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10月 31 2016

至極当然な意見

10:57 AM ブログ

すでに何か起きたんでしょうか?(先ほど何か騒いでいたし、その後、急に静かになったし)

本当に災いが止まらないようですが罰当たりな行いを続けているのです。では、当然罰は当たります。(本当に凄まじいですね。そんなに起きるものですか?悪いことばかりです)

その罰が当たらなくなるにはどうすればいいのか?

そのような罰当たりな行いをやめればいいのです。簡単な話なのではないでしょうか。

これまでの行いを反省し、私に布施でもされませんか?そうすれば、その災いはすぐにでも止まるからです。(最近コメントをくれた人など、すぐに布施してくれましたが…法を知らせてもらっているのですから、そのような態度が当たり前のことなのです。それなのに布施ではなく嫌がらせをしているというのですから話になりません。それでは罰が当たるのもまた当たり前のことなのです)

そういう罰当たりな人たちの話はこれくらいにしまして、一昨日でしたか堀川に行ってみるともうカモメが来ていました。(まだ数羽程度でしたけどね)

「アレ、ちょっと早いんじゃないか」とも思いましたが、すでに十月の末です。

「もうそろそろ来る頃か」とも思って「お前ら久しぶりだな」と声をかけたんですが、そこにいたカモメたちは何か知らん顔をして堀川に浮かんでいました。

「何だ愛想がない連中だな」と思って、トコトコ堀川沿いを歩いていましたら、いきなり私の頭上を何羽かのカモメが飛んで行きます。(四~五羽くらいいたと思いますが)

そのカモメたちを見ていたら、またこちらに戻ってきて、高く飛んだり低く飛んだりしています。

何か喜んでいるようなのです。

「何だお前ら嬉しかったのか」と声をかけ、それから「オイオイ、ずいぶん元気だな」とか声をかけていたら、喜んで私の近くを飛び回っていました。

そんなにうれしいのなら最初から喜べばいいのに(最初は無視していましたから)素直じゃないカモメも中に入るようです。(そういう人はたくさん見ていますが。〔笑〕)

ひとしきりカモメが私の周りを飛び回ると、そのうちに行ってしまいました。

上空にカモメがいなくなったとたん、何匹かの魚がバシャと跳ねました。「チョ、おい」とこちらが驚きました。(笑)

カモメが来ても、それでも跳ねる、まったく命知らずな魚たちです。(笑)

魚だけではなく(魚のそのような行為は、愛の心から出て来たものですから神も喜ばれるのでしょうが)そういう命知らずな人たちがこの辺りはたくさんおります。(私に命懸けで嫌がらせをしてくるのですから呆れます)

くだらない意地など捨てて、愛ある行いをされてはどうでしょう。(魚たちのようにです)そうしないともう命まで危ないからです。(どこかの会社も意地になってチョコチョコ嫌がらせだけはしています。本当に哀れなものです。それが全部自分たちに返って来るというのにです)

先ほど少し書きましたが、この法を伝えてもらったのであれば、感謝して布施するのが当たり前のことなのです。

それだけ有難い(「有難い」とは有ることが難しい、本当に稀で珍しいという意味です)教えを伝えてもらって心も救われたからです。

しかし、その当たり前のことさえ、現代の人たちは出来ないのです。

その心を救われる有難さが理解できないからです。心を救われても、別に大したことではないと思っているからです。

しかし、心を救われる有難さは何ものにも代えがたいものなのです。

それは物、金がどれだけあっても、心に悩みがあるのなら何も嬉しくはないということでも、その事実は分かるはずです。

どれだけ物や金がたくさんあったところで、心に悩みがあるなら何も楽しくはないのです。

まず、その心の悩みを解決しないことには、物がある喜びも、金を使える喜びも出てきません。

すべてのことにおいて、一番最初に来るのは心であるからです。だから、その心がまず健康でないと、それ以外のものはみな不健康になってしまうのです。(うつの人がいくら健康であろうと、いくらお金があろうと幸せでないのと同じです。まず、そのうつを治さないことには、その人は幸せになれないのです)

法は、その一番最初に来る、心を救うのです。では、これ以上、有難いことはないのではないでしょうか。

逆にいえば、心さえ健康であるなら、物がなくても金がなくても、いくらでも後からそういうものは手に入れる(稼ぐ)ことが出来るからです。

だから、その一番大切な心を救える教えであるから、それを伝えてもらったのなら、感謝するのが当たり前のことでしょう、といっているのであり、感謝するのであれば報恩の行為は当然せねばならないのですから(何度もいいますが、感謝とは、感謝の心と報恩の行為、それが揃って初めて感謝したといえるのです)布施ぐらいされてはどうですか、といっているのです。(別に他のことでもいいんですが、他のことで報恩の行為など皆さんしないでしょう)

至極当然な意見だと思いますが、なぜ、これくらいのことが分からないのでしょうか?(というか、それを認めないのでしょうか)

そういう報恩の行為をしないで、嫌がらせなどしているから天罰がくだるのです。

これもまた至極当然な意見であると思いますが、なんでそんなことがいつまでも分からないのでしょう?

本当に不思議ですね。この辺りの人たちは、自ら間違ったことをし続け、それで天罰を食らっているにもかかわらず、それさえも私のせいにして、よけい天罰を食らう、負の連鎖もいいとこです。

いつになったら分かりますか?これだけ簡単な間違いがです。(というか、いつになったら、その自分の間違いを認めようとしない我を直されるのですか?)

そういう簡単な間違いをいつまでもしているから(いつまでも認めようとしないから)命まで危なくなるのであり、その間違いを正すなら、奇跡が起きて来るのです。(それほど有難いものに今生出会えたからです)

物、金をもらってもそれは一時の喜びにしかすぎません。(前回も書きましたが、物や金はなくなったらそれで終わりだからです)しかし、心が救われるのなら(その心が変わらない限り)それは永遠の喜びとなって、その幸せは永遠に続くのです。

そのような心の在り方が、大きく作用する時代になっています。(だから、そういう時代に合わせて、法と出会うべくして出会ったということです。この時代に法が現れなければ、不幸のどん底となるからです。〔現在そういう感じです。心の正しい在り方を知らず法を無視している人が多いからです〕)

早く心と行いを法に合わせてください。そうすれば、愛ある奇跡が次々に現れるようになるからです。

(本当にくだらない意地を張り続ければ命がなくなります。もうそういう時代であり、この世の〔心の〕修行とはそのようなものであるからです。〔皆さんが思っているほど甘くはないということです〕)

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