6月 19 2016
神を恐れよ
今日の朝は静かでしたね。(先週は、何かやたら怒っていて朝の六時前からわざわざ出て来てでかい音を立てていましたから)
そういえば昨日もどこかの会社は誰も来ませんでした。珍しいですね。この会社が休みの日に誰も来ないなどです。(しかも二日も続けてです)
いつもは休みの日でも誰か彼か来て(社長か誰か知りませんが)中で何かやっているのに、昨日も今日の朝も人が来ている様子はありませんでした。
よほど仕事が暇なのか、それとも、よほど家の方で立て込んだことが起きているのか知りませんが、本当に珍しいですね。
休日とはいえ、この会社にこれだけ誰も来ないのはです。(こういうことを書くと午後から誰か来るかもしれませんが。〔苦笑〕)
まさか、先週かかっていた、あのたくさんの電話が関係しているのではないでしょうね?
あの電話が仕事ではなく(従業員の人たちの)家からの電話であるなら、さぞ立て込んだことが家の方で起きていると思うからです。(何せ、凄い数の電話がかかってきていましたから)
マァ、よその会社のことをあまり詮索するのもよしましょう。それではただの噂好きのオバちゃんみたいだからです。(笑)
しかし、これほど法の流布をじゃましている人たちもいません。何か悪いことが次々に起きていないか心配ではありますね。
これだけ法の流布をじゃましているということは、これだけ神の心に逆らっている人たちもいないということであるからです。
それどころか、これだけ神の心に逆らう人が家族にいると家族中が不幸になります。だから、あの激しい電話の数が、そういう人たちの家族からの電話であったのではないかと思えるからです。(家族に次々に不幸が起き出した知らせのです)
神の心に逆らっている人たちの不幸は、例えば天変地変などを見ても分かるのです。
大きな天変地変が起きれば、小さな子供も年老いた老人も関係ありません。そういう年や男女の区別なく、災難に遭う人は遭うのです。
しかし、そういう激しい天変地変が起きても奇跡的に助かる人はいます。これもまた年や男女の区別がありません。
どんなに小さな子であろうと、またどれだけ年を取っていようと、死ぬ人は死ぬし、助かる人は助かるのです。
これまでは、このようなことをすべて偶然でかたずけてきました。(あるいは運がよかった、悪かった)しかし、それが間違いのもとであったのです。
こういうことは、偶然ではなくすべて必然であったからです。
つまり、そうなるには(幸、不幸ともにです)そうなるだけの原因がどこかにあったということです。
では、その(生死の境となる)原因はどこにあったのか?
それが心であるということです。
こういう場面で(例えば天変地変など起きた場合など)救われるかどうかの基準は、その人の心にあるのであり、それは天災ばかりでなく、事故とか、病気やけがなども同じなのです。
心の在り方が悪いから、不慮の事故や病気やけがなどするのであり、心がよければ、そういうことが起きないか、起きても奇跡的に助かるということになるのです。(ただし例外もあります。その人の決めて来た人生によっては早く死ななければいけない人もいるからです。そういう人は急に病気で死ぬということはあります)
そう考えるのであれば、今この辺りで(病気などの)災いが急増しているという理由もよく分かるでしょう。(よく聞こえてくるサイレン)
心の在り方が悪い人が多いからこういうことが起きているのです。結局、今この辺りで起こされていることは激しい天変地変と何ら変わりがないのです。
天変地変が起きた時と同じように、病人やけが人がたくさん出ているからです。(結果だけ見たら同じですよね。ただ、家が壊れていないかどうかだけなのですから。激しい天変地変が起きたら人だけでなく、家から何からみなグチャグチャになりますから)
天変地変は自然現象ではありません。神が(天が)その地域の人々の心を観て起こされるのです。
この辺りに起きていることが天変地変と同じであるなら、では、それを一体誰が起こしているのでしょう?(天変地変と同じことが起きているのなら、それは当然、天が起こしているということになります)
また、なんでこの辺りの人たちにそんなことが起こされているのでしょう。
現代の人たちは責任転嫁がしみついています。だからその理由など全然わからないのでしょうが、自分たちが悪いからです。
自分たちが悪いから、これほどの(天変地変に匹敵する)現象をこの辺りの人たちは天から起こされているのです。
しかし、それがよく分からないから、これまでは考えもしていなかったことを(例えば、人を祈って病気にするとかです)平気で考えだして、無理やり責任転嫁しているのです。
今なぜこんなことが起きているのか、その理由がよく分からないからです。
そうして、それが自分たちが悪いから起きているなど考えもしないからです。(責任転嫁がしみついているのと同時に傲慢でもあるからです)
しかし、どう取り繕っても不幸になっているのは、そのような責任転嫁ばかりしている人たちなのです。
自分たちが次々に不幸になっているのに、いつまでも「それはお前のせい」といい続けていて、一体それが何になるのでしょう。
そのような行いは、ただ自分に不幸が訪れるのを待っているだけにすぎないのです。
神を神とも思わず、神を少しも恐れようとしなかった自分たちが悪いのです。
そういう大罪をすでに犯していたから、このようなこと(数々のサイレン)が起きてきたのであり、それは自分たちがあまりに傲慢であったからその罪が分からなかっただけなのです。
そのような神を恐れようとしない傲慢さは、このような状況になっても、誰も神に手を合わせようとしない、神に頭を下げようともしない、そのような態度で分かるのです。
これほどの(激しい天変地変に匹敵するほどの)現象が現れているにもかかわらず、未だ神を神とも思わず、それをすべて人のせいにして怒り狂っている、ちょっと考えられないような傲慢さですが、このような傲慢な行いがすでに罪をつくっているのです。(少しの謙虚さもなくただ傲慢なだけ、心の世界から観たらそれだけでも十分罪となります。増上慢は大きな罪だからです)
そのような傲慢な態度が、このような恐ろしい現象を現されているすべての原因なのです。
いつまで神を恐れようともせず「自分が悪かった、神よどうぞお助けください」と神に手を合わせようともしないのですか?(そんなとろくさいこと出来るか、ですか?そのような考えがすでに神を冒涜しているのです)
私たちは神を恐れ(畏れ)ないといけないのあり、それが神の子の人間として、あるべき当たり前の姿であるのです。
もう少し謙虚になり、神の存在を理解されませんか?
そうすれば、どれだけ神が恐ろしいのか、その恐ろしさも分かるからです。
(その神の恐ろしさが分かって初めて幸せの道がついてくるのです。その神の本当の恐ろしさを知った人から〔それは謙虚に神を思うということにつながりますから〕神が導いてくださるからです)



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