8月 20 2016
間違っているから災いが起き、正しいから奇跡が起きる
一昨日の名古屋港での話をもう少し書きますが、名古屋港ではこうも暑いとすずめたちも元気がなく、ちょこちょこ騒いでいるだけでわりと静かでした。(この時期はどこでもそうです。さすがの鳥たちも一番暑い昼中は元気がありません)
海に向かって「お前ら元気か」と呼びかけても、あちこちで小さい魚が少し跳ねる程度でたいして魚も跳ねません。
それで、しばらく名古屋港で休んでいて、夕方くらいになって涼しくなってきたので、辻説法をしながら(運転手連中の様子も見ながら)帰ろうと名古屋港を出ました。
名古屋港を出るとすぐに橋があるところがあり、下は海なのですが、その橋の上から海に向かい「お前ら元気か」と呼びかけてみました。
名古屋港ではあまり魚も跳ねなかったので、ここもしれてるかなと思っていましたが、しばらくすると少し向こうの水面がざわつき始めました。
「ンッ」と思いそちらを見ていると、凄い数の魚が水面に上がってきて、泳ぎ回っているようでした。
ありゃ、ここは凄いなと思い「おう、お前ら元気じゃないか」と声をかけていると、その水面に上がってきてビチャビチャやっている魚の塊が段々私の方に近づいて来ました。
私がいる橋の下あたりまでその塊が来ましたのでよく見えましたが、十~十五センチくらいの魚が数十、数百匹はいたでしょうか。(水が汚くて、上の方の魚しか見えなかったものですから数はよく分かりませんが、上から見える魚だけでもかなりの数はいました)凄い数の魚たちが泳ぎ回っていました。
その魚の集団に声をかけていると、嬉しそうに飛び跳ねる魚もいます。
ふと気づくと、そういう塊があちこちに出て来ているようでした。(水面のあちこちでさざ波が立っていましたから)
「お前らようけおるな」と声をかけると、下にいる魚たちだけではなく、あちこちの塊で魚がチョコチョコ跳ねてみな嬉しそうです。(見た感じ同じような大きさの魚たちばかりでした)
そういうのを見ているだけで心が癒されるのですが、こういう不思議なことが次々に起きているのです。
私が声をかけると、それまでは静かだった水面が急にざわつき始め、底から多くの魚が上がってきて、凄い勢いで水面を泳ぎ回り飛び跳ねる魚までいます。
魚まで、こんな愛ある態度を取るのに、これだけ愛ある現象が起きている私がそれほど悪者なのでしょうか?(魚ですよ。魚。魚が愛を感じているなど誰が理解出来たでしょう。しかし、私の目の前で、そういう愛らしい態度を多くの魚たちが取るのです。これ以上の愛の存在が分かる行為もないでしょう)
私には、魚ばかりでなくいろいろな動物が愛ある行動を取るということは、すでにいくつも公開している動画を見てもらえれば分かるはずです。(あの動画は、どのような動物にも〔それこそ、貝のような軟体動物までです〕愛があるということを証明した稀有な動画であると私は思っています。そういういろいろな動物たちの愛が、このブログの中に公開している動画を見れば分かるはずです)
そのこれだけ多くの動物たちから愛される私を悪者に仕立て上げたのは、この辺りの人たちなのです。
それは正しいことなのですか?
何の証拠もないのに、悪いことをすべて私のせいにして怒っている、そのような行為はです。
詫びを入れたらどうですか?悪いのはあなたたちの方であるからです。
今日も朝からガンガンでかい音を立てて怒っている人がいました。ドンとかガンとか、音を立てて怒っている家もありました。(今日は朝から〔どこかの会社だけではなく〕ずいぶんお怒りの人が多かったです)
そうかと思うと、ずいぶん静かになってしまったところもあります。(無理してこのブログをじゃましているところも、もちろんあります)
そういう人たちは皆、私のブログを読んでいるのです。
私のブログを読んでいるのなら(先ほど書いた動物たちの動画も当然見ているでしょうから)多かれ少なかれ心は救われているはずですし、これまで知らなかった(信じていなかった)ことを知った(信じた)ということもあるでしょう。
そうであるなら、それは当然感謝に値することであるはずですが、しかし、そういう人たちの中で私に感謝する人は一人もいないのです。(この辺りで私に布施してくれた人はいないのですから、それが私に感謝などする人がいない何よりの証拠です)
心を救ってもらい、知らないことを教えてもらっているにもかかわらず、少しも感謝しない、それどころか、やることといえば嫌がらせするくらいのものである、ということであれば、そういう人によいことが起きるのでしょうか?
