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6月 28 2016

もっとも尊いもの

11:17 AM ブログ

昨日は知多の海に行ってきました。(内海、野間、知多奥田の辺りです)

特別理由はありませんが、海水浴客が来て海が混む前に行っておきたいと思ったからです。

名鉄で行ったんですが、名鉄の運転手や車掌で怒っている人もいれば頭を下げる人もいました。

頭を下げる人は救われますが怒っている人は救われません。しかし、頭を下げている人も下げているかどうかよく分からない中途半端な態度ではダメでしょう。

しっかり私に頭を下げ反省しないとダメだからです。そうしない限り、その罪は許されないからです。

私にちゃんと頭を下げに来てはどうでしょう。悪いことをしているのはあなたたちの方であるからです。

その名鉄電車に乗っていた時の話です。

行きは内海まで乗って行ったんですが、内海につく一つ二つ前の駅を過ぎた頃でしょうか「こんにちは」と声をかけてきた人がいました。

「ん」と思い顔を上げるとどこかで見た顔です。

そうして、その人の後ろにはテレビカメラまで持っている人がいてスタッフが十人ほどいました。

どうも電車の中でテレビ番組の撮影をしているようで、それでその人が「お話聞かせてもらっていいですか?」と私に聞いてきたのです。(「ゴリ夢中」という〔この中部地区だけしかやっていない番組なんでしょうが〕番組のロケをしていたようです。その番組のゴリさんが私に話しかけてきたのです)

私はてっきり法の話が聞きたいのかとばかり思い、いきなりテレビ番組で法の話をするのかと戸惑いましたが(そんなわけはないのですが。〔笑〕)聞くと内海の話を聞きたいというので(この内海の辺り〔南知多〕のロケをしていたようです)なんだと思って「地元ではないので内海のことは知らないです」というと「ああそうですか」と行ってしまいました。(あれではテレビに映らないでしょう。残念です。〔苦笑〕)

それだけの話なんですが、有名人と会えたのはラッキーでしたね。(笑)

それで内海について、内海から知多奥田の辺りまで歩いて行ったんですが喜んでいる鳥や魚たちがたくさんいました。(人はずいぶん嫌っているようですが。〔苦笑〕)

それで辻説法もしながら(もう海岸は人がちらほらいますので)動画も撮りながら行きましたが、どうも気が入っていないと(もう空いているSDカードがほとんどないので〔全然動画を公開していませんので〕動画を撮る気があまりないのです)よい動画も撮れないようで、いくつか撮るには撮りましたが後で全部消しました。

ついでに南知多ビーチランドにも行ってきましたが、あそこにいる生き物たちも相変わらず可愛かったです。

その生き物たちの態度が私と他の人たちでは全然違うのに(私の顔を見ると寄って来る動物、じっと私の方をみている動物がたくさんいました)その違いを見ても、誰も自分たちが悪いとは気づかないのです。(それだけ動物に愛されている者を悪人にしているのですから)

南知多ビーチランドに来ている人たちも、そこのスタッフも相変わらずお前が悪いという態度を取る人ばかりです。

この人たちはいつになったら自分たちが悪いと気づくのでしょう。

それは名古屋に帰ってきても同じでした。

やたら怒っている人があちこちにいるのです。市バスの運転手もそうですが(市バスの運転手はかなり怒っていますね)ある場所を通るとオバちゃんが私が通るのを待ち構えていたように(私が歩いてくるのを遠くから見ていましたから)家の雨戸を閉め始めました。

私が近くを通ると、私の方を見ながらガタガタ大きな音を立てて閉めています。

それで私が「オバちゃん、悪いことが起きるとみな俺のせいだな。あんたたち散々俺に嫌がらせをしたけど、それを詫びたことあるか?」と聞いたんですが、一切無視です。(ちょっとビクッとしましたかね)

何か悪いことが起きたんでしょう。それで私に八つ当たりしているのです。こういう人が最近は多いのですが、先ほどの市バスの運転手もそうですし名鉄の運転手もそうです。

私に心を救われているくせに(運転手の中には私のブログを読んでいる人も多いですから)それには少しも感謝せず、私を見かけると嫌がらせだけはしてくるのです。

自分のそういう心と行いをまったく反省しようともせず、悪いことが起きるとそれをみな私のせいにしているのです。

ちょっと聞きたいのですが、こういうことばかりしている人たちに悪いことは起きないのでしょうか?

