7月 17 2016
思いと行いの違い
ここ二、三日ブログを書きませんでした。前のバカ会社がうるさいのと遠出していたからです。
一昨日は遠出していたのですが豊田市の矢作川まで行っていました。どうせバカ会社がうるさくてブログもおちおち書いていられないだろうと思ってです。
朝から出て行って、そうして夕方家の近くまで帰ってくると、やたら怒っているところがあちこちにありました。
そうかと思うと様子が変わってしまったところもあります。
この辺りの皆さん、一日見ないだけで態度がコロコロ変わります。本当にあきないですね。(苦笑)
この辺りだけでなく矢作川の辺りでも怒っている人たちがたくさんいました。
それで辻説法をしながら、矢作川沿いを歩いて行ったんですが、あの辺りの鳥や魚たちは相変わらず可愛いかったですね。
ほんと人とはえらい違いです。(苦笑)
昼飯を川のすぐ近くで食べていたんですが、すると、私の横の川の浅瀬に小さいものが泳ぎ回っています。
「ンッ」と思ってよく川の中を見ると、小さな魚が(一センチくらいのです)数匹寄ってきて、私のすぐ横で泳いでいました。
「何だ、お前ら来たのか」と声をかけると嬉しそうに泳ぎ回ります。本当に可愛いものです。
回りではいろいろな鳥たちも飛び回って鳴いていました。(他に蝶やトンボなどもです)
また、それ以外でも変わった生き物が寄って来ました。
ソロソロ昼飯を食べ終わる頃のことでした。すぐ目の前でもぞもぞ動いているものがいます。
私は、横の川の魚や回りの鳥たちばかりに気を取られていましたので、前に何かいるとは思わなかったのですが、いつのまにか目の前になんとミミズがいるではありませんか。(苦笑)
思わず「チョ、オイ」と突っ込みそうになりました。(飯を食べているのにミミズはちょっとね。〔笑〕)
しかし、ミミズだけ気持ちが悪いからあっちに行けとはいえません。(苦笑)「何だお前も来たのか」と声をかけると、そのミミズが頭をもたげて喜んでいるのです。
それはそれでちょっと不気味でしたが(苦笑)しかし、そういう場面も珍しいので動画に撮っておきました。(私の声に反応してミミズが頭をもたげるのですから珍しいでしょう。〔笑〕)
と、私はこのように、少し自然の多いところに行けばいろいろな生き物たちが寄って来て癒され楽しものです。
何で周りの皆さんがそれほど怒っているのか、まったく意味が分かりませんね。私は皆さん方と会いさえしなければ楽しことばかりだからです。(苦笑)
悪いことをすべて私のせいにして怒る前にです。自分の行いを考えてはどうでしょう。
その違いが、起きることの違いとなって現れているだけだからです。
私は日々、人々に正しい心の在り方を説いて(このブログでです)外に出て行っても、人々の間違いを指摘して、神に祈っています。
それに対して皆さん方はどうでしょう。
私が説いている法を知り心が救われているのに、それには一切感謝しようとせず、証拠が一つもない、正しいかどうか分からない噂話を真に受け、人の顔を見れば嫌がらせです。
そうして、何か悪いことが起きると一時その嫌がらせをやめますが、また悪いことが起きると、やはりそれはお前のせいとまた嫌がらせを復活して、私の顔を見ると嫌がらせを繰り返しているのです。
そのような行いの違いが、起きることの違いとなって現れているのです。
私は常に人を救おう救おうとしているのに対し、私に嫌がらせをし続けている人たちは、人の不幸ばかりを願っているのです。(そうですよね。嫌がらせをしているのに、まさか、そのしている人の幸せを願いながら嫌がらせするという人はいないでしょうから)
そのような思いは当然自分に返ってきます。だから自分たちが不幸になっているのです。
その自分が発している、不幸になれという思いが自分自身に返って来てです。
私はよいことしかしていないのですから、よいことしか返ってこないのであり、その思いと行いの違いが起きることの違いなのです。
心を救われているのに感謝しないのはよいことなのですか?
証拠もないのに、正しいかどうか分からない噂を信じて嫌がらせすることが正しいことなのでしょうか?
嫌がらせを何があってもやめようとしない、そのような態度はよいことなのですか?