そのような態度は間違っているのではないですか?普通であるなら、心を救ってもらい知らないことまで教えてもらっているのなら、感謝するのが当たり前のことであるからです。
その当たり前のことさえせず、恩を仇で返すような、嫌がらせを繰り返しているなど、これ以上罰当たりな行為もないと思うからです。
そういう罰当たりな態度を取り続けていて、そういう人に罰は当たらないのでしょうか?
「悪いことが起きたのはお前のせい」という前に、もう少し自分たちの態度を考えてはどうでしょう。
自分たちが悪いことをしていなければ、自分たちに悪いことが起きるということは、考えられないことであるからです。
「善因善果 悪因悪果」という釈尊の教えは、どの人も知っている正しい教えであるからです。
これだけ愛ある現象が起きている者が(そればかりでなく、これだけ多くの人の心を救っている者が)それだけ多くの人に悪いことをしているでしょうか?(あちこちにいますからね。悪いことをすべて私のせいにしている人がです)
口でいっているだけではないのです。これだけの愛ある現象が起きているのだから、皆さんに悪いことが起きているのは、私のせいではないのではないですか?といっているだけなのです。
その起きている現象が私が悪いことをしていない、何よりの証拠であるはずだからです。
悪いことが起きている人が間違っているのです。悪いことが起きていることが自分たちの考え方が間違っているという何よりの証拠なのです。
自分たちの考えに間違いがなければ悪いことなど起きるはずがないからです。自分たちの考えが正しければ奇跡しか起きて来ないはずであるからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです。釈尊やキリストは自分たちの考えに間違いがなかったから奇跡ばかりが起きたのです)
間違っているのは、その悪いことを何でもかんでも私のせいにして怒っている、その人なのです。
メールでも何でもいいです。そのような人は私に詫びを入れたらどうでしょう。
間違っているのはあなたの方であるからです。
そうして、ずいぶん心も救われ知らないことも知ったのです。少しくらいの布施はされることです。(せっかく寄付のページもつくったのですから分かりやすいでしょう)
そうすれば、その起きている災いは止まるからです。
私のいうことが正しいから、私には奇跡が起きているのであり、私が悪いことをしていないから、私には鳥や魚が寄ってくるような愛ある現象が現れているのです。
その起きている現象が私が正しいという何よりの証拠なのです。(何度もいいますが、こういう時は口など信じてはいけないのです。〔口でなど、どうとでもいえますから〕現象を見ないといけないのです。現象は嘘をつきませんから)
間違っているから災いが起き、正しいから奇跡が起きるのです。
では、奇跡の起きている人のいうことを信じてください。
その奇跡が起きている人のいうことが一番正しいことであるからです。
追伸…北海道の大雨や茨木(昨日でしたっけ、また震度4の地震が起きましたが)の地震は続いているようですね。
私が警告していた通りのことが起きています。(私はそのままでは災いが起きると何度もいっています)
その反面、今回のリオオリンピックは日本選手団のメダルが過去最多だそうですね。(現時点で四十個)
今回の日本選手団は私のいうことを聞き、神を思う人が多かったのではないでしょうか。それがこれだけの好結果につながったのです。
法に従うか、従わないかで、これだけの違いが現れるのです。
それでもまだ法に逆らうのですか?
法に逆らっている人に幸運は訪れないのです。



人目の訪問者です。

北海道がかなりヤバイ状態になって来ました。その現状だけでなく今後の不安材料が分かっているのですから心配この上ないでしょう。その心に対してお見舞い申し上げます。その不安材料とは気象情報によるトリプル台風、9号、10号、11号の猛追とでも言いましょうか。しかしながら決して他人事でもないようで9号にいたっては本州を直撃する予想進路がでているからです。でも今の私は、だから神に祈るのではありません。その不安に怯える皆の心の平穏をみながら祈るのです。大切なのは今ある心。以前の私は自分が意識して神よ、神よとその方向を向いていたような気がしますが、この頃気が付けば心の方から今ある自分は生かされている、というように神に向くのです。でも考えたらあまりにも間違いな行いなんで業を煮やしての結果なのかも知れません。よくよく心して反省をして精進を致します。今回の台風の被害が甚大にならないことを祈ります。
そうですね。早く多くの人が法に気づかないといけないのです。