10月 29 2016
法の価値
昨日は家の隣で工事をやっていて、それがうるさくてブログが書けなかったんですが、一昨日は内海に行っていました。
暖かいのは一昨日が最後とか何とか天気予報でいっていたので、暖かいうちに行っておきたいと思ったからです。(寒くなると魚もあまり出て来なくなりますから)
ところが一昨日は天気がいいだけで風が強くて波も荒く、ちょっと失敗したなと思ったんですが、それでもいろいろな鳥たちは騒ぐし魚もたくさん出て来て楽しかったです。
私が歩いていると、大きな鳥の影が行ったり来たりしているので、上を見るとまたトビが頭上を何羽も飛んできていて「何だお前ら、そんなに近くにいたのか」と声をかけると、急に元気よく飛び出すのがいて、急降下したかと思うと急上昇したり、電線にとまったかと思うとすぐに空高く飛んで行ったりしています。
小さな鳥は小さな鳥で、大きな鳥は大きな鳥で、それぞれ愛らしい態度を取りますので可愛らしいんですが、あの強面のトビがそういう愛らしいことをすると、ギャップが激しいんでよけい可愛く見えます。(笑)
姿かたちは怖そうでも、心はみな同じで、すべての生き物の心には愛があるようです。
愛がある者には、ちゃんとその愛で応えてくれるのです。
そんなこんなで鳥たちにかまったり、内海につながる川など見ていたら小魚がたくさん出てきたりして、そういう魚たちにかまったりしていたら(また、小魚がたくさん水面に上がってきてピチャピチャやるものですから)あっという間に時間が過ぎます。
本当に海など行くといろいろな生き物たちに愛をもらえます。だから、チョコチョコ行っているのですが、一昨日行った時は肝心の海の魚が全然出てきませんでした。
あまりに海岸の風が強すぎて波も荒く寄ってもこれないようでした。
それでも海に向かって呼びかけていると、近くでピチャピチャ跳ねる魚たちがいました。
「おっ、寄ってきたな」と思っていると、また、波がたつとその波の中に魚がいっぱい見えます。
「うわ、すげぇー」と思って、その場面を動画に撮りました。(もうほとんどSDカードの残量もないんですが、その残っている分だけ撮りました)
画面が見にくいので、あまりうまくは撮れませんでしたが、それでもいくつか波の中にたくさんの魚がいる場面が撮れています。
マァ、あの動画を見れば私のいうことを信じてもらえると思います。
どうも、私が呼びかけると少し沖の底にいる魚たちがたくさん水面に上がってきて、岸の近くまで寄ってくるようです。
そういう魚が、少ない時で数十匹(一昨日などそうでした。それほど数はいませんでしたから)多い時は、数百から数千匹(大げさではなくもっといるかもしれません。水面上にいる魚だけではなく水中にいて見えない魚もたくさんいるでしょうし、そういう波に乗っかっている魚たちが数百メートルの距離でいた時もありますから)も寄って来るのです。(それに波打ち際まで来ている細かい魚たちもいっぱいいますし)
一昨日など、多くの魚があれだけ荒い波に乗かっていて(その波に乗って、そのままバシャと水面に叩きつけられますから)大丈夫かと思うんですが(マァ、私がやらせているんですが…〔汗〕)こういう愛ある奇跡が次々に現れるのです。(普通ならこういうことは絶対起きないと思います。あれは、絶対魚も危ないですから。〔大汗〕)
こういう奇跡ばかりが起きるのです。私が海に行きたくなる気持ちもお分かりいただけるのではないでしょうか。
別に私だけに特別このようなことが起きるのではなく、法を実践していると、こういうことも起きてくるということです。(実践すればするほどです。法を実践すればするだけ愛が表にあふれてくるからです。その愛に生き物たちは寄ってくるのです)
それだけ法とは価値ある(愛ある)ものであるからです。
そうして、そのような愛をたくさんもらってこちらに帰ってくると、何か様子が違っていました。(マァ、こちらに愛がないのは変わらないのですが)
やたら怒っているところもあれば、今まで散々嫌がらせをしていたのにピタリとやめてしまったところもある。
「それは別に変わったことではないだろう」といわれそうですが、そういうところがずいぶん増えているように感じました。(またサイレンもよく聞こえてきますし)
それに、どこかの会社の落ち込みぶりはひどいですし(今日もずいぶん元気がありません。それでも無理してじゃましています。決して無理はなさいませんように。〔苦笑〕)昨日などトラック連中も静かでした。(雨が降っていたからたまたまですかね?ここ二、三日、何か様子が変なんですが)
もしかしたら、私が書いたことが起きてきたのかもしれません。(園頭先生の予言〔多くのビルから人がいなくなり廃墟になる〕が実現しつつあり、災いのレベルが上がる)
どちらにしてもです。よいことも悪いことも(奇跡にせよ、災いにせよ)この法の実践を続ける限り、大きくはなっても小さくなることはありません。
よいことも悪いことも、法にかかわればかかわるだけ大きく現れて来るのです。
それだけ法の価値とは大きなものであるからです。(価値があるから、それだけのことが起きるのです。よい悪いにかかわらずです)
法はこの世で最も価値あるものであるのです。
その最も価値あるものに対し、逆らい続けているのなら、当然その反動は大きくなりますし、従い続けているのなら、当然その祝福は大きなものとなります。
その通りのことが起きているのです。
この法の価値をいい加減理解されてはどうでしょう。
その法にかかわった人たちは、どれだけ災いが起きようと、どれだけ奇跡が起きようと、どちらにしても法を知って救われていることには変わりがないからです。
(法を知らなかったら、そんな体験は出来なかったのです。知らない体験が出来ているのなら、その分、心は進歩します。その心が進歩した分は救われているのです)
追伸…しかし、こちらが元気がなくなったり、怒りまくったりするというのならまだ話も分かりますが(私はよってたかって大勢の人にいじめられているわけですから)私をよってたかっていじめている大勢の人たちが、そのような態度を取るというのは一体どういうわけなのでしょう。(本当に最近はそういう人が増えました)
普通は逆ですよね。(本当に私の立場がありません。〔苦笑〕)
大勢からよってたかって嫌がらせを受けている者が、急に元気がなくなったり、急に怒り出したりと情緒不安定になるのなら話も分かりますが、私に嫌がらせをしている大勢の人たちの方が情緒不安定になっているというのですから、これ如何にといったところでしょうか。(苦笑)
それだけ価値がある法は、それだけ起きる現象も凄まじいということです。(起きる現象の数も大きさも限りがありませんから。神が現す力は永遠不滅です)
自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きるのです。
それを早く認め、この法に従いませんか?
そうすれば私と同じような奇跡も起きてくるからです。(もう何度もいっていますがね。そういうことはです。しかし、最近は起きる現象のレベルもさらに上がっているように思います。急がれてはどうでしょうか?私に嫌がらせをしていればいるほど、その人はやばいからです)



人目の訪問者です。

反省を通して分かったことがあります。それは覚悟を持つということです。覚悟とは・・。それは自分の運命を神に預けること。先ずは自分の言動に対し反省の機会を全て受け入れて行くそういう覚悟ということになります。そうして神を一として心の生活に変えて行く、それもまた覚悟があってこそ日々の積み重ねが己の貴重な体験となって前へ前へと歩むことになるのでしょう。人との関わりの中でコミュニケーションを取っても上手く伝えられないジレンマが有りますが、少しづつ機会を増やしてこの思いを伝えていこうと思っています。
そうしてください。