こういうことしかしてこない人たちに悪いことが起きなければ逆に不思議ですよね。やっていることがあまりに自己中であるからです。

その自覚がまったくないようですが、自分たちはずいぶん悪いことをしているのです。だから自分たちに悪いことが起きているのです。(簡単な話なんですが…)

人に散々嫌がらせをしているのに、それを謝ろうともせず、悪いことが起きたら、その嫌がらせをしている者のせいにしている、しかもその者に散々心を救われているというのにです。

これでは凄まじいお返しがあるのも当然でしょう。一つの罪だけではなく、二重、三重の罪をつくっているからです。

私に奇跡が起きているのは、それだけ多くの人の心を救っているため、自分たちに災いが起きているのは、それだけ多くの悪を働いているため、それだけのことなのであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないのです。

その自分がした通りのことが自分に返ってきているだけのことなのです。

しかも法に対する悪は、その二重三重の罪をさらに倍加させます。

だからそれだけ恐ろしいお返しが返ってきているということです。

それだけ法に関する悪の罪は重いということです。他の罪などとは比べ物にならないくらいです。

他のことでこういうことをしても大して罪にはなりません。だからお返しも少ないのですが(罪が軽いからです)こと法に関してはダメなのです。同じことをしても、その罪が数倍、数十倍の重さになるのです。

それだけ法は尊いものであるからです。

自分たちに返ってきているお返しで、その尊さが分からないのでしょうか。もっとも尊いものを汚し続けているから、それだけきついお返しが自分たちに返って来ているのです。

折れないなら折れないでかまいませんが、あなたたちはこの世界でもっとも尊いものを知ったのに、それに感謝もせず(嫌がらせなどして)汚し続けています。

その罪の重さは計り知れないのです。

これほどの罪をつくっていながら、それでも折れないというのであれば、そのまま深い地獄に堕とされ、地獄で無理やり反省させられるのですが、その苦しみは言語に絶します。(それほど深い地獄に堕とされ深い苦しみを味わうということです。それほどの罪をあなたたちはすでにつくっているからです。考えてみてください。そうでなければ、これほど凄いお返しがあるはずがないでしょう。人が次々に病気になっているのです。こんな異常なことはこれまで起きたことがないくらいなのです。それだけ大きな罪を自分たちがつくっているからです。無神論であった人たちはその罪の自覚がないだけなのです。神の心をまるで知らないからです。本当に恐ろしいことを自分たちは自らしているのです)

頭を下げたらどうでしょう。何度もいいますが、悪いのはあなたたちの方であるからです。

(無神論だった人たちは自覚がないだけですさまじい悪をすでに犯しているのです。〔あなたたちは神の恐ろしさを知らなさ過ぎるのです〕どこかの会社もずいぶん腰が引けているようですが〔昨日帰ってくるとやたら怒っていましたが〕詫びを入れたらどうでしょう。そうしないとみな滅ぼされるからです)

2コメント

2 コメント to “もっとも尊いもの”

  1. ウナッシー2016/06/28 at 12:46 PM

    自分の事を格好よく見せる訳ではないでが、ここのところ改心しまして積極的に神に感謝、親に感謝、家族にそれから会社の方々と言った具合に感謝しまくってます。これまでを思えば、どこか心にスキがあり祈れば救われるとか感謝さえしていたら好転すると軽く考えていたところがあった事に気付いたからです。何故積極性が必要と感じたか、それは自分自身の自覚があって初めて言ったこと行った事が心身に会得できるものと感じたかからです。例えば、食事を頂く前に「我は命を頂くのである、神よ、父よ母よありがとう御座います」と言って感謝してから頂いたり、反省をする時や寝る前には「今この場所でこの時を向かえられるのは、神があり、父母との縁があったからである。有難う御座います」と言ったように自分の心に訴える様にしているのです。一日を通して当たり前に過ごしている自分に改革を迫っていこうと思います。

  2. gtskokor2016/06/28 at 1:40 PM

    それはよいことです。まったく感謝が出来ず、災いばかりが起きている人も多いですから。
    頑張ってください。

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