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10月 30 2016

本当に価値あるもの

11:18 AM ブログ

やはり何か変ですね。

どこかの会社の落ち込みようもそうですし、この辺りでも、普段土曜日など休まない会社が休んでいたり、私に対し散々嫌がらせをしていたところが急に嫌がらせをやめてしまったり、そうかと思うとやたら怒っているところもあります。

それに運転手連中まで変なのです。

ブシュブシュやる者はやってきますが、少し前のように「この野郎」という感じではないのです。

何か仕方なしにやっているように見えます。

私の顔を見たからやらざるをえないみたいな感じで、やりたくはないがイヤイヤやっている、そんな感じなのです。

気のせいでしょうか?

それとも、それだけ多くの人が恐れるくらいの勢いで災いが現れだしたのでしょうか?

それは気のせいで、私があまりに嫌がらせをされすぎて、それで希望的観測でそのように見えているだけならよいのですが(私的にはよくありませんが)しかし、もし、多くの人が恐れだすくらいの災いが起きてきているのだとしたら、もう私に対する嫌がらせはやめた方がいいでしょう。

そうしないと、これからどれだけ多くの人が引き上げられるか分からないからです。(もちろん、あの世にです)

園頭先生は、これからいま多くの人が入っているビルにも人がいなくなってガラガラになり、廃墟となるビルもたくさん出て来るといわれました。

ということは、大きな天変地変が起きて人がいなくなるということではなく(もし、大きな天変地変が起きて大勢の人がいなくなるなら、ビルなど残っているわけがないからです。東日本大震災のような大災害が起きたら町が跡形〔あとかた〕もなく、なくなって残骸しか残らないからです)別の理由で多くの人がいなくなるということになります。

では、その別な理由とは何か?ということです。

それが今この辺りで起き始めた(皆さん方が恐れ始めた)現象なのではないでしょうか。

そのいま起きている恐ろしい現象がこれからもっともっと激しく現れる、そういうことではないのでしょうか。

その起きている現象は、どれだけ現れても、家が壊れるわけでも、町が跡形もなくなるわけでもないからです。

ただ、人がいなくなるだけであると思うからです。(では、園頭先生の予言の通りです)

あまり過激なことは書きたくはありませんが、しかし、起きていることを正確に書いておかねばなりません。(このブログは法の証明となりますから)

それに正確に書かないと、このブログを読んでいる人たちが、いつまでたっても自分たちの間違いに気づきません。

だから、書いているのですが、違いますか?起きる災いのレベルが違ってきているのではないのでしょうか?

だから、態度が変わってきた人が増えているのでしょう。

もしそうであるなら、もういい加減分かりませんか。自分たちの間違いがです。

これまで通りでいいというその考えが間違いなのです。

すでに時代は変わっているからです。だから、これまで通りの考えではいけないのです。

そのような考えでは(末法の心のままでは)もう災いが起きる時代となったのです。だから、これだけ災いが多いのです。前時代の心のままの人が多いからです。

今この辺りで起きている恐ろしい現象は私のせいではありません。

それは、この辺りで起きているようなことが他でも起きているということでも分かりますし(そうでなければ多死社会になどなりません)天変地変の激しさでも分かるのです。

時代が変わったから、これだけ多くの人が不幸になっているのであって、時代が変わったことに気づいて、その時代に合わせた心になっている人たちにはすでに数々の奇跡が現れているのです。

そのような人たちは、一時にせよ、時代に合った心になっているからです。(その時代に合った心になった時だけ奇跡が現れるのです。だから、前に奇跡が起きたのに、今は奇跡が起きないという人も出て来るのです。前と心が変わっているからです。私のように常に時代に合った心であるなら、常に奇跡は起きますが)

そういう日本全体に起きていることを考えるのであれば、私がいっていることの正しさが分かるはずです。

しかし、この辺りの人たちは、私しか見ていないのです。(不幸ばかり起きている人たちはという意味です)

何か悪いことが起きると、それを私のせいにして怒っているだけなのです。

「悪いことはすべてあいつのせい。自分は何も悪いことはしていない。前から何も変わらずやっているのだから」そう思っている人が多いのでしょうが、その何も変わらず(一切心を変えず)やっていることが、一番悪いことなのです。

だから、悪いことが起きているのですが、その「悪いことは自分のせい」ということにいつまでたっても気づかないのです。

そういう人は視野が狭く、無反省であるからです。(そういう人は心が成長しませんから)

だから、いつまでたっても、神など認めず(これだけ神の業が現れていてもです)仕事が第一、仕事がなくなれば生活が出来なくなると、そればかり思っているのです。

その神を認めようとしないため、その(自分が一番だと思っている)仕事さえも出来なくなるかもしれない危ない状況になっているにもかかわらずです。

そのような危なさが理解出来ないのです。というより、他のやり方が分からないのです。いつまでも自分の心を変えようとしないからです。

しかし、そのような遅れた考えでは、もうこの時代通用しません。(通用していないから悪いことばかりが起きているのです)

神が一であり、その自分の心をよくすることが二であり、仕事(金儲け)などもっとずーと後のことであるのです。

この時代は、まず第一に神を思わなければいけないのと、自分の心を向上させることに力を注がないといけないのです。

そうしないと、危ないことがいつ起きるか分からないからです。(もうそういう時代なのです)

本当の価値あるものに早く気づかないといけないのです。そうすれば、その人は救われて行くからです。

金や物など、そういう形のあるものに価値などないのです。(なくなったらそれで終わりであるからです。だから、そういうものを得るための仕事ばかりをあまり考えていてはいけないということです)

しかし、心は永遠になくなりません。(もちろん神も同じなのです。神は永遠不滅です)

そういうなくならないものこそが本当に価値あるものなのであり、そのなくならないものを向上させていけるものこそ、最も価値あるものなのです。

法を勉強し続ける限り、心は永遠に救われ続けます。

では、最も価値あるものとはこの法であるといえるのではないでしょうか。

もう他の考えでは通用しない時代になっています。(法を元にした考え以外ではです)

それは他の宗教でも政治、経済の考え方でもなんでも同じなのです。そのようなものをどれだけ勉強しても奇跡は起きないからです。

その奇跡が何よりの証拠なのです。

そのようなものは正しい部分はあってもどこかに間違いがあるからです。だから、そのようなものをどれだけ勉強しても奇跡が起きないのです。(だから、そういう勉強をしっかりしている人たちも病気になっているのです。そういう考えだけではもう通用しない時代となっているからです)

しかし、この本当の神の教えである法(正法神理)は違うのです。

この教えを勉強すればするほど奇跡が起きて来るのです。(それは私が証明しています)

この教こそ真の神の心であるからです。

だから、その(本当の)神の心を元にしていれば、何をしてもうまくいくのであり、だから、何をするにしても法の心を忘れてはいけないということです。(そういう心でいれば、もちろん神にも守られますし)

その法の心を元とするなら、何をやるにせよ、成功するということです。(法の心を元にして政治や経済の勉強をする、あるいはスポーツの練習をするなら、その人は必ず成功するということです。現に法の心を知り奇跡が起きたスポーツ選手もたくさんいますし)

心を入れ替え、法を勉強し実践してみませんか。

そうすれば、自分も救われ、奇跡まで次々に現れるようになるからです。

(くだらない意地をいつまでも張り続けていると本当に命が危ない時代となったのです。〔だから恐ろしいことが次々に起きているんでしょう〕もう時代が〔大きく〕変わっているのです。それに早く気づいてください。法を粗末にしていてはいけないのです。この法は多くの人を救う教えであるからです。法がどれだけ価値あるものなのか、早くそれに気づかないといけないのです)

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