5月 19 2016
反省
本当に朝からにぎやかです。(苦笑)
いつまでやれるか知りませんが、せいぜい神に逆らい続けてください。そのような人たちがどういう目に遭うのかは分かりませんが。(本当に哀れです)
さて私は、昨日も庄内川に行ったのですが、途中で川岸から出て少々辻説法もしてきました。
ほんの少しだけだったんですが、それでも十分成果がありました。
最初はいつも歩く川岸の反対側にわたり、辻説法をしたのですが(すぐに工事現場のオッサンやオバちゃんたちが私に気づいて、でかい音とか立ててきますので本当にやりやすいです)その辻説法を聞いて、まじまじと私の方を見ている工事現場のオッサンもいました。
少しは気づいてほしいものです。
そうして、また反対側に戻ってきたのですが、その時、来た時とは違うもう一つ向こう側の橋を渡って戻ったのですが、その橋を渡るとすぐに庄内川の川岸には戻れませんでした。
川岸に入るための階段が、ちょっと離れたところにしかなかったからです。
それで少々大回りをして川岸に戻ろうとしたのですが、その時にある工場の横を通ったのです。その工場には例の公明党の候補者の看板がはってありました。(それも一枚くらいではなく、何枚もです)
「ありゃ、これはいかにもって感じだな」と思い、そちらに歩いて行くと、そこらの鳥たちが騒いでいたので、私が歩いていることはすぐに分かったんでしょう。(窓も開いていましたし)
その工場から急にでかい音が響いてきて、ガチャンと何か物を投げる音までしてきました。(どこかの会社かと思いましたよ。同じことしています。〔苦笑〕)
それで私が「オイオイ、こういう現象を見て分からないのか?(もちろん鳥が騒いでいる現象をいっているのですが)本物の信仰はこういう釈尊やキリストと同じ奇跡が起きて来ないといけないんだ。誰かこういう奇跡が起きている者がいるのか?」というと、一変にその工場の連中は静かになりました。(その工場に信仰している人が多ければ多いほど、この言葉は効きますからね)
「間違った信仰を続けたまま死んで行けば、そういう人はみな地獄行きだ。それでもその信仰を続けるのか?よく考えた方がいいんじゃないのか。こういう奇跡が現れている者が、現にいるのだから」と続けて、最後に「気が変わったら、いつでも来てくれよ。正しい信仰を教えてやるからな」といって、歩いて行きました。
その工場の連中は、最初の勢いはどこへやら最後はシーンとして私のいうことを聞いていました。
間違った信仰をしている人たちは特にですが、このような私の言葉は切実であると思います。
地獄がどういうところか、その人たちはよく知っているであろうし、自分たちと私では起きている現象があまりに違うのです。
これほどの差があり、そんな言葉を聞くのであれば、自分のやっている信仰に疑問を持たない人はいないでしょう。
だから、そのような人たちも早く気づいてほしいのです。
そう思いながら歩いていましたが、その工場から離れてすぐのことです。前から一人のオバちゃんが歩いて来ました。
「このオバちゃん何かしてくるかな」と思いながら歩いていると、そのオバちゃんは何かしてくるどころか、歩きながら私に向かい頭を下げてきます。
「エッ、誰この人」と思いました。そのオバちゃんの顔に見覚えがなかったからです。(年は六十~七十歳くらいの人です)
しかし、何か向こうは私のことを知ってそうな感じなのです。
「こんな人は知り合いにいないはずだけどな」とけげんに思い「どこかで辻説法でもした人か?」と思っていると、そのオバちゃんは私の横を通りすぎる時にもう一度頭を下げたのです。
その時、思いだしました。この人、前に一度この辺りで辻説法をした人だとです。
そういえば前にこの辺りを歩いた時に、このオバちゃんは私の前から歩いてきて嫌がらせをした人でした。
その時、私はこのオバちゃんに向かい辻説法をしたのです。
その時は、私のいうことを無視して知らん顔をして歩いて行ったのに、今日はこの人、態度がまるで違います。
それで同じ人と分からなかったのです。
「あれオバちゃん、あの時に説法したオバちゃん?」と私はすれ違って歩いて行くオバちゃんに向かって声をかけました。
