8月 21 2016
感謝と反省、それに基づく正しい行い
皆さん、ずいぶんお怒りのようです。
昨日など朝だけではなく(昼間はどこかの会社の連中がずっとうるさかったんですが)夕方、家の近くまで帰ってくるとガンガンやってきた会社までありました。
しかし、私はその会社の人たちを知りません。(私がいつも通る道から少し外れている場所にありますから)
何で知らない人たちに、それほどまでにガンガンやられなければいけないのでしょう。(マァ、なれているといえばなれているのですが)
この会社の人たちは私に、こういう嫌がらせだけはしているのです。(私が近くを通っただけで何度かそういう嫌がらせをされたことがあります)
そういう悪いことを自分たちはしているくせに、それを一言も詫びようともせず何か起きたら私のせいにしてこのように怒っているのです。
そういう会社がいくつもあります。(会社だけではなく普通の家もそうですが)
そういう人たちは、悪いことが起きて私のせいにして怒る前に、自分たちの行いをもう少し考えてはどうでしょう。
悪いことをしているのはあなたたちの方だからです。
その自分たちがしている悪いことが自分たちに返って来ているだけなのですが、そのお返しを私のせいにして怒っています。本当に勝手な話です。
それにしても最近は増えましたね。このように急に怒り出すところがです。その反面、急に静かになってしまったところもあります。
ソロソロ業が戻ってくる頃なのではないでしょうか。だから、そういう人が増えたのです。
一昔前(二十世紀の頃)であるならば、これだけ早く自分たちの犯した罪が自分たちに返ってくるということはなかったんでしょうが、やはり時代が変わり(もう二十一世紀ですから)そのお返しが早く返ってくるようになったようです。(一昔前であるならば、十年、二十年単位で返って来たものが、今は数年単位で〔人によってはもっと早く〕返って来ているようです)
それで私に怒っているのでしょう。そういう人たちは私に悪いことをしている自覚のある人ばかりであるからです。
だから、あいつがお返しをしていると怒っているわけです。
しかし、別に私がその人たちに嫌がらせをされたお返しをしているわけではありません。自分たちがしている悪いことが自分たちに返って来てきているだけなのです。
もう何度も書いていますが、こういう怒っている人たちは、私に心が救われている人たちばかりなのです。
それなのにこの人たちは、それにはまったく感謝せず、私の悪口をいい、嫌がらせを繰り返しているのです。
そうして、悪いことが起きるとそれをすべて私のせいにしているのです。
この人たちは、心を救われても感謝はしない、人に嫌がらせをしていても詫び(反省)一つしない、悪いことが起きると、その原因を深く考えようともせず、その悪いことを全部人のせいにしていると、悪いことをいくつも重ねている人たちばかりなのです。
感謝はしない、悪いことをしても反省しない、悪いことが起きるとすべてそれを責任転嫁する、これだけの悪いことをこの人たちはし続けているのです。
だから、こういう人たちにはいずれ天罰がくだるだろうと私は思っていたのですが、その天罰がいよいよくだりはじめた、ただそれだけのことでしょう。
自分たちのしている行いがあまりに悪いからです。また、その悪いことをしているという自覚もあまりにないからです。
では、遅かれ早かれ天罰はくだります。
自覚があろうがなかろうが、その人たちのしていることは悪いことであるからです。
マァ、このような人たちは普段から、こういう悪いことを普通にしているのでしょう。(別にそれが悪いことだと思わずにです。悪いという自覚がなければ当然そうなります)
だから、誰に対しても、自分が少し気に食わないとそういうことをしてしまうのでしょうが、そういうことをしているから自分たちに悪いことが起きるのです。
こういう人たちは自分がつくっている罪を知らずに多くの罪をつくっているからです。そうして、当然自分がつくった罪は自分自身に返るからです。
そういう人たちは、まだまだこれから天罰はくだります。だから悪いことが起きない方法をここに書いておきます。このブログは多くの人を救うブログであるからです。(たとえそれが私に嫌がらせをして来た人であろうとです。神の心はそういう分け隔てをしませんから)
まず自分たちが心を救われたのなら感謝しないといけません。何に対しても感謝することは大事なことであるからです。
そうして、人に嫌がらせなどしたのであれば、一度はその人に詫びを入れ、その嫌がらせしたことをよく反省しないといけません。
そうしなければ、その罪は許されないからです。(もう今はしていないからいいだろうではありません。自分が犯した罪は自分が反省しない限り残り続けるのです)
そうしてそれは責任転嫁も同じなのです。自分の周りに起きてきたことは必ず自分にかかわりがあるのです。
