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6月 18 2016

悪魔の言葉を聞くか、それとも天使の言葉を聞くのか

11:02 AM ブログ

今日は休みですか…どこかの会社は凄かったですね。今週はです。

何が凄いってあの電話の数です。ジャンジャンかかってきていました。

あれだけかかって来ているのですから、それが仕事の電話であるのなら今日が休みのはずがありません。(あれが仕事の電話であるなら、夜も遅くまで仕事をやるであろうし〔今週は毎日八時前には終わっていました〕今日も朝からガンガンやっているでしょう)

あれだけ電話がかかってきて、それで今日が休み(先週もですんで二週連続です。二週連続で土、日が休みなど、この会社としては珍しいです。よほど暇なのでしょう)では、あのジャンジャンかかってきた電話は何だったのか?ということになります。

一体あの異常な数の電話は何であったのでしょう?(もちろん仕事の電話もあるのでしょうが)

想像の範囲でしかいえませんが、どこかの運転手連中もずいぶん態度を変えた人たちがいます。同じようなことが起き出しているのではないでしょうか?

そのような私に対する態度を変えざるを得ないことがです。

もう悪魔の心を持つ人たちには次々に天罰がくだる世になっています。(正法の世)

では、その悪魔の心を持っている人が仮にいたとしたら(その自覚が本人にあるか、ないかは別にして)その人はその悪魔の心を直さない限り、天罰はいつくだってもおかしくはないということになります。

その天罰が次々にくだり始めたのではないでしょうか。悪魔の心を持つ人があまりに多いからです。

その悪魔の心を持つといえばです。最近凄い奴がいることに気づきました。その凄い奴というのが、なんと中学生なのです。

昨日も会いました。その凄い(のが憑いている)中学生にです。

私は昨日庄内川に行っていたのですが、その帰りのことです。前から四人の男子中学生が歩いて来ました。(一柳の奴ですね)

最近この連中とは庄内川の帰りによく顔を合わせるのです。どうもわざと私が庄内川から帰る時間に合わせて帰ってくるようです。

私に嫌がらせがしたいんでしょう。現に私の近くまで来ると、必ず何かしてくる奴がいるからです。

そうして、そういうことをするから私が祈り始めると、今度はその祈りをバカにします。そういうことを、ここ二、三度続けているのです。(最近は何も起きていないからでしょうか?バカですね。それは反省の期間を与えられているだけで、こういうことをする者が出てくるとまた恐ろしい現象は現れるのです)

この中学生の中に、凄い悪魔を憑けている者がいるのです。(それは凄いですよ。この連中とやりあった後の数時間はげんなりしてしまいます。その悪魔の毒気にあてられてです)

この辺りも悪魔を憑けている人はたくさんいますが、これだけの毒気を出す悪魔はそうはいません。この中学生の中にどうも悪魔の親玉を憑けている者がいるようです。(だから魔王ですね。ここら辺の人が憑けている悪魔は、その手下クラスの阿修羅〔あしゅら〕が多いです)

こういう凄い悪魔を憑けている者がいるなら、少し何か起きなくなれば、それは私の帰る時間に合わせて帰ってきてバカにもして行くでしょう。

魔王は私が憎くて仕方がないからです。(なんせ、悪魔の親玉ですから。それはそれは私のことを憎んでいるでしょう。お前のせいで法が拡がったとです)

悪魔は法が拡がるのを一番嫌います。法が拡がって多くの人の心が変わるなら(神の心にです)悪魔はそのような(心の)人に憑けなくなるからです。

だから、悪魔からすれば法が拡がることは死活問題なのです。(憑く人がいなくなると悪魔は人を使って悪さをすることが出来なくなります。そうすると悪魔の動きは半減されます。それはそれは苦痛でしょうね。悪魔からすれば悪いことが減るくらいの苦痛はないからです)

しかし、すでに中学生で魔王を憑けているなど、よほど性格が悪いのか、それともよほど家庭環境が悪いのか、それは知りませんがとにかく不幸なことには変わりありませんね。

その魔王が後々どんな不幸をもたらすか知れないからです。(こういう中学生連中は先が思いやられます。オイお前ら、後々犯罪を犯すなよ)

しかし、こういう悪魔を憑けていては、もうよいことが起きないのです。そのような世の中にすでになっているからです。

このような悪魔連中の毒気にあてられて家まで帰ってくると、今度はどこかの会社の横の会社がまたやたら怒っていました。

ガンガンやってくるので「また何か起きたのか」と聞くとビクッとした者がいました。この会社、また何か起きたようです。(今週二度目ですが…)

どうもそこらじゅうで天罰がくだり始めたようで、それで悪魔たちも黙っていられないのではないでしょうか。

とにかく今週に入り、少なくともこの近くでは、次々に天罰がくだり始めたようです。(耳元で何か聞こえる人たち〔この辺り多いのですが〕本当に反省しないとやばいです)

天罰がくだっている時の対処の仕方は皆さんご存知であると思います。(罰が当たっているのですから、自分が反省するしかありません)

天罰をいつまでも人のせい(私のせい)にしていたところで、その天罰は止まりません。

これだけの天罰がくだり始めたのです。もう反省するしかないのではないでしょうか。

この天罰は正法の世が深まれば深まるだけ増えてくると思うからです。(ということは、この先もっと天罰は増えるということになります)

悪魔を憑けたままなら、いずれは天罰を受けなければいけなくなります。しかし、反省するならその天罰は受けなくてもよくなるでしょう。

なぜなら反省すれば心から光が出てきます。そうすれば自然とその悪魔は離れていくからです。

その心から出る神の光がその人を守るからです。(心から光が出てくると悪魔はその人に憑けなくなります)

反省が遅れれば遅れるだけ、自分に天罰がくだる確率も高くなります。

その天罰が尋常じゃないくらいくだり始めたようですが、それなのにいつまでも悪魔の言葉に騙されていてよいのでしょうか。(そういう人は悪いことしか起きていないように思うのですが…)

光の天使のいうことを聞いている人には次々に奇跡が起きているというのにです。

2コメント

2 コメント to “悪魔の言葉を聞くか、それとも天使の言葉を聞くのか”

  1. ウナッシー2016/06/18 at 1:00 PM

    あの日手に怪我を負ってから自分を見つめていたら、心を見つめる感覚が蘇ってきました。分かっていたと思っていた心の在り方が今思えば少し前とは違っていたことに気付いたのです。心の形を表せないので何がどう違うのか説明が難しい
    です。分かったからには真剣に心へ、その思いを刻む様に自分の心と向き合っています。しかし自分では気付かない変化がある事に正直言って初めての気付きでした。

  2. gtskokor2016/06/18 at 1:23 PM

    そういうことはよくあることです。だから反省を忘れてはいけないのです。

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