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8月 17 2016

因果応報

10:57 AM ブログ

朝から凄い怒りようです。(何度もキレてでかい音を立てています)

マァ、予想通りですね。だいたい前の会社の連中が、四日も五日も休んでいて悪いことが起きないわけがありません。(まったく最悪な状況ですね)

だから今日はずいぶん怒っているだろうと思っていましたが、まさにその通りでした。

しかし、いつまでそれを(悪い現象を)人のせいにしているのでしょう。

今日もすでに朝からかなりでかい音を何度も立てているのです。(それこそ、この町中に響くようなでかい音をです)

そんなでかい音を立てれば迷惑する人はたくさんいますし、その音に苦(くる)しむ人もたくさんいるのです。

この者たちは、このようなことをもうずっとし続けているのです。ということは、この者たちは周りに迷惑をかけ続け苦しみを与え続けているということになります。

では、そのかけ続けている、迷惑や苦しみはどこに行くのでしょう?

どこにもいきません。そのかけた迷惑や与えた苦しみはすべて自分自身に返るのです。

だから、その苦しみが自分たちに返って来て、自分たちが苦しんでいるのです。

この者たちがいま苦しんでいる理由は「因果応報」ただ、それだけのことなのです。

それなのに、この連中はその自分たちの罪を私のせいにし続け、未だに罪をつくり続けています。

では、その苦しみは止まることはないのではないでしょうか?

自分たちが現在苦しんでいるその苦しみは、自分たちがつくり続けている罪が(人に与えている苦しみが)自分たちに返って来ているだけであるからです。

その自分たちが人に与えている苦しみが自分たちに返って来ているだけなのに、その苦しみを私のせいにして怒り続けているのです。

それではもっと苦しむことになります。

自分たちが人に与えている苦しみにプラスして、自分たちのお門違いな怒りと責任転嫁というよけいな罪までつくっているからです。(それプラス法の流布をじゃましています。この連中は一体どれだけ多くの罪をつくっているのか分からないほどなのです)

だからこの連中は苦しみ続けているのですが、その苦しみはすべて自分たちがつくりだしたものであるのです。

これは、この連中だけではなく、どこかの運転手連中も同じでしょう。

私を見かけてあれだけブシュブシュやれば、私だけではなく、その周りにも迷惑をかけているはずです。

おまけにそのブシュブシュが原因で、あのサイレンは起こされているのです。(もはやそれは承知の事実です。それをブシュとやってきた運転手に問い詰めると、青くなる運転手ばかりだからです。そのような運転手の態度が事実を物語っています)

では、この連中もどれだけ多くの罪をつくっているのか分からないということになります。

その(多くの)罪が自分たちに返って来ているだけなのです。

そういう自分たちがつくった罪が自分たちに返って来ているだけなのに、それをいつまでたっても私のせいにし続け罪をつくることをやめようとしないのです。

では、自分たちは苦しみ続けるということになります。

その苦しみの原因を自分たちでつくり続けているからです。

結局、悪いことをし続けて苦しむのは自分自身なのです。(まさに因果応報です)

早くそれに気づき私のようによいことをしてはどうでしょう。

そうすれば周りに奇跡が現れ続けるからです。

私は毎日のように神や心のことを教え続け人の心を救い続けています。(今日もこのブログを読み、また心が救われる人が出てくるでしょう)

そうして、嫌がらせをして来た人に対しても、それを嫌がらせで返すことなく「この人を正しくお導きください」と正しい祈りで返しているのです。(または辻説法でです。私の祈りを呪っていると勘違いしている人もいますが、こちらは正しい祈りをしているだけなのです。その祈りを受け悪いことが起きる人がいるのであれば、それは悪いことが起きる人が悪いのです。私は正しくお導きくださいとしか祈っていないからです。では、それが〔悪いことが〕正しい導きであるということです)

こういうことをし続けていると、周りに次々に奇跡が起きてきます。

そうして、その(奇跡が起きている)者のいうことを聞いた人にも同じように奇跡が現れることになるのです。(いやほんとに今回のオリンピックは凄いです。連日のメダルですから)

よい行いをすればするだけ、その者の心も広がり、その与える影響も大きくなって行くからです。

このようなことはすべて、その者の徳になります。

だからよけいにまた奇跡が起きるのです。よいことによいことを重ねているからです。(この辺りの人たちとはまったく逆の現象が起きているということです)

これまもた因果応報ですが、こういうよいことをし続けていると、将来にわたってよいことが現れ続けるということになります。

善い原因しかつくっていないのですから、善いことが起き続けるのはある意味当然のことであるからです。

いま現在もでかい音を立て、周りに苦しみを与え続けている人もいます。

そういう人たちは何かよいことをしているのですか?

このような人たちは、周りに苦しみを与え続けているだけで、自分たちは人に対し何もよいことをしていないのです。

周りに迷惑をかけ続け(苦しみを与え続け)少しもよいことをしない。(何の善行もしない)

これでは、よいことが自分に返って来るはずがありませんし、悪いことしか起きて来ないのも当然であるということです。(すべて因果応報です)

悪いことが自分たちに起きてほしくないのであれば、まず自分たちが悪いことをやめることです。

そうして、自分たちによいことが起きてほしのであれば、自分たちもよいことをすればいいのです。

いま現在、自分の周りに起きていることは、すべて自分自身が(過去に)つくり出していることであるからです。

そうであるなら、今の自分の行いをまず直すことでしょう。そうすれば、先の自分にはよいことが起きてくるからです。

2コメント

2 コメント to “因果応報”

  1. ウナッシー2016/08/17 at 12:47 PM

    夏季休暇もそろそろ終える会社が多いのかと思います。連休中はリオ五輪を見て日本を応援していました。メダルを取った時の君が代は最高です。あの曲は私にとっては心に沁みるものなのです。あれほど威厳のある風格さえ漂う国家は他にはないと思う位です。でも自分の心に沁みるから良いという発想も説得力ゼロですよね。まあ今は自分の心に温めて置きます。他に休暇中の反省から感謝すべき両親に対する恨み節を持った、間違った心が何処から来たのかの反省を続けています。実は私の子供時代は両親が嫌いだったのです。sこれまで両親に限らず周りの方々に対し感謝しかないと思えるくらい自分の勝手な想いに暖かい心で接してくれていた、そんな素晴らしい方々に反省を続けています。先ずは己の心をガッチリとぶれない土台の基礎作りを続けています。

  2. gtskokor2016/08/17 at 1:41 PM

    頑張ってください。

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