自分が悪いことをしていないのに、自分に悪いことが起きてくることはありません。それが法則であるからです。(善因善果 悪因悪果)
だから、そういう法則を無視し、自分に起きてきた悪いことを人のせいにするなど、もうその時点で間違えているのです。
つまり、責任転嫁した時点で、その人はすでに間違いを犯しているということです。
自分に悪いことが起きてきたのであれば、必ずどこかで、自分がその原因(悪いことが起きる原因)をつくっているのです。
だから、人のせいで自分に悪いことが起きたのではなく、自分のせいで自分に悪いことが起きているのです。(人のせいで自分に悪いことが起きることなど絶対にありません)
だから、そのような責任転嫁の心を反省し、自分の責任を認めることです。それが出来て、はじめて自分の考えが正しくなるからです。
感謝と反省、そうして、それに基づく正しい行い、この三つが揃えば、その人に悪いことは起きなくなります。
しかし、それが出来ないということであるならば、その人に悪いことは(天罰は)必ず起きるのです。
自分に悪いことが起きるだけの罪を、その人は自分でつくっているからです。
特に私に対し、このような罪を犯した人は特別罪が重いのです。法を説く人に対しての罪はより重くなるからです。(釈尊やキリストに悪いことをしていることと同じですから)
そういうことをすれば取り返しがつかないほどの罪になります。(法を説く人〔それは即ち多くの人を救う人〕に対しての嫌がらせです。これ以上の罰当たりな行為はないからです)だから取り返しがつかないお返しが返ってきているのです。
それだけ取り返しのつかないことを、自分たちがしているからです。
ただ、それを知らないだけなのです。神、仏の価値が今の人たちには分からないからです。(もちろん唯物無神論の影響です)
しかし、それは起きている現象で理解しないといけないのです。自分たちが犯している罪はどれだけ重いのかということをです。
その自分たちの罪の重さを自覚せず(どれだけ恐ろしいお返しが返ってきてもです)いつまでたってもお前が悪いです。(責任転嫁)
それではすさまじい現象が現れてきます。自分たちが大きな間違いをしているからです。
本当の神仏を思う人から見たら、この辺りの人たちは、ずいぶん恐ろしいことを平気でしているのです。(それこそ大きな間違いです)
それが分からないのは、多くの人が神、仏の価値をいつまでたっても理解しようとしないからです。そうして、いつまでたっても(心では)本当の神、仏を否定しているからです。
だから、どれだけ恐ろし現象が現れてもそれをそれほど怖がらないのです。神、仏を否定しているものですから、そんなことを神、仏がするはずがないと思っているからです。
人がしている(私がしている)と思っているからです。
しかし、一人の人間がこれほどのことを出来るはずがないのです。この辺りで起きているすべてのことは、全部神仏の力、それなのです。
その神仏の力、神仏の恐ろしさをもう理解しないといけないでしょう。
神、仏を(その力と恐ろしさをです)いつまでも理解しようとせず、いつまでたっても罰当たりな行為を続けるのであれば、その人には必ず、恐ろしい天罰がくだるのです。
神仏とは優しいばかりではないからです。分からない人たちには老若男女の区別なく、恐ろし現象を現すからです。(それは激しい天変地変など見ていれば分かります)
感謝と反省、それに基づく正しい行い、それをいつまでも行おうとしなければ、この辺りの多くの人が、これから多くの天罰を受けることになります。
それは、これまでの経過を見ていれば分かると思います。
早く反省し、感謝の心を持って正しい行いをされませんか?
それをする以外、この辺りで起きている天罰から逃れる術はないのです。
追伸…悪いことをしているという自覚がある人はこの辺り多いと思います。
ただそれを素直に認めたくないのでしょうが、もう認めないといけないでしょう。
ずいぶん恐ろしいことがそこかしこで起き出したようであるからです。取り返しがつかないことが起きてからでは遅いのです。
そういうことが起きる前に防がなければ、その天罰を防ぐことは出来ないのです。(もう起きた後ではどうにもならないということです)
今日ブログに書いたことを急いでされてはどうでしょう。もういつ天罰がくだるか分からない、そういう人がこの辺り多いからです。
私に心が救われたことは事実なのです。(それに神や心のいろいろなことを教えられたこともです)もうそれを認められ、感謝の心でドーンと寄付をしてくれませんか?
そうすれば(それほどの感謝の心があるならば)災いどころか、奇跡が起きるようになるからです。



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