8月 06 2016
悪魔の理論、悪魔の理屈
昨日も私に嫌がらせした人はたくさんいたのですが(運転手から歩いている人までです)それにしても哀れですね。
悪魔の理論、悪魔の理屈に支配されている人たちはです。
こういう人たちは、私が悪い、私が祈るから悪いことが起きる、と信じているようですが、その私が祈る前に、散々嫌がらせをしてきている人たちがいるのです。
先に自分たちがしている嫌がらせは一切無視して、悪いことが起きると、その後にした祈りばかりを問題にして、あいつが祈るからこういうことになるのだと、さもしたり顔でいっている人もいるようですが、それはあまりにずれた話でしょう。
では、先に自分たちがしている嫌がらせはどうなるのでしょう。それは悪いことではないのでしょうか?
まさか、嫌がらせを、それは大変よいことだという人もいないでしょう。人に対する嫌がらせは悪いことなのです。
その悪いことを先に散々しておいて、その自分が先にした嫌がらせはまったく問題にせず、後にした私の祈りばかりを問題にして、祈るあいつがすべて悪い、いま起きている悪いことはすべてあいつが原因、これでは、どれだけ都合がいいのだという話にもなります。
悪魔の理論、悪魔の理屈とは一事が万事このようなことなのです。
どこかの会社の連中もそうなのです。(今日は来ていますが、そこそこキレてうるさいです)四六時中、私に嫌がらせをしてきているくせに悪いことが起きると、その嫌がらせをまったく忘れてしまったかのように、私を一方的に悪者にして、百パーセント自分たちは被害者だという態度で怒りまくっているのです。
私の祈りなど、この連中がやっている嫌がらせの何分の一くらいのものなのですが、その祈りばかりをやり玉に挙げ、私がすべて悪い、お前の祈りのせいで悪いことが次々に起きると、私が祈り始めると(ということは、先に散々この連中が嫌がらせをしているということですが)ひどい怒りようです。
では、嫌がらせをしなければいいのですが、その嫌がらせはやめないのです。
こういう連中は、一事が万事このような(超がつくほどの)ご都合主義なのですが、それを多くの人に気づかせないようにします。
それが悪魔の理論、悪魔の理屈なのです。
だいたい、今この辺りでしているサイレンもそうなのです。
元々は、あの運転手連中の(最初は市バスの連中だったと思います)ブシュブシュが原因であったのです。
そのような嫌がらせを私に対しやり始めてから、この辺りサイレンがたくさんするようになったのです。
つまり、運転手連中が私に対し、そんな嫌がらせをしなければ、これだけサイレンがしてくることはなかったのです。
大勢の人がよってたかって、私に嫌がらせなど始めたからそこらじゅうで天罰がくだり始めたのです。(前にも書きましたが、私に気づいたこの時点で、もし、この連中が私によいことをしていたのなら、今頃この辺りに、どれほどの奇跡が現れていたのか分からないのです。それを考えるとかえすがえすも残念です)
しかし、そういう事実があるにもかかわらず、この連中はその天罰を巧妙にすり替え(ごまかし)その天罰さえ利用して、その罪を全部私にかぶせたのです。
あいつが祈っているから、こういう悪いことがたくさん起きだしたとです。
自分たちが、その(天罰の)原因であるにもかかわらず、それをすべて私のせいにしたのです。
実際にそうです。私はその時にはまだ人に対し祈っていたわけでもなんでもなかったからです。
私が人に対し祈り始めたのは、そのような嫌がらせをされ始めてサイレンがしだしてからずいぶん後のことです。
だから、そのサイレンが私の祈りのせいであるはずがないのですが、それをうまくごまかし、この連中は何でもかんでも悪いことを私の祈りのせいにしたのです。
そういう嫌がらせを散々されるようになったから、私は「そういうことはやめてくれ」ということで、嫌がらせをしてくる人たちを祈りだしたのです。
最初からそのような人たちを祈っていたわけではありません。(しかし、祈りくらいはするでしょう。普通であれば、それだけの嫌がらせを受けたのであれば〔とにかくよってたかってですから〕キレて暴行事件など起こしています。〔下手すれば殺人まで起こすかもしれません〕私はそのような間違った行いをしている人たちを愛の心で祈っているのです。〔多少はムカついていますが〕)
ところが、そのずいぶん後からしだした祈りを問題にされ、すべて私の祈りのせいで悪いことが起きている、だからこの辺りで起きているすべての悪いことは、すべてあいつのせいとこうなったわけです。
これが悪魔の理論、悪魔の理屈なのです。
自分たちがしている悪いことは一切問題にせず、その人は何も悪いことをしていないのに(むしろよいことをしているのにです。多くの人の心を救ってです)さもその人が悪いことばかりしているかのようにいいかえ、その人を悪者に仕立て上げる、これが悪魔の業なのです。
このような悪魔の理論、悪魔の理屈を駆使して、悪魔に憑かれた大勢の人があちこちで私の悪口をいいまわるのです。
私一人が悪者になるのも、そう時間のかかることではありませんでした。
それが数年前の話なのですが、そうして今日に至っています。
しかし、その今日に至るまでです。その悪魔の理論、悪魔の理屈を信じている人たちに次々に災いが起こり、そうして、私には次々に奇跡が現れています。
そのような起きている現象の違いが、悪魔の理論、悪魔の理屈を信じればいいのか、それとも私の理論、理屈(神の理論、神の理屈)を信じればいいのかを教えているのす。
悪魔の理論、理屈を信じているから悪いことばかり起きているのです。その理論は間違いであり、都合のいいようにいいかえられた人を陥れるものでしかないからです。(それは悪意に満ちた架空の理論でしかないからです。だからそんな理論を信じている人たちに天罰がくだるのです)
神の理論、神の理屈を信じられてはどうでしょう。その理論、理屈こそ正しいものであるからです。
正しいものを信じてこそ、奇跡は起きます。
その奇跡を起こすことこそ、私たちの幸せの道であるのです。



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