そのどれもよいことでもなければ、正しいことでもないのです。
そういう悪いことを自分たちは散々しているくせに、悪いことが起きてきたら、自分たちは一切悪くなくて、それも含めて全部、嫌がらせをしている者のせいにしている。
これだけ都合のいい話はないのではないでしょうか。
そういう都合のいいことばかりしているから、悪いことばかり起きてくるのです。
多くの人が、その都合のいい悪いことをなかなか認めようとしませんが、事実は事実なのです。
悪いことをしている事実があるから自分たちに悪いことが起きるのです。
よいことをしてくれた人にはよいことをするのが当たり前のことであり(恩には恩で返す)正しいかどうか分からない噂を真に受け、嫌がらせをしてしまったのなら(そういう間違いは誰にでもあるのですから)そのことを反省し、申し訳なかったと、その嫌がらせをしてしまった人に心から詫びを入れることがよいことなのであり、正しいことなのです。
そういうことを誰もしていないのに、悪いことが起きたのはお前のせいは一体どういうことなのでしょう?
そんなのは責任転嫁以外の何ものでもないのです。
私に対し怒っている人たちは、そのようなよいこと、正しいことをした人は一人もいないのです。(私に謝ってきた人など一人もいないのですから、これはまぎれもない事実です)
では、悪いことしか返ってこないでしょう。自分たちはなにもよいことを(正しいことを)していないからです。
私はよいことをしているからよいことが返ってきているのであり、私に嫌がらせをしている人たちは悪いことをしているから悪いことが返ってきているのです。
それだけのことなのです。自分の思いと行いが自分たちに返ってきているだけなのです。それ以外のことが自分たちに返って来るなどということはあり得ないからです。(善因善果 悪因悪果、因果応報)
では、自分の思いと行いを改められたらどうですか。
それ以外で、自分たちによいことが起きる方法はないからです。
追伸…毎日のようにブログを書くのをじゃまされているのに(今日は今日で、どこかのマンションの連中などがバシバシやっていますから)そんなに無理してブログを書くこともないでしょう。
じゃまされているのに、無理してブログを書いていても、そのじゃましている人たちは何も悪いと思わないからです。(どっちみち書くのだからじゃましてもしなくても同じだと思ってです)
ブログを書くのをじゃまするのであれば書かずにおきましょう。そうすれば自分たちも困まり(そのじゃましている連中もこのブログは読んでいるからです)やっていることの罪の重さも分かると思うからです。
それに毎日書いていると、どれだけこの法は価値あるものです、大事なものです、といったところで、誰もその価値も大事さも分からないでしょう。(毎日書いていれば、それが当たり前だと思ってです。誰一人布施してくれないのが、そのよい証拠です。そんなに価値のないものなのでしょうか。この法はです)
だから少々このブログを書かない方がいいのかもしれません。そうすれば、少しはこの法の価値も大事さも分かると思うからです。
これから、じゃまされなければ書きますし、あまりにひどいじゃまをされるならブログを書くのをやめておきます。(もう無理してまで書かないということです。これまでずいぶん無理して書いてきましたから)
それで日本に何が起きてくるのか、見ていましょう。



人目の訪問者です。

まずは自分の心を正す。その目標に向かい日々精進しているつもりです。そんな訳で未だ自分の出来事が主なものになってしまうもので、またその内容です。今朝も陽が出る前に庭の草取りをしていました。陽が出る前は涼しくて肌に感じる感覚は涼しくて気持ちの良いものです。夜ほど虫の鳴き声は聞こえません。せいぜいセミが鳴き夏の暑さを感覚的に盛り上げてくれます。そんな中で心に浮かんだのは両親への感謝の大切さを改めて感じたことでした。これまでも休みの日には庭の手入れ他にも家の事はやってました。でも今の自分の存在を両親への感謝を通し神へ心を向けると今までにない気持ちのが心に感じました。それは家の事だからとか、自分の義務とか責任としていたものが全くなくなっていたのです。
この私には家屋敷があり家族があり、その全ては神があり両親がいたからこそであると思うからこその報恩の行為であり神への感謝、親への感謝、家族への感謝の心を表すものとしての庭の手入れと思えたことです。更には思うだけでなく感謝しながら手入れをすると不思議と疲れも感じなかったような気がしました。
感謝すると言えば普通は面と向かって「有り難う」と言って終わりでしょうが、自分の成すことを感謝の心で行うことが自分も含め周りへの供養と成って行くのだと感じ取る事が出来ました。
そのように感謝の心を広げ深めて行ってください。