10月 09 2016
責任の重大さ
昨日あんなブログを書いたものですから、さぞ運転手連中は怒っているのだろうと、昨日は午後から、わざとトラックやバスの通りが多い一号線沿いをプラプラ歩いて行ったんですが、思ったほどではなかったですね。
わりと皆さんおとなしめでした。(おとなしめに怒っている人ばかりでした。〔苦笑〕)
私は、もっと烈火のごとく怒っている運転手がたくさんいるのだろうと思いましたが、やはり後ろめたい人が多いのでしょう。
もうほとんどの運転手が自分たちが多くの人を病気にしていると知っているからです。
そういう事実を知っているのに、それをまったくとぼけて、悪いことをすべて私のせいにして烈火のごとく怒るなどということは、よほど役者がかっている人か、あるいは根っからの詐欺師のような人でないと出来ません。
そういう(特殊な)人もそうはいないでしょう。
だから皆(バスやトラックの運転手も)おとなしめに怒っていたんだと思います。自分たちにも負い目があるからです。(というか、全部自分たちの責任なんですけどね)
そういう態度を(私に対し怒っているなどという態度を)いつまで無理して取るのですか?
もうほとんどの運転手の人たちは自分たちが多くの人を病気にした(サイレンの原因をつくった)と知っているはずです。
だから、自分たちが次々に病気になっているのです。(因果応報)
その自分たちの災いを止めるためにも、そうして多くの人たちへの災い(サイレン)を止めるためにも、自分たちの間違いをはっきり認め、そうして心から反省されてはどうでしょう。
そうする以外に、自分たちと、多くの人たちを救う手立てはないからです。
それをしない限り、自分たちが恐ろしい病気になるのはもちろんのこと、あなたたちに騙されている(私が人を病気にしているなどとです)人たちの多くも、これから恐ろしい病気になるのです。
それでもよいのでしょうか?
そのような間違った心の人には、遅かれ早かれ必ず不幸が現れるからです。(原因・結果の法則は必ず作用しますから)
多くの人が次々に病気になる、それほど恐ろしい神の業を、天からこの世に降ろしてしまったのは他ならぬあなたたちなのです。(多分これほどの神の業は数千年、数万年〔あるいはもっとかもしれませんが〕ぶりに現れた、そうは現れることがない現象なのではないかと思われます。何せ、聖書や仏典にも記されていないことですから)
その責任は重大なのです。(というか、その責任をすべて私一人に押し付けているのですから、そのような責任も含め、その責任はすさまじいです)
これだけのことをしてしまったのです。それがそのままですむわけがありません。それほどの罪をつくっておいて、それをそのままにしておくのなら(とぼけて私のせいにしておくのなら)その大きな罪は必ず大きな災いとなってあなたたちを襲うでしょう。(何度もいいますが、因果応報です)
もうとぼけていてすむ問題ではないのです。そのついている大きな嘘はどちらにしてもばれるからです。(私がばらさなくても正直な人はいます。そういう人たちが良心の呵責に耐え兼ね、いつかは本当のことをいうからです。嘘は必ずどこかでばれます)
早く正直に自分たちの罪を皆に話し反省されることです。そのような真摯な行為が自分を救い、また多くの人を救うからです。(私に連絡してください。それが救われる道です)
そういう(正しい)行いが出来た人から救われて行きます。救われるどころか、そういう正しい行いが出来たのなら、ずいぶん心も向上するでしょう。(これほどの罪を自ら認めるのですから、それは心も向上します)
そういう人が、この教えを学ぶなら、奇跡もたくさん起こるようになります。これを契機に(かなり危ない状況でもあるようですし)心を大きく変えてみませんか?