そのオバちゃんはその声には答えず歩いて行きます。(少々こちらを振り返りまた頭を下げたようでしたが)
そうなんだと私は確信しました。そうでないのなら「ハァ」とか答えそうなものだからです。
「そうかい、オバちゃん。あんた反省したんだな。そういう気持ちを大事にしてな。そうすれば天上界に行けるからな」と声をかけ、私も歩いて行きまた。
あの説法をした時は、このオバちゃんはずいぶん我の強い人だなと思っていたのですが(私が何をいおうと無視して歩いて行きましたから)意外や意外、二度目に会ったら態度がまったく変わっていたのです。(態度だけではなく顔つきも変わっていました。説法をした時はずいぶんきつい顔をして私を見る目もきつかったのですが、今回は優しそうな顔つきに変わって、私を見る目も優しそうでした)
こうも変わるものかとちょっと驚いたのですが、やはり誤解している部分も多いのだなと改めて思いました。
それは、私のことを聞いている人たちもそうですし、私もそうです。
私は辻説法をして、その辻説法を素直に聞く人が(例えば、昨日の書いた爺さんのようにです)素直な人で、先ほどのおばちゃんのように、私のいうことを無視して歩いて行くような人などみな我の強い、頑固な人だとばかり思っていたのです。
だから、そういう我の強い人はどうしようもないなと思い込んでいたのですが、そういう態度を取る人の中にも、家に帰って自分の態度を反省し、態度を一変に変える人もいるのです。
そういう人もいるのだな、と思い、そういう人もいるのであれば、救われて行く人も案外多いのかもしれないなとも思えたのです。
しかし、同じような間違った態度をし続けている人たちもいます。(そういう人たちの方が多いのですから難儀な話ですが)
反省されてはどうでしょう。
そうすれば、その恐ろしい現象は止まるからです。
追伸…何か相当やばそうですね。うるさそうにしていても全然元気がありません。(だから今日はそれほどうるさくないということです)
ここんとこずっと変ですが、大丈夫ですか?
元気がなくてもそういう態度を取り続ける限り、その恐ろしい現象は収まらないのです。
一度私のいうことを聞き、反省されてはどうでしょう。そうすれば、その現象が止まるかもしれないからです。
どこかの会社だけではなく、ずいぶん暗そうな運転手も多いのですが、その人たちもそうです。
反省されてはどうでしょう。そうしないと、その現象は止まらないと思うからです。
何をしても止まらないんですよね。(したかどうかは知りませんが、お祓いをしても、祈りをしてもです。そういうことをやっている人はゼロではないと思います。対象が広いですから)
本物の教えとはこういうもので、逆らってばかりいては本当に危ないのです。(本当に天罰を食らうからです)
年寄りでも反省されるのです。では、それより若い人たちがなぜそれが出来ないのですか?
年を取っている方がよほど頑固であるのにです。
誰も私のことなど知らないのです。(誰ともしっかり話したことなどないのですから)
噂話を真に受け、私をひどい奴と思いこんでいるだけなのです。(だからそれも誤解なのです)
しかし、そんなひどい奴に釈尊やキリストと同じ奇跡は起きません。
ただ人の噂話を真に受けているだけではなく、自分自身で確かめてください。私がそれほどひどい奴かどうかをです。
本当の私を知ってもらえるなら、自分が間違っていたと反省することもそれほど難しくはないと思うからです。



人目の訪問者です。

ここのところ私の心を離さないものがあります。それは心から浮かぶ神に感謝する行いとはという疑問です。会社で働いていて近くの同僚が「面倒くさいな、もう~」とか言うと、えっ、何が面倒なんだ?ではどういった心のが感謝して働く事になるのだろう。また家にいても家族の発する言葉に心が動くのです。
基本は八正道とうがまるで分かってない私にはまるで導かれていうような、これまでにない疑問が浮かぶのです。感謝することの大切さや調和することの理解を深めるためにも暫くその心と付き合ってみようと思います。日々の神への感謝と反省を忘れずに。
それはウナッシーさんの心が深まっている証拠でしょう。
その調子で頑張ってください。