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10月 23 2016

なぜ多死社会となったのか

11:19 AM ブログ

前のバカ会社の最近の態度は本当におかしいです。

朝はいつものようにガチャガチャやりだすんですが、途中で静かになります。そうして中でやたら怒っている者がいるのです。

ああいう態度を見ていて思うんですが、多分、次から次へと災いが起きてきて、こちらに嫌がらせをしたくても出来ないのではないでしょうか。(また何か起きはしないかとヒヤヒヤでです)

だから、途中で静かになるのでしょうが、それならもう嫌がらせをやめておけばいいのに、その嫌がらせだけは意地になってやっているのです。

本当に哀れなものです。それでは災いは止まらないからです。

それにしても相変わらずの視野の狭さです。自分たちがやっていることがどれだけ危ないことなのか、未だに分かっていないからです。

だってもうこういう危ない現象は、この辺りだけではなく日本中で起きているのです。(起きているはずです)

それをちっとも理解していないから、相変わらず視野が狭いといっているのです。

そういう危ない現象は何も天変地変だけではありません。この辺りで起きているようなことと同じような災いが(多くの人が病気となり死んでいく)あちこちでも起きているということです。

そうでなければ、日本が多死社会になるなどおかしいからです。

現在の日本は、年間の死者数が2011年には百二十万人を超え、去年(2015年)は百三十万人を超えました。

今年はもっと増える予想が出ています。

毎年亡くなる人が数万人単位で〔今年はもっと多いかもしれませんが〕増え続けるなど、どう考えてもおかしいのです。

それに、その亡くなっている人の多くが天変地変で亡くなっているわけでも(東日本大震災級の大災害が起きれば別ですが〔あれほどの大災害が起きれば数万の人が一変に亡くなるということもありますから〕そうでなければ、そんなに多くの人が一変に亡くなるということはありません)交通事故や事件などで亡くなっているということでもないのです。(そんな事件や事故で数万単位の人がよけいに死ぬなどありえないからです)

では、なんで毎年、毎年、数万単位の人がよけいに死んでいくのか?ということになります。

日本はペストか何か、おかしな伝染病でも流行っているのでしょうか?もちろん、そういうこともありません。

ではなぜ、これだけ多くの人が毎年よけいに亡くなっているのでしょう?

だから私は、この辺りで起きていることと同じようなことが日本全国で起きている、といっているのです。

こういうことはニュースになどなりません。(よほど何か一つの病気が固まって出るようなら話は別でしょうが)だから皆が知らないだけなのであって、この辺りで起きているようなことなど(多くの人が次々に不治の病にかかり亡くなる)もう全国で起きているのです。

そうでなければ、これだけ多くの人が毎年よけいに死んでいくなど考えられないからです。

このような現象を、この辺りの人たちは私のせいにして騒いでいるから、何かこの辺りだけ特別、そのような人が(私のせいで不治の病になる人が)多いように思っていますが、何のことはない、こんなことはもうどこでも起きているのです。

そうでなければ、多死社会になるわけがないからです。(火葬場の三日待ちや一週間待ちなど、もうそこら中で起きているそうです。それだけ亡くなる人が多いからです)

それなのに、この辺りの人はそのような不幸をすべて私のせいにして怒っているだけなのです。

どれだけ愚かなのでしょう。

もう日本全体を見れば、このような不幸なことはそこら中で起きていると分かるはずなのにです。

その怒っている人たちは、なぜこんなことが起きているのか(毎年死者数が増えているのか)分からないんでしょうが(マァ、分からないのは、そのような人たちばかりではないのでしょうが)しかし、私はこういうことが起きるということをもう何年も前からいっていました。(ここに書いていました)

そのいった通りのことが起きているだけなのです。すでに時代は変わっているからです。(末法の世から正法の世にです)

末法の心のままの人は正法の世にいられないのです。心が時代に合わないため、そのような人は病気をしたり、事故などしたりして、あの世に引き上げられてしまうからです。

だから、死ぬ人が増えているのです。(老若男女問わずです)ほとんどの人が、まだ末法の心のままでいるからです。

だから私は「法を知らないといけない」「法を基準としないといけない」と、くどいくらいいっているのです。

そうしないと(正しい心の基準を知らないと)もうどういう悪いことが起きるのか分からない時代になっているからです。(それも命に関わるです)

