6月 10 2016
心の入れ替え
今日は微妙に静かですが(微妙というのも変ですが〔苦笑〕多少はうるさいということです)多少でも静かなうちに書きましょう。
また悪魔が騒ぎだすと書けなくなるからです。
昨日は白鳥公園に行ったんですが「あれっ」と思いましたね。ずいぶん雰囲気が変わっていたからです。
前から歩いてくる人のほとんどが嫌がらせをしていきません。(少し前までは前から歩いてくる人のほとんどが嫌がらせをしていきましたから。〔苦笑〕えらい違いです)
どうしたんだろうと思いましたが、どうも私がここで何度もしていた恩着せがましい説法がどうやら効いてきたようです。
私を見ても無視して行ってしまう人がほとんどです。(微妙に頭を下げる人もいたかもしれませんが)
もちろん嫌がらせをしてくる人がゼロではありませが、しかし、嫌がらせが少ないと公園を散歩しているだけで、こんなに気分が爽快(そうかい)になるんですね。
そこまでの実感はありませんでした。これまではかなり多くの人から嫌がらせを受けていたからです。(笑)
とにかく人にちょっかいをかけられないと、鳥や魚たちの喜んでいるのがこちらにいっそう感じられます。
すずめやツバメ、カラスやムクドリがあちこちから飛んでくる(私の回りを飛び回っていました。カラスやムクドリは鳴き声が少々うるさいのですが。〔笑〕)横の堀川の魚たちは(小魚ばかりでしたが)水面上にたくさん出て来てビチャビチャやっている。ピィピィ足元から鳴き声が聞こえてくるのでそちらを見ると、なんと私から一メートルくらいのところに、どこから飛んできたのかいつの間にかカワセミがいてピィピィ鳴いているのです。(あんなに近くでカワセミを見たのは初めてです。青くてかわいかったです)
そのような動物たちの愛くるしい振る舞いが凄い癒しとなるのです。
私は公園を歩いているだけでずいぶん癒されているのだな、ということを昨日改めて気づきました。(動物たちの癒しは感じていましたが、嫌がらせが少ないとこうも違うとは。ちょっと驚きましたね)
その白鳥公園に比べて庄内川はダメですね。
歩いてくる人は少ないのですが、それこそ、その少ない人たちのほとんどが私に嫌がらせをしていきます。そうして、川岸の横の道路を走るトラックもよくブシュブシュやっていくのです。
それだけ嫌がらせをされると、それこそあまり気が休まらないですね。鳥や魚たちとの触れ合いがあそこもたくさんあるのですが、そのような多くの人のそのような悪い行いで、その癒しが帳消しになってしまいます。
こう考えると、あのような嫌がらせはずいぶん悪いことだなと、これもまた改めて思いました。
癒されているよい心を一変に気分の悪い、悪の心に変えてしまうからです。
そのような心を悪い方に向ける行いを重ねているのなら、それがどれだけ小さな行いであったとしてもいずれは大きくなります。(小さな悪を続けているのなら、その小さな悪が積み重なり、その悪はいつの間にか大きくなっているのです)
そう考えるのであれば、ずいぶん大きな罪を負っている人は多いのではないでしょうか。
人に軽い気持ちで嫌がらせをしている人はたくさんいるからです。
しかし、この辺りの人はもうかなり危ない状況ですのではっきり書いておきますが、どうしても私が許せないと、悪いのはあいつ一人であると、そう思い続ける人がいるのであれば(庄内川に来る人たちのようにです)そのような人たちにはまず天罰が現れます。
その覚悟だけはしておいてください。そういう時代となったからです。
すでにもう、そのような天罰が次々にくだっている人たちがあちこちにたくさんいるのです。(どこかの会社の連中、どこかの運転手の連中などなど)
自分たちの考えが間違っているからです。(しかも大きくです)だから天罰を食らうのです。
いろいろ知らなかったことを教えてもらい、心を救ってもらった人には感謝しないといけないのです。(感謝とは感謝の心プラス報恩の行為です)
私が多くの人の心を救っているということは、釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているということで証明出来ます。釈尊やキリストと同じくらいの善行を行わなければ、あのような偉大な方々と同じ奇跡など現れて来ないからです。
そういう事実があるにもかかわらず、そのような天罰を食らっている人たちは、私に感謝とは裏腹の行いをしているのです。(私の悪口をいい拡げ、私に対する数々の嫌がらせです)
それでは天罰を食らうのは当然の結果であると思います。自分たちのやっていることがまったくの悪であるからです。
そういう悪を行う人がたくさんいては、この教え(法)は拡がりません。(それはそうでしょう。私の悪口など拡げられれば、そのような悪い奴のいうことなど聞けるかとなるからです)
だから、そのようなことをしている人たちに次々に天罰がくだっているのです。
この教えが拡がれば多くの人が幸せになれるのです。その多くの人が幸せになれる教えを拡げるのをじゃましているからです。(先ほど書きましたが、この教えを勉強するなら歩いているだけで幸せな気分になれるのです。いろいろな動物たちが癒してくれるからです)
私の悪口をいうこと、私に嫌がらせをすることの罪の深さが少しはお分かりいただけるでしょうか?
何もしなくても幸せを感じることが出来る、そのような教えを説いているのは私だけであるからです。
本当の神の教えとはそのようなもので、何も特別なことをしなくても、そこにいるだけで幸せを実感できる、生きていることに感謝できる、そのような教えであるのです。
早く心を入れ替え、反省してください。
そうすれば誰にでも、この教えを学ぶことが出来るからです。
追伸…先ほどまではずいぶんうるさかったのですが(また途中からやかましくなりました)急に静かになりました。(また何か起きたようです)
もう次々に何か現れているようです。(これだけ天罰覿面の人たちも珍しいですね。よほど悪いことをし続けているのでしょう)
昨日もいったんですが早く詫びに来た方がいいでしょう。頭から神に逆らう気がない人たちはです。(昨日どこかの会社の連中が表に出てきて、やかましいことをしたので、私も表に出てその連中を祈ったのです。そうしたら、その連中、ビビりたくっていました。それを見て、どこかの会社の連中も、神に逆らう気のあるものは全員ではないのだなと思ったのです)
直接詫びなくても、電話でもメールでもいいのです。匿名でもいいから詫びを入れて、少々の布施くらいすることです。(私のブログを読んでいる人も多いからです。それが報恩の行為です)
そうすれば、その罪は許されるからです。(ただし心から詫びなければいけません。その心を天は観ているからです)
今のままその連中(悪魔)に合わせていれば、必ず天罰を受けます。やっていることがあまりに神に逆らっているからです。(現に凄い勢いで天罰を食らっているようですが…)
そのような反省の行いが出来た人から救われて行きます。
いつまでも悪魔に合わせていてはいけないのです。そのままでは生きている間はもちろんのこと、死んだ後まで不幸になるからです。(もちろん地獄に堕ちてです)



人目の訪問者です。

今は気が付けば、私を生んでくれた両親や嫁を産み育ててくれた父母に対し感謝の想いを深める祈りをしています。先ず全ての始まりの原点であると思うからなのです。神の子であり神より命を頂き人として生きている現実に対する感謝です。そういう事は緒先生の著書を読んだそれだけで、理解していた様な気がするし素晴らしいと思い込みがあったのではないかとも思える。それは心からの思いが欠如していたことに何ら気付く分けもなく、これぞ我が道と決め付けてきたものではなかろうか。自分の心が気の済むまでとことん感謝しまくっていこうと思っています。それは心からその思いが離れないからです。
そうですね。そうしてください。