集団です。(凄いですね。異常現象が毎日のように現れ自分の命まで危ないというのに、それを無視して金儲け〔仕事〕しています。本当に命知らずです。〔神に無知なだけなんでしょうが〕)
しかし、どこに行っても私のことは知られています。辻説法の仕方が分かると逆に楽ですね。辻説法のきっかけがどこでもつくれるからです。
私のことは名古屋だけではなく、愛知、岐阜、三重の東海三県くらいの人までは知られています。(自分で確認していますから)それにトラックの運転手連中には全国津々浦々まで知られているようです。(鹿児島や青森ナンバーの運転手にブシュとやられたことがありますから)
では、法もずいぶん拡がっているということになります。
私の悪評がそれだけ拡がっているのなら、当然唯物論は間違いで唯心論が正しいと思う人もたくさん出て来ていると思うからです。
そう考えると、私はずいぶん多くの人の考えを変えたのですね。
愛知県の人口は約七百万です。岐阜県は約二百万、三重県は約百八十万です。
その半分の人たちが、私のことを知り悪評を信じたとしたら、五百万前後の人たちが唯物論から唯心論に考えが変わったということになります。
それプラス、トラックの運転手連中、このブログを見ている東京やら他の地域の人たちやら日本全体の人たちプラス、世界の人たちです。(他の国の人もこのブログを読んでいる人はいます。〔それは確認することが出来ますから〕そうして、その世界の人たちも〔神はともかく〕あの世の存在を確実に信じていた人はそうはいません。このブログを知り、しっかり唯心有神論に変わった人は多いと思います)
では、私は一体(世界の)どれくらいの人の(考えを変え)心を救ったのか分からないくらいです。(私一人の力ではないんですけどね。天上界のご協力と私の悪評(少ないと思いますが、よい噂も含めてです)を拡げてくれた皆さんのお蔭です。〔苦笑〕)
下手な宗教も真っ青ですね。それほど多くの人の心に影響を与えているからです。
だから、現れてきたのです。
釈尊やキリストと同じ奇跡がです。
それだけの善行を私が行っているからです。
そういうこと(善行)を行わなければ、それほどの奇跡が現れることはないのであって、毎日のように釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているということは(昨日でも雨が降っているにもかかわらず、おかまいなしに鳥たちは騒いでいました)それだけ多くの善行を行っている何よりの証拠なのです。
それなのに、それだけ善行を行っている者が何で人を病気にするのですか?
そういうこと(私が人を病気にしている)をいっている人は、何の奇跡も現れていないのではないですか。だとしたら、その人は口から出まかせをいっているのかもしれないのです。
なぜなら、その人が本当に正しいことをいっているのであれば、何らかの奇跡が現れてこなければおかしいからです。(釈尊やキリストがそうであったように、正しい人には奇跡が現れます。もうそういう時代になったからです)
そういうことをいっている人たちに奇跡が現れず、災いばかりが現れているとしたら、それこそ、その人たちが間違ったことをいっている何よりの証拠なのです。
間違ったことをいっている(している)人に天罰がくだるということは、昔からの常識であるからです。(そのような人は、よく神のことが分からず人に罪を擦り付けているだけなのです)
そういう(神に無知な)悪人のいうことを聞いているから不幸になるのであって、本当の善人のいうことを聞くのであれば、幸せになれるのです。
現に、その善人のいうことを聞いたから(唯物論は間違いで唯心論が正しいと)多く人の心が救われたのです。
そのように、すでに心が救われた人が多いという結果が、その者が善人であるということを裏付ける何よりの証拠なのです。
それに対し、私を悪人に仕立て上げ、私の悪口ばかりいっている人たちの一体どこが救われているのでしょう。
そういう話をいくらしても(聞いても)何一つ救われないではないですか。心が怒りや恨みに満ち溢れるだけだからです。(私の悪口や人が病気になった話ばかり聞いて幸せを感じますか?怒りが満ちてくるだけです。それだけ不幸な心もないのです)
しかし、善人のいうことを聞くなら、それとは正反対に心の安らぎを得られるのです。(神やあの世や人の輪廻転生、奇跡の話を聞いて、心が怒りや恨みに満ち溢れるでしょうか。ホッと安らぐはずです。それだけ幸せを感じる話もないのです)
やっていること、起きていることがこれだけ違うのです。
では、どちらが正しいのか、またどちらが善人であるのか、それもよく分かるはずです。
人の噂話ばかり聞いていても正しいことは分かりません。
そのような一方的な噂だけではなく、その噂されている相手の話も聞き、そうして起きている現象も知って、総合的に判断されてはどうでしょう。
それが一番、正しいことが分かる方法であるからです。
善人の話を聞き、それを行うことが一番の幸せの道なのです。
いま不幸な人が多いのは、悪人の話を聞き、それを行う人が多いからです。
善人の話を信じ行ってはどうでしょう。
そうすれば、多くの人に幸せが(奇跡が)現れてくるからです。



人目の訪問者です。

小さな幸せに満たされました。今日は子供の用事で学校に行きました。クラブ活動の父母会です。実は以前にも同じ事があり役員をやっていたので思い出しながら行ったのです。すると当時一緒に役員をやっていた方がいて懐かしさもあり妙に嬉しさが込み上げてきたのです。顔馴染みが居ると居ないのでは気持ちも違います。そして父母会の資料に目を通していると途中見つけたのが当時私が作った資料があるではないですか。今ここにあの時作った資料があるということは、今までも使われているからであり、いやいや流石に驚きましたし嬉しいものでした。更に父母会の終わりに当時の役員さんと話をしたら、その方から資料の事を言ってもらったのがまた嬉しいものでした。当時会のためにと工夫を凝らし作ったものが役にたっている嬉しさと、第三者から認めてもらった嬉しさで心で今日は幸せな心で過ごせました。この位のことで幸せだなんて本当に子供のような稚拙な心に恥ずかしい気持ちも有りますが、滅多に誉められることのない年齢になりたまにはご褒美かという気持ちと、偶然とは言いがたい出会いの縁に不思議さを感じるそんな出来事でした。
それはよいことをされました。
これからはもっとよいことが出来ると思います。(法を実践されていればいろいろ啓示ももらえるでしょうから)
頑張ってください。