その時代が変わって起きてきている現象を、この辺りの人たちはみな私のせいにしていますが、それがどれだけ愚かな行為なのかは日本全体を見るならば分かるはずです。

この法こそ、正法の世の心、そのものであるのです。

もう現実逃避していても危ないだけなのです。実際に不幸なことが次々に(ニュースにならないので知らないだけで)起きているからです。

帰依されてはどうでしょうか?この教えにです。

それが一番の安心、安全の道であり、幸せの道であるからです。

不幸が起きてからやる人は智慧のない人です。

不幸が起きても、それでもやろうとしない人は愚かな人です。

不幸が起きる前に、これこそ幸せの道であると悟り、やる人こそ智慧ある人なのです。

次々に不幸が起きています。

この教えに帰依することこそ唯一の救われる道であるのです。

追伸…今日の朝方、また不思議な夢を観ました。(というか懐かしい夢ですね)

その夢とは次のようなものでした。

私が自宅で一人で何か資料を読んでいました。ふと時間を見るともう会社に行かなければいけない時間を過ぎています。

これは遅刻すると、急いで家を出るのですが、出る時に家の門にカギをかけて行こうとすると、家の中から誰か出て来て、そのかけたばかりのカギをガチャガチャ外そうとしていました。

誰か家の中にいたかと思い、振り返ると、なんとそのカギを外そうとしていたのは亡くなった父であったのです。

「あれ、何で親父がいるの?」と不思議に思い「待て、待て、俺があけてやるから」と門のカギをあけていると、家の中から母と妹も出てきます。

そうして、父と一緒に散歩に行くというのですが、よく見ると、父も母も、そうして妹もずいぶん若いのです。(二~三十歳くらい若く見えました)

私は「ずいぶん若いな」と思って門から出て行く三人を見ていましたが、それで行こうとすると、今度は家の玄関のドアがあいています。

中をのぞくと、婆ちゃんと親戚のオバちゃん二人がいました。(もう亡くなっている人たちばかりです)

これは久しぶりだなと思い、家に入っていって親戚のオバちゃんに「オバちゃん元気」と聞くと、三人は怪訝(けげん)な顔をして「元気だよ」といいます。(どうも私は、先ほどまでここにいたという設定になっているようです。〔笑〕)

それで家の中を見回すと家の中もきれいになっていて(家も三十年ほど前くらいのつくりになっていました)前に飼っていた犬までいました。(その犬はずいぶん前に飼っていた犬でしたけどね)

「あれ、お前もいるのか」と、私はその犬に話しかけ、嬉しかったので、その犬をさわりまくっているところで目が覚めたのですが、ずいぶん懐かしい夢を観たものです。

父も母も妹も婆ちゃんまでみな若く、ずいぶん前に死んだ犬まで出てきました。

この夢にどういう意味があるのかよく分かりませんが、よいことをしていると、よい夢も(懐かしい夢も)観せてくれるということでしょうか?

昨日書いたブログに、天上界にいる光の天使はいろいろな力を持った天使がいると書いたからです。(だから、高橋先生のような夢を操る能力を持った天使もいるのでしょう。それを証明してくれたのではないでしょうか)

とにかく法を勉強していれば、このような不思議な夢も頻繁に観ることがあります。そうして、そのような夢の中でも教えられるのです。(このような死んだ人のこととか、先に起きることとか、これからこうするとよいということなどです)

法を真剣に勉強されてはどうでしょう。

それが神の子の人間として正しい道であるからです。

2コメント

2 コメント to “なぜ多死社会となったのか”

  1. ウナッシー2016/10/24 at 12:39 PM

    私の家では自分の部屋を思春期の子供に貸しています。子供部屋を増築する資金がないのでせがまれてそうしています。でも不思議なことに私が反省を通して変わらなければならない時は決まって子供の方から皆で寝ている部屋に変わって欲しいと言ってくるのです。そうして私は自室で集中的に反省を通して結果的に気付きを頂く機会が普段より多くなるのです。必ず年に一度は数ヶ月にわたりそんな事があるのですから、不思議と言えば不思議です。敢えて理由を聞いても特別な理由がある分けでもなくなんとなくだそうです。大事な事は機会を失しないことではないでしょうか。常に感度を上げて前進することもまた正しい生き方であろうと思いました。

  2. gtskokor2016/10/24 at 1:53 PM

    天上界が導いてくださるのでしょう。(子供さんの心の内よりです)
    法を勉強しているのなら、そういう(何か運がいいというような)ことは往々にして起きるからです。
    こちらはこちらで法の流布のじゃまばかりしている人たちがあるものですから、そういう人たちへの天の導きは厳しいものです。
    今日もまたじゃまするものですから、そのような導きがあったようです。(すでに何か起きたようです。昼前くらいに急にキレる者がいて、それから一変に静かになってしまいましたから)
    法を勉強しているのなら、常に天の導きはあります。
    それに感謝して法の勉強に励みましょう。

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