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6月 20 2011

科学的根拠②

10:37 AM ブログ

福島も宮城も同じように原発があり同じような被害を受けました。(宮城の女川原発の方が私ははるかに強い衝撃を受けていると思いますが、女川はそればかりではなく、その後もすぐ近くを震源とする大きな余震までありました)ところが、福島はあのようにひどい原発事故が起きたのに、宮城の女川原発は少々の事故はありましたが、すぐその事故も収束しほとんど被害らしい被害はなかったのです。

福島の原発被害を考えるなら、(受けた衝撃は女川の方がはるかに強かったはずですから)女川は福島以上にひどい状態になっていてもおかしくはないはずですが、福島原発だけが今のようなひどい状況に陥っています。

なぜ、これほどの違いが出たのでしょうか?

これを物質面からだけ見ているとさっぱり分かりませんが、精神面を見ると、その県民の皆さんの心までは分かりませんが、少なくとも県の知事の心には大きな違いがあるのが分かります。

福島県知事は、元参議院議員で無所属であったとはいえ社民や民主の推薦を受けていました。一方宮城の知事は元宮城の県議で自民党に所属していました。

ということは福島県知事は(私が前に書きましたように)やはり共産主義の心を、大なり小なり持っているのではないでしょうか。それに比べて宮城県知事は元自民党の県議です。自民党に所属していたから共産主義者ではないとは言いませんが、私はこの宮城の知事は共産主義思想を持っていなかったと思います。

その心の差が出たのです。

園頭先生は「共産国だから原発が爆発したのだ」とソ連のチェルノブイリ事故のときに話していられました。

共産思想は神を認めません。そればかりではなく共産主義は自由平等を宣言し、元々ある秩序を破壊し人の役割をなくします。(実際は独裁者が支配するのですから不自由で不平等なのですが)ことごとく神の心に反しているのです。

このような心を持ち続けていると大きな気づき(災い)が与えられます。それが原発事故という形で現れたのです。

福島の原子力があれだけ暴れているのです。私は県知事だけでなく、その県民も共産主義思想を持っている方が比較的多いのではないかと思われます。ですからあのような原発事故で苦しめられているのです。(放射能の被害だけでなく風評被害まで)

これは私の憶測で書いているのではっきりしたことはいえませんが、一度機会があれば福島の原発被害で非難している人たちに、精神面のアンケートをとったらどうでしょうか?(別に福島の人たちだけに限りませんが)きっと何か分かると思います。

もし、私がここに書いたような福島県の人々は、共産主義者が多いと言うことになれば、その心を直せば原発事故など起きなかったわけだし、原発もそれほど危険でないと分かります。(それに現在起きている原発事故の対処にしても、心のあり方で大きく結果が変わってくるのです)

この一点だけでは分かりませんが、今までまるで問題にされていなかった多くの人の心の部分を、いろいろ多方面から調べてみると、必ず、その場所に何でそのような大きな災害が起きたのか分かってきます。ぜひ、そのようなデータをとって調べていただけたらと切に思います。

私はいろいろな災害が起きる根拠を物質科学より精神科学(現在言われている精神科学は自然科学とか哲学を言われているようですが、私の言う精神科学とは法のことであり、ブッダの法こそ正真正銘の精神科学であると思います)の方に比重をおいた方がはるかに正確なことが分かると思います。

その精神科学(ブッダの法)的にいうのであれば、原発がそれほど危険であるとは私は思えません。女川原発は福島以上の大きな地震に何度も耐え、津波の被害にもあったにもかかわらず、大きな事故には繋がっていないのです。それほど原発が危険なものであるならば、女川は(福島以上の衝撃を受けているのですから)福島以上にひどい状態になっていなければなりません。しかし、女川はまったくそのようにはなっていないのです。

なぜ、このように同じような災害に見舞われたにもかかわらず、結果に違いが出たのでしょうか?この世に現れる現象には必ず何か意味があります。その起こされた現象を通して天の心を知らないといけないのです。

私たちは福島と女川を見比べてそれを理解しなければならないのです。神がつくられたものに危険なものなどないのです。神の心と同じ平和に利用されているのであれば、どれだけ巨大なエネルギーであろうと、すべて人に協力してくれるのであり、その心さえ間違わなければ、私たちはもっともっと便利で快適な生活をこの世で送ることができるのです。

この現象を通して理解しなければならないことは、神が私たちに与えてくれるエネルギーはどれも同じである、ということです。その危険性だけを見て差別してはならないということです。

現在の世界的に高まっている脱原発を思う多くの人の心はどこにあるのでしょうか?ただ原発は危険だ、危ない、だから廃止しろという安全性重視の心ばかりがあるのではないでしょうか。安全性はたしかに大事な話です。しかし、原子力にせよ、火力にせよ、太陽光にせよ、すべて神からいただいているエネルギーにはかわりありません。今まで受けた原子力の恩恵に感謝の心も持たず、そのような危険な部分だけ捉えて原子力を忌み嫌い原子力を廃止しろ、という見方は間違っているのではないでしょうか。まず、神が与えてくださったエネルギーに対し感謝する、原子力に感謝する、という思いが先なのではないでしょうか。

日本も福島の事故だけを見て、原子力は危険であるということだけで、原発を廃止する方向に持っていけば、必ず後で大きなしっぺ返しを受けることになります。

そうではなく、まず原発に感謝して、そうして別なエネルギーも考えていこうということであるならば、必ずしも間違っているとはいえないでしょう。(もちろん原発の利権や電気の利権の問題などまったく別の話です)

何をするにせよ心のあり方を間違えれば不幸な道に進むことになります。

神の心、天の心がどこにあるのか、それを知ることがもっとも大事なことであるといえましょう。

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