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5月 25 2016

災いを呼ぶ態度

11:06 AM ブログ

今日も朝からお怒りです。また何か起きたんでしょう。(そういう時は朝早くからお怒りですから。〔今日も朝六時半くらいからガチャガチャやっていました〕本当に大変ですね。災いばかり起きてです)

何で自分たちがやっている悪いことをいつまでも認めないのでしょう?(これだけでかい音を立て続けているんだから、悪いことをしていると分かりそうなものですが、本当に不思議です)

罰など当たったことがないから分からないのでしょうか?

しかし、もう分からないといけないでしょう。自分たちが悪いことをし続けているから罰が当たっているとです。

こういうことをしていたら罰が当たる、その見本のような人があちこちにたくさんいるようですが、自分のしている行い、もう少し考えられてはどうでしょう。

その行いが変われば災いは起きなくなるからです。

さて私は、昨日は久しぶりに名古屋港水族館行ってきました。(二ヵ月ぶりくらいでしょうか)

相変わらず可愛かったですよ、あそこにいる動物たちはです。(人間とはえらい違いです。〔苦笑〕)

水族館に入るといきなりシャチのお出迎えです。

三頭いるシャチの一頭が入って行った私に気づいて私の方を見ています。

それで私もシャチがいるプールの方に歩いて行ったのですが、私がシャチのプールの前に行くと、そのシャチは私の方をジッと見ながら目の前をゆっくり横切って行きました。

まざまざとシャチの目を見ましたが、あれだけでかい体のわりにはシャチの眼は非常にやさしいのです。

そのギャップがまた面白かったですね。(笑)

イルカなどもそうです。私がイルカの水槽を見ていて、離れようとすると一頭のイルカが私の方に「ピィーピィー」鳴きながら寄ってくるのです。

それでもうしばらくそのイルカの水槽を見ていましたが、いつまでもイルカばかり見ているわけにもいきませんので、離れようとするとまた鳴き出すのです。

「ちょっと下に行くだけだから」とかなんとか、そのイルカにいって別の生き物を見に行きましたが、歩いて行く後ろから「ピィーピィー」鳴かれるのですから、もう行きづらいといったらなかったですね。

イルカの水槽から離れるだけで後ろ髪を引かれる思いでした。(苦笑)

ペンギンなんかも可愛いものでした。

私がペンギンの水槽を見ていると、私の前に入れ替り立ち替りペンギンが泳いできて、私を凝視しています。

私が指をそちらに向けるとかむ仕草をするペンギンもいます。もう何羽ものペンギンが私の前で騒いでいます。

しばらくペンギンたちを見ていましたが、ソロソロ別なのを見に行こうと思い「お前らまたな」といって歩いて行くと、なんと前にいたペンギンたちが私の後をついてくるように泳いできて、水槽の向こう側は凄いスピードで泳ぎだすペンギンばかりになりました。(水槽の中には何人も飼育員がいたのにです)

さすがにその光景には私もちょっと驚きました。今の今まで、私の前でバシャバシャやっていたペンギンたちが急に凄い勢いで泳ぎだしたからです。

そんな比較的大きな生き物から小魚までみな愛らしいのです。

そうして、そういう生き物ばかりでなく、カニやエビまで愛らしい態度を取るのですから(私がカニのいる水槽を見ていたら、私の方を見て近づいてくるカニもいましたし、エビなど〔伊勢エビかなんかだったと思いますが〕私がエビの水槽を歩きながら見ていると、一匹のエビが私をジッと見ながら後をついてくるのです。本当に可愛いものです)本当に愛とは偉大なものだと改めて思いました。

愛は、どんな生き物であろうと、そのようなことに関係なく通用するからです。(神は、すべてのものを愛していられるという神の愛が、このようなところでも感じられます)

最近秋田などで、熊に襲われる被害が相次いでいるようですが、それも人間の方に愛があるなら、熊が人間を襲うなどということはないのです。

仮に熊が人間の前に出てきても、その人に愛があるなら、その熊はその人を襲うことなく、むしろ愛ある態度を取るからです。

それは私が動物園など行って、猛獣が私に愛ある態度を取っていることでも、その事実が分かります。(ライオンやヒョウなどがです。特にユキヒョウなんか可愛いですよ。動画にも撮ってありますが、本当に愛嬌のある態度を取ります)

愛があるなら、どんな動物たちとも仲良くやれますし、また、どんな災いからも守られるのです。

今この辺りで災いばかり起きている人たちは、ここに書いているように愛のない人たちばかりなのです。

愛がない態度ばかり取っているから災いが起きるのです。

法の流布のじゃまや嫌がらせやばかりやっていて、そこに愛があるのでしょうか?

そのような愛のない態度が災いを呼んでいるのです。

(動物たちとのあまりの違いに呆れます)

追伸…そのような可愛い動物たちを水族館で見てきた帰りのことです。

中学生の一団と遭遇しました。(遭遇といっても、その連中は下校途中であったんでしょうが)

そうしたらこの連中、こりずにまた私のことをバカにしてくるのです。(私が辻説法をしながら帰って来ていたら、それをニヤニヤ笑いながら見てバカにしていました)

こちらは(少しでも神のことを分かってもらおうと)必死なのに、バカ中学生連中はそういう態度を平気で取ってきます。

こういう連中に罰は当たらないんでしょうか?

それを私の祈りのせいにされても、近くを歩いて行けば、急に足を引きずったり、私の方を笑いながら見ていたりして、嫌がらせやバカにしたりしてくるのですから、もう祈るしかないと思います。(何かいったって聞きゃしないんですから。昨日もそうでした。私が何かいうとヘラヘラ笑って受け答えして嘘ばかりついています。私のことを平気で知らないというのです。「神に誓って知らないんだな」と念を押すと顔が引きつっていました)

こういう原因を自らつくっておいて、自分たちに悪いことが起きると、それを全部私のせいにするのです。(この連中、前にも見たことがあります。きっと同じ連中でしょう。まったく反省せず同じようなことをしてきます。しかし、もう次はないと思います。早くそのような態度を反省した方がいいでしょう。もう何か起きる頃だと思うからです)

しかし、それは責任転嫁以外の何ものでもないのではないでしょうか。自分たちが間違った行いをしているからです。

私にどうこういうより、まず自分の行いを正すことです。

自分の行いが正しければ、私がどれだけ祈っても何も起きないからです。(そういう人は神に守られますから)

人のことよりまず自分の態度を改めることです。(その愛のなさをです)

愛ある行為が自分を一番守るからです。

(前の会社だけでなく、隣まで怒りだしています。もうあちこちで悪いことが起き出しているようです。責任転嫁していても災いは止まりません。少しは反省されてはどうでしょう。善因善果 悪因悪果と釈尊も教えていられるからです)

2コメント

2 コメント to “災いを呼ぶ態度”

  1. ウナッシー2016/05/25 at 12:43 PM

    今週は会社で不思議な体験をしています。それまで生理的に相性が合わなかった先輩と一緒に仕事をしているのですがあら不思議。心には壁もなく過去のそういった事実にこだわりもなく逆にこちらから心をオープンにできているのです。これまで何故あんなに壁を作っていたのか分からないほどです。ここまで変われば変わるものなのかと不思議に思っています。何だかこれから先が楽しみになってきました。これまで自分勝手な妄想に殻にとじ込もっていた、そんな自分に光が見えたような感覚だからです。

  2. gtskokor2016/05/25 at 1:33 PM

    それは心が成長した証拠です。
    そういうところで自分の心の成長が分かるのです。
    知らない間に心が成長している、それが法の実践の効果なのです。

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