そうすれば、これから神の力を実感できるような、奇跡的な毎日を送れるようになるからです。
最近私はブログを書かないので(じゃまされて書けないので)あちこち行っているのですが(辻説法がてらです)四、五日前は木曽川と長良川がある三重県の長島町に行ってきました。
そうしたら、あの辺りの人はずいぶん態度が変わっていました。
長島の駅から出て私が歩き始めると、そこにいる鳥たちがもう大騒ぎを始めます。(ムクドリやすずめたちがです。駅で電車から降りた時点でもう騒いでいますから)だから私が来たことがすぐに分かると思うんですが、するとあちこちの家から人が出てきて、遠くから私を見ている人が何人もいました。
そういう人たちは、これまでは「この野郎」という雰囲気の人たちばかりでしたが、この前行った時は(そういう雰囲気の人もいるにはいるようでしたが)物珍しそうにこちらを見ている人が多く、また町中を歩いていても嫌がらせのようなことは全然されませんでした。
それで、ほとんど辻説法が出来なかったんですが(その辺り〔長島駅周辺〕では嫌がらせして来た人がいなかったので辻説法が出来ませんでした。少し場所が離れるといましたけどね)ずいぶん雰囲気が変わった町も出て来たようです。
それは一日、二日前に行った内海でも感じました。
内海も同じような感じで(私が内海につくと家から出て来てこちらを見ている人が何人もいました)私が歩いていると頭を下げていった人までいたのです。(それとは対照的だったのが、隣町の野間の人たちです。野間の人たちはまったく変わりませんでした。いつもと同じように歩いてきた人が私の顔を見ると嫌がらせをしていきます。その人に「内海はずいぶん変わったのに、この辺りの人たちは全然変わらないんだな。内海では頭を下げた人までいたぜ」というと、その人は急にいやらしそうな顔になり頭を下げていきました。同じように辻説法をしているのに、ずいぶん場所によって感じ方〔取り方〕が違うんだなと改めて思いました。そこに住んでいる人たちの心の違いでしょう)
その内海や長島町ではまた面白いことがありました。
長島町では、長島川を歩いて川に向かって声をかけていたら(お前ら元気かとです)またその川にいるボラたちが、ところどころでたくさん水面まで上がってきてバシャバシャやっていました。
内海では何とエイが近くまで寄って来て、私の目の前を悠々と泳いでいました。(庄内川で見たエイより、一回り〔二回りくらいかな〕大きなエイでしたので迫力がありました)
心が変わると珍しいことが普通に起きてきて、ところどころで心が癒されます。そうして、そのような心で祈ると不思議な奇跡が次々に現れるのです。
名古屋の人たちは未だ心を変える人が少ないようですが(一時、名古屋もそういう人たちがいたようですが、すぐにいなくなります。〔苦笑〕周りの人たちが私の悪口ばかりいうのですぐ心変わりするのでしょう)心が変わらない限り、悪いことは止ません。
これほどのピンチは逆にいうと、これほどのチャンスはないのです。(これほど心が向上するチャンスはありません)
昨日もいいましたが、勇気を出して、この苦難を乗り越えてみませんか?
その先に天竺(てんじく)が待っているからです。(マァ、西遊記ではありませんが、苦難を乗り越えた先に天上界が待っているのです。今のままでは確実に地獄行きです。つまり死んだあとまで苦しみが続くということです)
追伸…ここ一日二日、少し鼻がぐずぐずするので気づいたんですが、私はこの時期いつもであるならもうとっくに鼻水がズルズル出ていたのでした。(もちろん花粉症です。私が鼻水が出ない時期は六月から八月までの暑い時期だけです)
しかし、今年はまだぐずぐずする程度で(それも気づかない時があるくらいです)ほとんど鼻水が出ていません。
ブルガリアヨーグルトは未だ食べ続けています。(毎日ワンパックずつです。今年の一月から始めましたので、もう十ヶ月くらいですかね)
やはりヨーグルトが効いているようです。この調子でどこまで行けるのか、先が楽しみです。(このまま花粉症が治ることを祈ります。〔笑〕)



人目の訪問者です。

亡き兄弟が夢枕に立ち、もう数日が過ぎています。その兄弟が言うに葬式が近々あるとのこと。まあそれはそれとして受け流しております。今週は各地で秋祭りの賑わいが見られています。そして事故もまた報じられています。
秋の実りに感謝の心があるなら、またそうでなくとも日々を健康で感謝のうちに過ごせるなら本当に賑わいのある祭りになったのだろうと思います。
心で見るならば、自身の体もまた実りに茂る木々と何ら変わりのないものであり
神の命に満たされている。そうした感謝の心を日々見つめることが大事なことであり、神様ありがとうと気分に慕っていても心の向上は難しいものですね。
ご兄弟の夢はあるいは正夢かもしれませんね。
心の向上をより目指してください。