5月 17 2016
自分で気づく大事さ
何かキレ方が尋常じゃないんですが、本当に大丈夫でしょうか?(段々ひどくなるんですけど)
ここ数日は本当に変です。(前から変でしたが前以上に様子がおかしいのです…だからブログの書きだしはここんとこどこかの会社ばかりです)
もし、前以上のやばい現象が起き出したのなら、自分たちのやっていることを早く反省し(自分たちが人に嫌がらせを繰り返しているからそうなるんですから)神に頭を下げた方がいいでしょう。(ということは、私のところに相談に来た方がいいということです)
そうしないと、その現象は激しくはなっても止まることはないからです。
他のところは大丈夫ですか?(ずいぶんおとなしくなったところもあるようですが)もし、かなり危ない現象が現れているのなら、もう無理はしない方がいいでしょう。(やせ我慢しても危ないだけです。そのままだと次々に地獄に落とされますよ)
無理をすればするだけ恐ろしい現象が現れてくるからです。
いい加減、神を意識されたらどうでしょう。神はそれほど恐ろしい存在であるからです。
だから私は神を一としなければいけないと常々いっているのです。
神は愛と慈悲の塊ではありますが、その反面です。その愛と慈悲が分からない人たちには、それを気づかせるため恐ろしい現象も現すのです。
天変地変がいい例ですが、その天変地変といえばです。
昨日関東にも大きな地震が起こりました。(茨木で震度5ですか)
熊本地震があったばかりです。嫌な感じはしますよね。(まだこれから震度5以上の本震があるかもしれないですから)
東京も都知事の心があまりよろしくなさそうです。そうなると大きな地震が起きても何も不思議ではないからです。(いわんこっちゃないという感じですね)
別に脅しているわけではありません。
神の運動を(気づいている人も多いのに)やろうともしないし、都知事の心と行いもあまりよろしくない、こういうことが重なると危ないですよと警告しているだけです。
名古屋は名古屋でやばいことが起きています。本当に気をつけてください。(マァ、どこも同じなんですけどね)
しかし(本当に何度もいいますが)奇跡が起きているのは私だけなのです。
その奇跡が起きている者のいうことを、いつまでも聞こうとしなくて本当にいいのですか?
災いが起きている人のいうことをいくら聞いても災いしか起きて来ないのです。(もしかしたら、その人、悪魔に憑かれているかもしれないからです。悪魔のいうことなど聞いていれば百パーセント不幸になります)
奇跡が起きている者のいうことを聞くから奇跡が起きてくるのであり、その奇跡が起きている者を未だ疑っている人も(というか、完全に悪魔だと思っている人も)多いのですが、その者がもし一方で善行を行い、一方で悪いことを行っていたとしたら、そんな者に釈尊やキリストと同じ奇跡など起きないのです。
どれだけよいことをしている者でも、一方で悪いことをしているのなら、そのような者に天は奇跡など現さないからです。
それは悪魔の所業でしかないからです。(どれだけ多くの人の心を救っても、一方で多くの人を病気にしているのなら、その者は悪魔です。では、そんな悪魔に〔鳥や魚が寄ってくるような〕釈尊やキリストと同じ奇跡を天が現すはずがないのです)
釈尊やキリストはよいことだけをされたのであり、だから天が愛ある奇跡を現されたのであり、そうであるなら、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている者は、釈尊やキリストと同じような善行しか行っていないから、同じ奇跡が起きているのあり、その釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているということこそが、その者の善人さを現している何よりの証拠なのです。
私が人を病気にしている、不幸にしているなどという話は、悪魔が私に自分たちの罪をかぶせているだけのただのでっち上げであり、そのような人たちが病気や不幸になったのは私のせいではなく、皆その人たち自身のせいなのです。
悪魔はとにかく、自分たちの罪を認めないよう認めないよう誘導します。(すべて責任転嫁です)
そうして都合のいいことしかいわないのです。自分たちは何も悪くない、悪いのはすべてあいつであるなどとです。
しかし、そういう理屈がありえるでしょうか?
片方はよくて片方だけが一方的に悪いなどという理屈がです。
そういう理屈は、子供の屁理屈のようで、ちょっと考えにくいのですが(必ず自分たちにもどこか悪い部分はあるはずだからです)そういう一方的な話を多くの人に平気でするのです。
自分たちの罪をまったく認めようとせず、すべて責任転嫁する、そういう人こそ悪魔に支配されている人なのです。
しかし、そういう人の話を、もうまともに聞いていてはいけないのです。
よく考えてみてください。
先の東日本大震災でも最近起きた熊本地震でもそうです。
罪もない(と思われている)人たちがたくさん亡くなっているのです。
あれは天災だから仕方がないと、多くの人たちはいうでしょう。しかし、私を知っている人たちはその言い訳は通用しません。
なぜなら、私を知っている人たちは、そのような天変地変も人の意識で起こせるとすでに知っているからです。
人の意識で起こせるのなら天の意識でも当然起こせるはずです。ではなぜ、あのような大災害を天は起こされたのでしょう。
なぜ(現在に至るもですが)これだけ多くの人が不幸になるよう、天はし向けているのでしょう。
このような大災害を知れば分かるのです。自分たちにまったく罪がない(悪いところがない)などということはないとです。
それどころか、これほどの大災害を立て続けに起こされているのです。自分たちにも相当悪いところがあるから、これほどの大災害が起こされているのであり、では、その悪いところはどこなのか?
それを反省しないといけないのです。
自分たちに悪いところがなければ、自分たちに悪いことが起きることはないのです。
釈尊やキリストに悪いことなど起きませんでした。あのような偉大な方々は悪いところがなかったからです。
こういうことでも、自分たちに起きている悪いことを人のせいにしている愚かさが分かるのです。
もし、自分に悪いところがなければ自分に悪いことは絶対に起きません。(釈尊やキリスト同様です)
自分に悪いところがあるから、自分に悪いことが起きるのであり、だから、その悪いところを(自分で気づいて)反省しないと恐ろし現象は収まらないのです。
未だ(どこかの会社のように)悪いことを私のせいにし続け嫌がらせを繰り返している人もたくさんいますが、その反面、頭を下げていく人も増えました。
そのような人たちは、自分も悪いと気づいたからです。
その気づきから救いは始まります。
いつまでも気づこうとしないから救われないのです。



人目の訪問者です。

今朝のニュースで掛川駅で刃物を所持していた男性が取り押さえられた、という事件がありました。職業や住職は不詳となっていました。静岡県西部で新幹線の駅は浜松とこの掛川になります。身元の知れぬ不審者がついに掛川駅に降りたか。そんな気持ちになりました。刃物を持っていたことにとても驚きです。
ひとまずこの掛川で暴れてやるか、とでも思ったのでしょうか。いよいよ静岡も標的になってきた証拠になったのでしょうか。それを乗務員の車掌が気付き声を掛けて結果的に御用となったのです。本当によかったと思いました。もしその足で町中に出ていたとしたら大変な事になっていたかも知れないからです。
どのような事件や事故が起きるのも、要はその町の人たちの心次第ということです。
大きな事件や事故が続いています。心の在り方には気をつけましょう。